図書館でかりたまま、返却日のせまっていた、米原万里さんの「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を読んだ。
彼女の文章のうまさと、軽快なリズムのある文章ではあるけれど、1960年~1990年代、あるいはそのあとも続く、東ヨーロッパ、中央ヨーロッパの中を生き抜いていった共産主義活動者の子女たちのストーリーが、厳しい歴史を教えてくれる。
今年になってから、米原万里さんの本に出合った。日英通訳の勉強をしている私に、東欧通の友人が万里さんの本を薦めてくれた。最初に「不実な美女か貞淑な醜女か」を読んで、あまりの面白さにすっかり惚れてしまった。
こんなに素敵な人が、すでに亡くなってしまっていたなんて、、、、、。残念。
だけど、彼女の本から、色々なことを教えてもらえている。死んだ後にも人に伝えることができる本というもののすごさを、いまさらながら思い知っている感じ。
今回の本の中に、ロシアでは、”ペンは剣より強い”に代わって、”ペンで書かれたものは斧では切れない。”という言い回しが使われる、という話が出てきた。
文章の力をいっているだけではなく、筆稿は取り返しがつかない、という意味が強くあるという。かつ、正式の文章を消しゴムで消せるような鉛筆で書くのはまかりならん!!ということもあるらしい。
パソコンで、なんども書き直せる現代、、、、、私は、一つ一つの言葉をそこまで命を懸けて紡いでいるだろうか、、、、。できてないな、、、と思った。
ここは、訓練中の身なので、いいことしておこう。。
万里さんのプラハ・ソビエト学校時代の3人の級友がでてくる。それぞれ、ギリシャ、ルーマニア、ユーゴスラビア出身の共産党員の親に連れられてソビエト学校へ転入してきたメンバー。それぞれが、それぞれの運命を背負って、生きていく。
そして、10年以上の音信不通の時を超えて、万里さんの情熱で、それぞれとの再会を果たす。本当に、映画のようなストーリーだと思う。
ブカレストのガイドの青年が幸せとは何なのかとの何気ない会話なのかで、”人間は自分の経験に基づいて想像力を働かせる”と、語るシーンがある。
まさに、本当にそうなのだと、最近つくづく思う。
情動は経験していないことには反応しない。
年を取って経験が増えて、涙もろくなるのも仕方がない。色々と経験して、想像ができてしまうのだ。その人の痛みも、喜びも。
本当の本当のところは、誰にも他人の思いはわからないけど、だから想像するわけで、想像できてしまうから痛いのだ。
痛みも、暖かさも感じられるのだ。
年を取るのもいいもんだ。
春分。
また、新しい季節に向かってどんどん年を重ねよう。
万里さん、まだまだ読みたい。