明治天皇の御製(和歌)

御製 という言葉自体、聞きなれない。

半藤一利さんの、「語り継ぐこの国のかたち」の中、「戦争の中の天皇」という章ででてきた。

 

広辞苑より

御製:天皇が作った詩文・和歌。平家物語女院の御製と思しくて」。

 

平家物語ときいて、音として、あぁ、「ぎょせい、、、」って思ったくらい。

普段から和歌をたしなむわけでもなく、明治天皇の御製が有名だったという事も知らなかった。

半藤さんが子供のころは、国語の教科書にも載っていたとのこと。

明治天皇は、和歌で心情を表現されていた。

 

日露戦争後、

ポーツマス条約でロシアから領土の賠償金をとれなかったことに激怒した国民は、日比谷焼き討ち事件をおこした。この事件をきいて、明治天皇が詠んだ歌。

 

おのづから仇のこころもなびくまま

まことの道をふめや国民

 

「国民よ、戦争に勝ったからと言って驕ってはいけない。真の道を進んでいってくれ」

 

日本人は、「勝った、勝った」と本当にいい気になり、驕慢になる一方。夜郎自大になった国家は、その後、、、、、、。

 

1905年がポーツマス条約の年。

それから、1世紀。

今、私たちは、驕慢になっていないだろうか?

さすがに、1世紀たつと世代交代が進んでいるはずだけど。

第二次世界大戦、戦後、高度成長期、バブル経済、、、。

 コロナ。。。。

2020年5月と、2021年5月と、政府が国民に要求する内容が変わっていない。

コロナに対して、驕慢ではなかったといえるか?

 

コロナに対する政策に対して、Twitterだけでなく、様々なメディアでコメントが見られる。ただ、意見をツイートするだけでなく、詩を読むことでコロナ対策に対する思いを伝えよう!という企画をしたら、ただツイートするより深く考えるのではないかという気がした。

すでに、あるかもしれない。

 

インターネットのない時代、ツイートすることはできなかった。

その代わりに、詩を詠む、ということで気持ちを伝えるということをしていたのかもしれない。実際、「万葉集」の時代の和歌はそいうものだろう。

詩を詠もうとすれば、数の制限というルールのもと、余計なものをそぎ落とさないと思いは表現できない。

詩を詠むというのは、心の整理をするにも良いのかもしれない。

余計なものをそぎ落としながら、本当に重要なことだけを残す。

詩を詠むのは、自分のため。ということなのかもしれない。

和歌で「いいね!」の数を競うのは、似つかわしくないような気がする。

 

明治天皇は、多くの和歌を詠まれているけれど、開戦のそのときに詠まれた和歌は見当たらないそうだ。気持ちを表すこと自体、なさらなかった。

 

限られた文字で心情を表現する。

和歌。

日本人というの、小さく収めることが好きなのかもしれない。

 

読書もいいけど、歌集を読むというもいい。

自分で詠むというのも、あこがれる。

自分の頭の整理に始めたこのブログ、大量の文字ではなく、詩にできるくら、詠めたら、、、。

相当、ハードルが高そうだ。

老後の楽しみにとっておこう。。。