「看る力」 by 阿川佐和子 大塚宣夫

「看る力」 by 阿川佐和子 大塚宣夫
阿川流介護入門
2018年6月20日第1刷発行
文春新書 文藝春秋

 

知人が、「75歳を過ぎたら1日安静にしているだけでも、6~7%の筋肉がおちる」と書いてあった、というので、興味をもって読んでみた。健康維持に関する本を読むのは、私の趣味の一つ。特に、高齢になると、、、という事にますます興味が高まる今日この頃。

 

まぁ、なんとかなるか、という明るい気持ちにさせてくれる本。と、私は思った。人によっては、やっぱり心配、という人もいるかもしれないけど。楽しい二人の対談。

阿川佐和子さんといえば、エッセイ集などでもよく父親、母親のことを書かれている。その頑固だった父親、弘之さんを94歳で看取る。そして認知症の母の世話をする。そんな介護経験豊富な阿川さんと、高齢者医療の第一人者である、慶友病院会長、大塚医師との対談。

 

80歳を過ぎた両親を持つ私にとっても他人事ではない。

 

経験豊富なお二人の言葉は、介護中の人には、かなり参考になるのではないかと思う。
この、高齢化社会、誰にとっても、介護は無関係ではないだろう。たとえ、自分の両親、義理の両親がすでに健在ではなかったとしても、周囲に高齢者があふれているのが当たり前の社会になりつつある。
そして、そもそも、生きていればだれもが歳をとるのだ。

生きていれば、間違いなく、明日は我が身・・・。

 

育児と違って、介護はいつ終わりが来るのかもわからないというのが一番の不安要因。精神的にも、金銭的にも。
自分もこうなるのかな、、、と漠然とした不安のようなものをもつのは自然なこと。

高齢になって、自分のことが自分でできなくなったとき、自分はどうしたいのか、どうしてほしいのか、考えたくもないことだけど、考えておくのも必要かもしれない。

 

そして、「あぁ、そう考えると楽なのかもしれない」と、この本は、思わせてくれる。

 

お二人の言葉から、覚書。

 

「高齢者でも、好物は喉に詰まらない」

誤飲による肺炎が怖いから、といって、高齢者に好きなものを食べさせない施設が多い。でも、大塚先生は、「食べたくもないものを食べるからのどをとおらない。好きなものは誤飲することはない」とおっしゃる。
なんて、心強い。

わたしなら、食べたいもの食べて、誤飲して死ぬなら本望?!

我が母も、そのように意思表示している。というか、ボケても、病気になっていても、ご飯を美味しそうに食べていたら、そのまま生かしておいて、と言っている。食べれなくなったら、死んでいいのだそうだ。

食いしん坊の家系なのだ。


「介護は長距離マラソン。全力疾走したら自分が倒れる。プロや他人の力を頼るべし。」

まさに。本当にその通りだと思う。知り合いの介護関係の方にも、よく言われる。実際、私の実家も、介護認定3を受けている父を、母が自宅ですべての面倒をみるのはもう無理。父は、施設に入りっきりではないけれど、短期間でもいつまで自宅に戻ることができるものか。。。。幸い、身内のだれもが家族だけで面倒をみることにこだわってはいないので、父の状態、そして施設の受け入れ次第。。。借りれる助けは、なんでも借りる。


孤独死で何が悪い」

孤独死は、社会や国のせいで家族が悪い、という論調があるけれども、人は必ず誰かが見ているところで旅立つべきだと言う「あるべき論」があるから。最後くらい、人知れず死にたいと思う人がいたっていいと思う、大塚医師はいう。
高齢者を一人にしておいちゃいけない、と思うのは周囲であって、「一人で死なせてもいい」という覚悟がないから、だと。

私も、できることなら、猫のようにどこかでひっそり死にたい。

とは言って、山奥で行倒れるわけにもいかないだろうから、孤独死でもいいけど、死んだ後に誰かが見つけてくれないと困るなぁ、と思っている。

 

私の祖母は103歳で病院で亡くなった。100歳まで自宅で、まったくボケもなく、介護もなく。ちょっとボケた自分の息子の面倒を見て暮らしていた。北国の一軒家で、雪もあぶないからといって、100歳になったときに、周囲が無理やり自宅から施設に引っ越しさせた感じだった。料理から洗濯から、全て自分でやっていて、介護の「か」の字も必要としない祖母だったのだけど。年齢を感じさせるところと言えば、100歳を過ぎたころから、ちょっと耳が遠くなったことくらいだった。庭の花いじりが好きだった祖母は、私が贈るお花を、上手に何年も庭で咲かせてくれていた。「もう、送ってくれても植えるところないからね。」と祖母に言われたとき、グワッと胸をつかまれたように痛んだ。

 

私の母だけが、兄弟姉妹の中で遠方にすんでいた。

なので、祖母のことは近くの親戚が対応してくれていた。

 

施設に移っても、祖母は毎日散歩もして、元気だった。ご飯も自分でつくっていた。
ある日、胸が痛いといって、そのまま救急車で病院に運ばれて、胸の痛みはすぐよくなったのに、ちょっと検査するからと言われて、そのまま退院させてもらえなかった。


祖母は「わたしは、いつ、帰れるのかねぇ?」といっていたそうだ。ベットから起き上がれていたのに、病院は検査だと言って、誤飲が怖いと言って、食べ物は一切食べさせてくれなかった。飲み物すら。
そのまま、祖母は、どんどん衰弱し、1か月ちょっとの入院で亡くなった。

正直言って、病院に殺された、という気分だった。私は直接病院の医師とは話をしていないから、また聞きで、ちゃんとした理由を私が理解していないだけかもしれないけど。

 

本人が食べたいと言っているのに、食べさせてくれないんだと、母からきいて、
「もう、ばぁちゃん100歳過ぎてるんだから、好きなもん食べさせてあげればいいじゃない!それで死んだら、それはそれだ!」と、思わず電話でさけんだ。親戚もそうしたいのも山々、でも医者の言いつけを守ればまた元気になるかも、という思いでいたと思う。

 

亡くなる前の日、叔母が祖母の口元をジュースで湿らせてあげたらしい。医者の言いつけを破って。
「おいしい、おいしい」といって、ぺろぺろなめたと。
翌日、2019年12月29日、祖母は静かに息を引き取った。

 

コロナがまだそれほど緊迫感をもって伝えられていなかった2019年の年末から2020年の年始にかけて。慌てて、母の飛行機のチケットだけを確保し、母一人で祖母のところへ飛んだ。
母は、火葬する前に祖母に会えた。

母が着いた頃には、みんな泣くだけ泣いて、いつもの親戚のにぎやかな集まりだったと。まぁ、大往生。なんと、1月1日御通夜、2日にお葬式という。

さすが、我が祖母よ。

死んでも、人に忘れられない日を選ぶ。

あっぱれ。


でも、私はまだお墓参りにも行けていない。
コロナで、自粛。。。あれから、もうすぐ2年だというのに。  


はたして、祖母を施設に引っ越しさせたのは、正解だったのか?
わからないけど、遠方にいる私たちが口出しするのも違うとも思った。

 

大塚医師も言っている。普段一緒に過ごしていない人ほど、色々口出しするが、本人の意思とは関係ないことが多いと。あるいは、そばで一緒に過ごしている人の苦労を理解していないと。

 

だいぶ、本から話がそれたが、大塚先生は、高齢になっても一人で暮らせるうちは一人で暮らすのがよい、という。周りが世話をやくと、本人がやることが減る分、衰えが早くなる。たとえ、認知症になっても、一人でも暮らせるものだと。
施設に閉じ込めるのは、介護する側の理屈だと。

 

そして、年寄りの骨折は、本当に致命的。それを避けるためにも、高齢者の脚の変化はよく気を付けてみておくべきと。足の爪が手入れされているかも重要だそうだ。

75歳を過ぎると、一日安静にしているだけで、6~7%の筋肉が落ちて、一週間続いたら、3,4割の能力が落ちてしまう。それを取り戻すには、その3,4倍の時間がかかる。しかし、高齢になると、それとは別に他の機能も落ちていく、、、。動かないことで、認知機能も低下する。

75歳を過ぎると、もう、絶対の元のようにはならないそうだ。。。

衝撃。。。。

 

高齢になったら、昔できていたことも、できなくなって当たり前。

できないことが増えても、そんなもんだと割り切る。

そうすると、楽に生きていけるのかもしれない。

でも、骨折には気を付けよう。

 

大塚先生は、高齢になったら、たいして新陳代謝もないから、お風呂だって1週間に一回だって、死にはしないって。食べずに死ぬ人はいるけど、お風呂に入らなかったからと言って、死んだという人は聞いたことがない、と。

笑っ!

確かに。


できれば、ピンピンコロリといきたいものだ。

 

と、自分のことはさておき、両親にもできるだけ元気にいてもらいたいものだ。

だから、電話で「歩かないとボケるよ!」と、せっせと母をせっつく。

元気でいてもらいたいのだよ、娘としては。

 

見る

観る

診る

看る

 

育児も介護も、やたらと手を出すのではなく、観察するという事が大事なようだ。

 

ま、まずは自分の健康に気を付けよう。

食べる、動く、寝る!

仕事は、暇なときにちょっとやろう。。。

 

 健康第一!