「小説8050」
林真理子 著
新潮社
2021年4月30日 発行
いやーーーーー!
面白かった。
一気読み。
面白いというのは、「楽しい、愉快な」という事ではなく、「充実していた」、という意味で。
テーマは、重い。
あまり、新刊の小説単行本を買う事はないのだけれど、図書館は予約500人とかだし、kindleで読む感じじゃないな、とおもって、久しぶりに単行本で購入。
読み応えあった。
1800円 (税別)
まぁ、映画代みたいなもんか。
これは、人に貸してあげたい。
「いじめ」、「引きこもり」と、重たいテーマではあるが、一応、最後に救いが待っているので、読み終わった後は、ちょっと、肩の荷が下りる感じ。
最近、「7つの習慣」をパラパラ読み直し、「個性」ではなく「人格主義」という表現があって、今回の家族の物語も、家族間で「人格を尊重しあえていたのか」というテーマもあると思った。
本の帯には、
「引きこもり100万人時代」に生きるすべての日本人に捧ぐ、絶望と再生の物語、とあるが、ふと、引きこもりって、日本だけの課題なのかなとおもった。
引きこもりは、万国共通にありそうだけど、同居の親との関係問題となると、日本特有かもしれない。
成人しても、結婚するまで、あるいは大学入学や就職などで転居を必要とされない限り、親と同居するのが一般的な日本だから、8050問題、という事が起こるのだろう。
以下、ネタばれあり。
主人公は、進学校でのいじめをきっかけに不登校になり、7年間引きこもり生活。気が付けば二十歳の成人。両親は、引きこもり7年目にして初めて自分たちの息子が陰湿ないじめを受けていたことを知る。息子の「復讐してやる」の言葉と暴力を前に、初めて気が付く。
この物語に出てくる家族は、歯科医院を経営する父親、専業主婦の母親、弟の引きこもりをよそに早稲田大学から企業に就職して結婚願望をもつ姉。ごく、どこにでもありそうな家庭。
常に自分が正しいと思っている父親。
家族のために、息子のためにも娘のためにも普通の家庭でありたい願う母親。
引きこもりの弟を恥ずかしいと思っている姉。
いじめをきっかけに引きこもり生活の弟。
物語の最後は、両親も姉も、自分のことを大切に思っていてくれているということに救われる主人公。そして、それを口にしてくれたことで救われる父親。正義の道に進み始める姉。家族との距離の取り方を再生し、自分を取り戻す母親。
そう、最後は、この家族には、まだまだ希望の未来がある、と感じられるところがいい。
そこに至るまで、弁護士、いじめの証言に協力してくれる人、たくさんの人に支えられて、主人公だけでなく、家族そのものが再生していく。
いじめの証言の一人に、主人公と同年代の女性が出てくる。ジャーナリストを目指してアメリカに暮らし、そこで自分自身が人種差別を目の当たりにし、自分自身がいじめにたいして何もしなかったことに対し、今できることをするために、証言台に立つ。
彼女は、「ノブレス・オブリージュ」を自分は果たすのだという。
陰湿ないじめと、爽やかな「ノブレス・オブリージュ」と、生々しい家族間の葛藤。
本当は、正義を愛してやまないのに、弟の現実を目の前に、少しスレていく姉。世の中、こんなもんでしょ、、という感じ。彼女にとって、弟の再生は、自分自身の再生ともなる。
林真理子、がんばったなぁ、と思う。
がんばったなぁというのは、上から目線で言っているのではなく、
重いテーマの小説を書くという事は、そのテーマと書いている間ずーっと向き合うわけで、とても重いと思う。
重いテーマに、向き合い続ける作家って、すごいな、と思う。
彼女の軽いエッセイは、ほんと、くっだらなーい!と思いつつも、読んでしまう。
読む人の心を軽くさせてくれる。
いやぁ、やっぱり、すごいな。
最近、あまり読んでいなかったけど、また、林真理子をよんでみよう。
「人格主義」
今一度、「7つの習慣」にでてくる「人格主義」を考えてみたいと思う。
「個性」じゃない。
「人格」。
相手を尊重するっていうのは、えらいとか、すごいとか、そいう事ではなく、一人一人がそれぞれ主人公の人生をもっているということ。
だれもが、その人の人生の主人公。
だれも、誰かを自分の人生の脇役にはできない。
大切な人の、伴走者でありたい。
大切な人が伴走してくれる時、おしみなく、ありがとうを伝えよう。
ありがとうと伝えたい人がいるというのは、幸せなことだ。
ありがとう。
そう、小説の最後、397ページ
「お父さん、ありがとう」
で、家族再生の物語は終わる。
ハッピーエンドは、いいね。
よい本でした。