禅の一言。 差別(区別)と平等  色と空

今日の坐禅会。

教えてもらった、今日の禅の一言。


差別(区別)と平等  色と空
「二項併呑(にこうへいどん)」 は禅のこころ どちらにも偏しない 
ということ。

 

禅における差別というのは、一般用語の差別とはちょっと違う。
差別(区別)の側面 = 色
平等 の側面 = 空
ということで、色と空。


二つを別物と見ないで、二つを一つのものとしてみる。
心の基本的なスタンスは、区別のあるものを平等に見る。

有と無 
生と死 
明と暗 
個と全体 
意識と無意識

こういったものは、両側面であるけれど、
両側面を別々にみないで、それは一つのものだとしてみる。
ということ。

 

禅の指導で
放行と把住 (ほうぎょうとはじゅう)
という言葉がある。
禅の指導をするときに、全部開いて、自由にやらせるのが、放行。
ぎゅっと握って、押し込めて、一点にもっていくのが、把住。

 

自由と規律  
相対と絶対

 

事と理   
事実と原理  
現実と理論

世の中には、色々な相対する言葉があるけれど、いずれも、一つのものとして考える。

 

うん。

わかるような、わからないような。

でも、どちらか片方しかない世界はないのだと思う。

身近なところで言えば、

喜びと悲しみ

長所と短所

どちらかしかない人生なんてない。

 

全てのものについては、区別がある。 
区別があり、平等である。

 

最近、「個性」という言葉に、違和感のようなものを感じたことがある。

「個性」があるから、「区別」があっていいのだが、そこに一般用語でいう「差別」はないほうがいい。

 

最近、10代の大学生が語っていた言葉で、

「小学校から高校まで、協調性をもてとか、みんなと同じになることを指導しておいて、大学入試や就職活動で、いきなり『個性を発揮しろ』なんて言われても、戸惑う人はたくさんいる。教育者はそこに矛盾を感じないのか」

と。

なるほど、そりゃそうだと思った。

こうして、はっきりとそれを意見として10代から50代までの幅広い年齢が集まるとある場で発言できる彼女を、素敵だと思った。

責める言葉として発言したのではなく、あくまでも、私はこう思う、という大人の発言だった。

彼女の「人格」が、そう発言させているのであり、それは「個性」というものではないような気がした。

 

「個性なんてほっておいてもあるもんだ」と、養老孟子先生もいっている。

大切なのは、「個性」ではなく、「人格」ではないだろうか。

 

7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)に、「人格主義」という言葉があるが、ここでいう人格も、人にはそれぞれ区別、違いがあるということなのかもしれない、という気がしてきた。

それぞれの人の「人格」を認める。

ただそれだけのこと。

それが、「平等」、ということなのかもしれない。

 

色即是空

なんとなく、語感が好きで、旅先で遊んだ有田焼の絵付けをするときに書いてみた。

色即是空

 

色とか空って、広がる感じが好きだ。

 

区別しないとか、平等に考えるとか、

執着しない、という生き方ともつながるのかもしれない。

 

執着しないと、生きるのが楽になる。

でも、執着することで、楽しくなる人生もある。

これも、両面ということなのかもしれない。

 

今日も、好きに生きよう。

今日も、煩悩だらけの坐禅だったけど、

素読じゃないけど、見様見真似でやっているうちに、

いつかできるようになるかもしれない。

 

とりあえずは、まねっこでもいい。

やってみよう。

 

話が拡散してしまったが、これも、放行ってことで。。。。