本がちょっと違った、と思うとき。

きになった。

読んだ。

読まなくてもよかったかも、、、と思った。

 

本も、出会いなので、そのものがいいとか悪いとかではなく、

読んだ後に、自分のエネルギーが、プラスかマイナスか、、、

でいうと、久しぶりにちょっとマイナスだった。

あえて、本の題名は言わない。

 

それなりに、有名な方らしい。

2021年になって、一日一冊のペースで読んでいるけれど、

読まなくていい、と思う本ではなく、

最後まで読んでみたい、とおもった本だったけど、

この本を私は人に薦めない。

薦められて、ここまで色々翻訳され、世界で読まれているのだろうけど、

私は、この本を読んで、そういうことはある、と思ったけど、

人に薦めない。

私がパワーをもらった本ではないから。

 

その本が間違ったことを言っているとかいう事ではなく、

私は、本を読んだ後に、エネルギーが沸くより、消耗した気がした。

だから、人には紹介しない。

 

各国に翻訳されているのだから、共感し、この本で勇気をもらう人もいるのだろう。

 

ただ、私は、違った。

 

翻訳の言葉、の次元ではない。

翻訳者は、本気で訳したのだとも思う。

でも、読んでいて、増えるのは眉間のしわばかりだったかもしれない。

 

これも、本なんだよね。

パブリッシュされた、本なんだよね。

 

聞きたくもない単語が何度も出てきた。

でも、先を読みたくなった。

最後まで読んでも、私は著者に共感はしなかった。

でも、読んでみたいと思った。

 

これが、英語で読んでいたら、また違う印象だったかもしれない。

日本語になったときの、なまめかしさ、現実感、、、、。

 

久しぶりに、読んでよかったけど、人に薦める気にならない本だった。

 

自分の弱さ、情けなさ、、、、同省もなく、不愉快だった。

 

That is,

Virginie Despentes, KingKong theorie.

 

本文ではなく、訳者あとがきの文章のほうが心にのこった。

 

「特権とは、そのことを考えるか考えないかの、選択肢を持っていること。私は、じぶんが女であることは忘れることができないが、白人であることは忘れることができる。

それが、白人であるということである。」

 

 

そうなんだよ。

そうなのよ。

 

で、自分はどうするの?ということなのよ。

 

自分の頭で考えることを辞めるのは、自分で自分の人生の主役を降りるようなものであるl

 

喜劇上等。

自分の人生の主役は、自分でやろう。

 

ときどき、よくわからない脇役が主役の座を脅かすことがある。

それは添え物の楽しみと思って、受け止め、流そう。

 

一度、受け止めたふりをするのも重要なのだ。

ふりしている間に、本当に重要なことなのか、考えればいい。

 

なんとかなると思えば、何とかなるし、

だめ、って思えば、そこまで。

 

所詮、自分の人生は、自分以外の人には作れないのだよ。

目覚めよ!!寝坊助!