五感は誤らない。誤るのは判断である。
ゲーテの言葉。
三木成夫さんの著書、「胎児の世界」に出てきた言葉。
人の脳は、左と右とでは、左が「論理」をつかさどる「ロゴス脳」で、右が「勘」をつかさどる「パトス脳」。論理的左脳と、直感的右脳。脳は、左と右で分業している。
本の見開き右ページは活字ばかりで、図などは左ページに載っていることが多い。
電話で、声だけ聴きたい時は左で聞くことが多い。文字を書くときは右手。
人間の感覚ー運動器官は、右側が文字や言葉のロゴスの世界、左側が絵や音楽のパトスの世界を得意とする。
右目は左脳に、左目は右脳に、神経の交叉で反対側の脳とつながっているから、そのようなことになる。
ところが、耳鼻科のお使者さんが明らかにしたのは、日本人は「自然の音」を左の言語脳で聞いているということ。
様々な民族の「自然の音」のきき方を電流を使って調べたところ、日本人は、「虫の音」を左の言語脳で聞いていて、欧米人は「虫の音」を「雑音」として右の音楽脳で受け止める、ということが分かった、ということ。
様々な民族による「虫の音」の聞き方を調べると、日本に近い韓国や中国の人は日本人とは全く違っていて、ハワイ、サモア、トンガ、ニュージーランド、、ポリネシアの人は、日本人と同じように「虫の音」を言語脳で聞いていることが分かった。
そして、ヤシの実を汁を飲んだ時、「オレの祖先はポリネシアか!」という感覚とつながったという話。
別途、血清学的地位による世界民族の分類の話も出てくるのだが、日本人は、蒙古民族よりは、西アジア、東ヨーロッパ人に近い型を持っているらしい。
お隣の国なのに、そんなに近しさを感じないのは、不思議なことではないのかもしれない。
なるほど。。。
誤るのは判断である。
ゲーテ、ドイツの小説家、劇作家、詩人、科学者、政治家。ドイツを代表する文豪。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。Johann Wolfgang von Goethe
1749年8月28日生まれ。 1832年に、82歳でなくなっている。
1750年ころと言えば、プロイセン絶対主義の時代。
ゲーテが「若きウェルテルの悩み」を発表したのが、1774年。
1774年、日本では、前野良沢・杉田玄白が「解体新書」を刊行した。
200年も前の人の言葉に、心動かされる。。。
五感は誤らない。誤るのは判断である。
200年前から、人は、同じことを繰り返しているのかもしれない。
直観的に、気持ちいい、あるいは、違和感があるとか、身体が感じているのに、思考がそれはだめだとか、そういうものなんだと思い込もうとする。
思考の癖。
判断、思考。
物のとらえ方は、その人の考え方の癖。
目の前ある事実は変わらないのに、それをどうとらえるかは、人の思考。
思考して悩む前に、もっと、五感を信じてもいいのかもしれない。
失敗や、成功も、その人が失敗したと思えば失敗だけど、成功したと思えば成功。
得点を競う野球やサッカーのようなスポーツの勝敗は、勝者もいれば敗者もいる。
でも、観客で見ていれば、どちらでもなく、そのゲームが楽しかったか、つまらなかったか。どちらかを応援していたのなら、うれしいか、残念か。
でも、ゲームそのものは、ゲームそのものだ。
認識があるだけ、ということだ。
ゲームを見ていた時間、ドキドキワクワクして、それを楽しめたなら、それでいい。
楽しい時間を過ごせたことに、あぁ、よかった、と思えたら、応援するチームが勝っても負けても、よい時間の使い方をした!と満足できる。
だって、応援する側は、結局のところ応援しかできないし、応援するチームが負けたことを悔しがっても、自分が練習に励んでそのチームが強くなるわけでもない・・・。
スポーツ観戦は、一生懸命にやっている人をみて、元気をもらって楽しむのがいい。
身体が楽しめる感じ。
勝ち負けの結果は、おまけみたいなもの。
結果を、良いとか悪いとか、判断しているのは自分の価値観。
負けたとしても、楽しんだもん勝ちだ。
「物は考えよう。」ということか。
五感を無視して、理性で考えて、誤ることがある。
でも、あとから考えて、あれでよかった、と思えるように行動するためのティップスは、「五感を信じる」という事かもしれない。
信じられなくても、信じてみる。
「マインドセット」という言葉があるが、自分では気が付かないうちに思い込んでいることがある。
「私には無理」というのが、できれば外したい思い込み。
「きっと大丈夫」というのは、それを勇気に頑張りたい思い込み。
「私には無理」と思っているときには、身体が縮こまる。
無意識に、筋肉がきゅっと縮んでしまう感じ。
身体をゆるめておくと、「もしかしたら大丈夫」と思える確率は高まる。
お稽古ごとの発表会。
「きっと大丈夫」と信じて、深呼吸をして本番に臨む。
身体がほぐれると、上手くいく。
仕事の大事なプレゼン。
「きっと大丈夫」と信じて、自分の言葉で語れば、
話しているうちに、身体はほぐれる。
身体がほぐれると、全身で、その空気を味わうことが出来る。
余裕ができて、落ち着いてくる。
細かなところに気が付き始める。
人の反応に目がいき始める。
結果、やり通せた、という自信につながる。
自信が、次の「きっと大丈夫」を生み出す。
五感を信じよう。
五感を使おう。
今、何が見えているか。
外は、どんな音がしているか。
街は、どんな匂いがしているか。
今日のコーヒーは、どんな味がしているか。
今朝のタオルは、フワフワしていたか。
五感を意識すると、たいしたことのなかったことが、特別になることがある。
せっかくだから、五感をもうちょっと意識してみよう。
今日の空は、台風一過の晴天。
この青空は、昨日とどう違うのか。
味わってみよう。
五感を磨くことで、誤りを減らせたらいいな、、、って思う。
野生の勘を取り戻せ!
だな。