さびしさの雲霧、悲しみの雲烟  

さびしさの雲霧 と 悲しみの雲烟

 

「隣の国のことばですもの  茨木のり子と韓国」 by キムジヨン 

2020年12月25日 出版 、のなかで、出合った言葉。

2021年3月にアカデミーヒルズで紹介されていた本。

 

寂しさの雲霧。

悲しみの雲烟。

読んだとき、胸がぎゅっと痛くなるような気持ちがした。



私は、この本に出合うまで、茨木のり子さんを知らなかった。終戦1945年を19歳で迎えた茨木さん。軍国主義だった少女がある日突然民主主義者となる自分自身への不信感、戦争の不合理。茨木さんは、それをまっすぐに受け止めて言葉で表現してみようと思った表現者。著書の中で同年代の詩人として、石垣りんさんが紹介されていた。先月読んだ「詩歌の待ち伏せ」ではじめって知った詩人が石垣りんさんだった。数週間の間に、石垣りんさん、茨木のり子さん、二人の詩人に出合った。神様が、私にもっと詩を読めと言っているのかもしれない。

 

谷川俊太郎も参加していた雑誌「櫂」は、川崎洋と茨木さんが、創刊した。それも、私はしらなかった。

 

茨木さんが、終戦の頃に不合理を感じた民族への差別、当時一番身近に感じたのは、朝鮮人への差別。日本国内にいた米兵への不合理な偏見。そんなことを、変なことと思いながらも、受け流している自分への侮蔑をこめたような、本当はそんな風に思いたくないと思いが、詩の中から感じる。世間に流されたくない自分の思いを、詩にすることで世間に伝えたのかもしれない。

 

本の中でいくつかの詩が紹介されている。

中に出てくる表現で、

”さびしさの雲霧”

”悲しみの雲烟”

悲しみやさみしさの塊がひしひしと伝わってくる表現だと思った。

 

”さびしさの雲霧”は、通りかかった黒人兵に対して瞬時に無関心を装い目をそらした自分と、そんなことをした自分自身へ、そしてそれを受け取った黒人兵の哀しみを描いている。「行きずりの黒いエトランゼ」という歌の中。

 

”悲しみの雲烟”は、夫が他界した後、彼の通勤路を歩きながら感じた大きな喪失感。「駅」という詩の中にでてくる。

”わが胸の肋骨(あばら)のあたりから 吐息のように湧いて出る 悲しみの雲烟”

 

世の中の不合理に、いつも悲しみを抱えて生きていたのだろうと感じた。いわゆる昭和世代の一人かもしれない。戦後を20前後で迎えた世代。

 

著書の中では、なぜ、彼女が夫の死後にハングル語を学び始めたのかについて、彼女自身が後年に語った「だって、隣の国のことばですもの」の逸話がでてくる。彼女がハングルを習い始めたのは、1976年。韓国に対する日本人の反応は、あまり積極的ではなく、”なぜハングルを勉強するの??”と驚かれるような時代。夫の死の悲しみを紛らわすためとか、適当なことを言っていたが、のちに、「だって、隣の国のことばですもの」と言うようになる。

 

1970年代、戦時中に学校へ通っていた年頃の韓国人は、日本語ができた。日本が日本語を使わせたから。でも、同世代の自分は、ハングルを話せない。今度は、自分が必死になってハングルを勉強する番だと茨木さんは思ったのだ。なんというか、潔い感じに、心打たれた。

 

どんな本だか知らずに手にした本だけど、茨木のり子さんを知ることができてよかった。私は、本当に知らないことが多すぎる。でも、今回、出会えてよかった。

 

彼女の詩を、別途、読んでみたいと思う。

せっかくなので、彼女の詩を2つ、記録しておく。



「わたしが一番きれいだったとき」

 

わたしが一番きれいだったとき 

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから 青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で 

わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった 

男たちは挙手の礼しか知らなくて 

きれいな眼差だけを残して皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき 

わたしの頭はからっぽで 

わたしの心はかたくなで 

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき 

わたしの国は戦争で負けた 

そんな馬鹿なことってあるものか 

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき 

ラジオからはジャズが溢れた 

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら 

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき 

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん 

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに 

年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように  ね




「倚(よ)りかからず」 

 

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ




「倚(よ)りかからず」 は、松岡正剛さんの千夜千冊で取り上げられてもいた。また、人と人がつながった。正剛さんも茨木さんを読んでいたのね、と思うと、ますます、茨木さんの詩を読みたくなる。

 

「倚(よ)りかからず」 は、今まさに私が同じことを叫びたい。

73歳の時の詩だそうだが、強さが美しい。

気持ち良い詩に出合えた。

本に感謝。