『教養としての上級語彙、知的人生のための500語』by 宮崎哲弥

教養としての上級語彙、知的人生のための500語
宮崎哲弥
新潮選書
2022年11月25日

 

知り合いが、この本おもしろそう、と言っていたので図書館で予約していた。数か月待って順番が回ってきた。読んでみた。

 

本の裏の説明には、
”「さらば、ボキャ貧!」  文章の即戦力となる言葉の数々
「矜持」「圧巻」「白眉」・・・ワンランク上の語彙を使いこなして表現をもっと豊かにしたい。そんな要望に応えるべく、博覧強記の評論家が中学生の頃より本や雑誌、新聞からメモしてきた「語彙ノート」の1万語から500余語を厳選。読むだけで言葉のレパートリーが拡がり、それらを駆使できるようになる実用的「文章読本」。”
とある。

 

感想。
なかなか、面白い。ユニークな本だ。日本語の単語帳、だね。読むだけで、言葉のレパートリーが増えて、駆使できるようなるとは思えないけど、、、ね。

 

著者の宮崎さんは、1962年福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。
TV、ラジオ、雑誌などで、政治哲学、生命、倫理、仏教のサブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う。

写真を見ると見たことがある人のような気がする。テレビでよく出ていた人なんだろうか。どんな発言をする人なのかは、さっぱり思いつかないけれど。

 

本書は、若い頃から日本語、英語、仏教研究のためのサンスクリット、バーリ語など様々な言語の単語帳を作るのが好きだったと言う著者が、これまでに貯めてきた語彙と自分自身の語彙形成のプロセスを効率的にしかも生活に正確に外に伝えることはできないかと考えてできたということ。ワンランク上のボキャビル(ボキャブラリー・ビルディング=語彙増強)のための書ということ。教養書ではなく、あくまでも実用書を目指したとのこと。


目次
まえがき
凡例

第1章 イントロダクション   上木と忖度
第2章 世間の交らい  友愛・感化・恥・地位・男と女
第3章 聞こえる、見える 「私 」が感受する上級表現
第4章 行う、行く、戦う  「私」が行為する上級表現
第5章 笑う、怒る、泣く  「私」が叙情する上級語彙
第6章 読む、聞く、叙説する  知的活動に関わる上級語彙


面白いのは、まるで辞書の一部を読んでいるようでもありながら、例文も出ているので、本を読んでいるような気分になったり。なかなかユニークなのだ。

読みながら思ったのは、英語のボキャブラリーの勉強を日本語でやってるような感じ。ちょっと楽しい感じがする。章ごとにテーマがあって、その意味を表すやや難しい表現がピックアップされている。全部で500を掲載したと言うことなんだろう。数えてはみてないし、順番がふってあるわけでもないけど。

 

英語でも、単語とその意味だけを見てもなかなか頭に入らないけれども、それを使った例文が一緒にあると記憶に残りやすい。日本語も同じなんだなぁと、本書を読みながら思った。また、普段本を読んでいて、よくわからない言葉があっても、めったなことでは辞書を引かないと言うことに気が付く。日本語だと、ある程度意味を類推しながら本を読んでいる。あるいは会話の中で難しい言葉が出てきたとしても、それを書き留めて辞書で調べると言う事は、おそらく大人になったらめったなことではやらないだろう。また古典の本を読むときに、できるだけ現代語訳を読みたくなるのは、要するに出てくる言葉そのものが難しいからなのか、と思い至った。内容と言うよりも、出てくる言葉そのものが難しくてよく理解できないことが多くなるからだ。そうかそういうことだったのか、、と。森鴎外の『舞姫』を読むのを挫折したのは、現代語版ではなかったから。。。。


ちょっと目から鱗の感じがした。日本語だって、新しい言葉を覚えようと意識しなければ、なかなか記憶に残らないのかもしれない。難しい言葉が出てきても、日本語の本を読んでいて辞書をひくことはめったにない。この数年で、私の辞書に追加されたのは、

 

きびしょ:急須
橋頭堡(きょうとうほ):拠点・足場

megureca.hatenablog.com

megureca.hatenablog.com

 

そういや、自分でもボキャブラリーの増やし方、、、なんて書いたことあった。

megureca.hatenablog.com


「きびしょ」も、「橋頭堡」も、本を多読するようになるまであまり気にしたことなかった。でも1度目について覚えてしまうと、至るところで「橋頭堡」と言う言葉が使われているということに気が付く。

 

本書の中で例文として取り上げられているのは菊池寛の『真珠夫人とか西田幾多郎の『善の研究など。これらは、何度も繰り返し取り上げられていた。あぁそうかそうか!と思った。そういう難しい言葉を使ってる文章って、やっぱりちょっと古い本だ。でも、読んでいてちょっとリズム感があって楽しい感じもする。最近の本ではなく、ちょっと前の時代の日本人が書いた日本語の文って、その難しい言葉が出てくるところが楽しいのかも、と思った。読んでいて、自分のその言葉をわかるような気にがしてくるから。

著者は、語彙を増やすステップとしては、意味が分かるようになって、使えるようなると言っている。最初の「わかるようになる」のステップが、その言葉と繰り返し出あうことなんだろう。それが、たのしいのだ。

古典の楽しさは、未知の日本語との遭遇!ということもあるのかも。

 

掲載されている500個は、よく知ってるし、よく使っているよ、という言葉もあれば、そんな言葉初めて聞いたと言うものもあった。また中には確かに何度も出てきてよく見ているけれども、そうかそういう意味だったんだなぁと確認できるようなものもある。

なかなか面白い本。また、本としてよくできてるなぁと思うのは、言葉から言葉の展開の仕方が、結構読み物としても読みやすい。唯の羅列ではなく、それなりの関わり合いながらすすんでいく。

 

言葉と言葉の間に空白の1行があるので、厚さの割には文字数が多くないのだろう。辞書を読む気にはならないけれども、本書だったらあっという間に物語のように読むことができる。あとがき含めて271ページだったけれども、割とあっという間に読んでしまった。ここにでてきた言葉たちが、上級語彙と言うのかはわからないけれど、まぁまぁ面白い。

 

意味や使用法が気になった言葉をいくつかだけ覚書。

じょうぼく【上木】 印刷するために、版木に図書を刻み付けること、書物を出版すること。上梓(じょうし)すること。

 

ひもとく:本を開いて読むこと。書物で調べてあきらかにすること。
この言葉は、昔の本は紐でとじてあったので、書を読むには紐を解かなくてはいけなかったことから派生している。つまり、「書物を読む」が元の意味。「事件のひもをといていきましょう」「素顔をひもといていきましょう」などというのは、誤用なのだそうだ。

 

かっこふばつ【確固不抜・確乎不抜】:心がしっかり固まっていて、動揺しない事を。くじけないこと。意思堅固。


ふかん【俯瞰】:高いところから見下ろし眺めること


ちょうかん【鳥瞰】:空高く飛ぶ鳥が地上を見下ろしかのように、高いところから広い範囲を見おろすこと。転じて全体を大所高所から眺め渡すこと。

俯瞰と鳥瞰は、ちょっとだけ違うのだ。これは、私は結構使い分ける。もちろん、鳥瞰の方が好きな言葉だし、よく使う。著者も、鳥瞰の方がより広い範囲を視野に収めているような印象があるといっている。そのためか抽象的な文脈でもよく比喩的に使われるそうだ。


一言なかるべからず: 一言なくてはならないの意味。

「なかるべからず」が二重否定で、古人の文章や演説でよくでてくる。渋沢栄一の有名な「夢七訓」が引用されている。
「幸福を求むる者は夢中なかるべからず」:幸福を追求する者には、夢はなくてはならないの意味。


ざるべからず:しないわけにはいかないし、なければならない。これも二重否定。

日本人は、二重否定すきだな、、、、。

 

くちい:たくさん食べてお腹いっぱいになっている。満腹なこと。

何かの本の中で、少年の発した「くちぃ」と言う言葉が記憶に残った、というのが出てきて、なんだかとてもかわいい表現として覚えているのだが、どの本だか忘れちゃった。例文をおもいだすのって、意外と難しい・・・。

 

はくび【白眉】:昔中国にそれぞれに有能な5人兄弟がいたが、なかんずく、眉に白毛の混じる四男が抜きんでていたことから、数ある同類の中で傑出した人、秀でたもののこと。

例文:
「この映画はあの監督の作品中でも、白眉だ」
「その年の入賞者の中で彼女は白眉でした。」

面白いのが北大路魯山人の『小ざかなの干物の味』からの例文。
「伊豆諸島出来のクサヤの干物、これは上方の食通には嗅覚が耐えられないと敬遠されるものであるが、おいしさに置いて干物の中の白眉であると言えよう」

意味はしっているけれど、普段の会話でつかうことはないなぁ、、、って言葉。

 

肯綮に中る(こうけいにあたる):意見や批判が物事の核心をつくこと。

 

せいこく【正鵠】:弓の的の中心の事。物事の急所。要点。「正鵠を得る」、「正鵠を射る」「正鵠を失う」「正鵠を誤る」
よく、誤用の事例でててくるのが、「正鵠を射る」なのだけれど、著者曰く、今は、「正鵠を得る」も「正鵠を射る」もどちらでもよいのでは?とのこと。一応、本来の用法は、「正鵠を得る」だそうだ。

まぁ、なかなか面白い。 

 

日本語もたまにこうして復習してみるのも楽しい。