「13歳からのキリスト教 」 by 佐藤優

13歳からのキリスト教

佐藤優

2021年8月15日

青春出版社

 

佐藤さんのキリスト教に関する本を、初めて買ってみた。

ちょっと、キリスト教が学びたい気分の今日この頃。


佐藤さんが、小さいころから母親に連れられて教会に通っていて、プロテスタントであり、そのことで不条理な拘留にも耐えてこれた、ということはこれまでの佐藤さんの著書にも書かれていて知っていたけれど、改めて、佐藤さんの世のなかを見つめる視線がプロテスタントの教えに基づいている、という事を認識させられた一冊。


なかなか勉強になる一冊だった。

「13歳から・・」、というけれど、キリスト教にあまり馴染みのない大人にも充分濃い内容の一冊。
さすが、青春出版、という感じ。

難しい?漢字にはフリガナまでついている。。。

とっつきやすい一冊。

 
キリスト教に関してのみならず、佐藤さんの生い立ちを知る一冊でもあった。
 
小学生時代、プラモデルに夢中
中学生時代、アマチュア無線に夢中に。でもすぐに、興味は、読書へ。
中学3年生で、受験勉強まっただなか、同級生の自殺を経験する。
その時、悲しくてお葬式で泣いた。でも、「これで競争相手が減った」と心のどこかで思う自分に驚く。自分のなかの罪を見た経験とその告白。
高校生、「光の子と闇の子」ラインホールド・ニーバーの著書に出会う。
キリスト教に興味を持つ。
無神論を勉強したくなって、同志社大学神学部へ進学する。
19歳の1979年12月23日、クリスマス礼拝の時に洗礼を受ける。
1985年 外務省入省
1988~1995年 1年半間の英国研修を経てロシアへ。
英国滞在1年半の間に、神学・哲学の本を2000冊くらい読んだ、、、と。
2002年 宗男事件がらみで、逮捕。。。。
拘留中、聖書の「ヨブ記」に救われる。
 
とまぁ、キリスト教の勉強の前に、著者である佐藤さんのことを改めに知ることのできる一冊だった。
 
キリスト教に関する本なので、イエス・キリストとはどういう人なのか、聖書とは何なのか、とても基本的なことが丁寧に説明されている。
イエス・キリストは、「神」と「人」との通訳者のような立場であり、だからこそ自分の裁判では、「人」の代表として罪を背負って死を受け入れる。弱い人々を数々の奇跡で救ってきたにも関わらず、自分のときには奇跡を起こさない。「人」として死ぬことで、罪を背負った。
うむむ。まぁ、そういう解釈なのだろうが、私にはまだよくわからない。
 
聖書の言葉には、なるほどそうか、と心動かされるものもある。


「隣人を愛しなさい」 (マタイによる福音書は、有名な言葉だ。

キリスト教でいうところの「愛」は、ギリシア語で「アガペー」のこと。アガペーとは、「エロース」(性愛)や、「フィリア」(友愛)とは違う。アガペーとは、神が人をいつくしむような無償の愛のこと。
「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」というのが、聖書の言葉。


人を愛せる人は、自分のことも愛せる人。つまりは、自分に自信がある人、と、佐藤さんは解説している。
自分を愛するとは、「自己重要感」、「自己受容感」を持てるということ。
いわゆる、「自己肯定感」と近いのかもしれない。

 

「自己肯定感」という考え方が、キリスト教に由来していると考えると、儒教神道の国である日本で、「自己肯定感」という言葉のとらえ方が説明しにくいのはちょっとわかるような気がする。

 

やはり、まずは自分を愛すること、自分を幸せにすることが第一歩。

それは、自己中心ということではない。

隣人を愛するために、自分を愛することから始める。

みんなの幸せは、自分の幸せから。


 
「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書
知らないことを学ぶことで、人はより自由に生きることができる、ということ。

 

そうだ、私は自由に生きたいから、もっとたくさん知りたいのだ。


 
たしかに、聖書の言葉には、心が癒されるものがある。


でも、やはり、資本主義の中で生きてきた私には、”利益を目的としたビジネスは強盗と同じだ”、というイエス・キリストの思想をなかなか100%肯定することはできない。


貧しいものに分け与えよ。
それは、共感する。
でも、利益を目的としたビジネスがあるから社会は成長してきたのではないのか??
 
でもって、欧米には、カトリックプロテスタントもたくさんいるし、資本主義で成長してきたという事実もある。
宗教と経済って、、、、??

ユダヤ教の人なんて、稼ぐのすごく得意じゃないか!

あ、ユダヤ教キリスト教は違うか・・・。


 
やはり、信仰をもつという事と、ビジネスをするという事の関係、そのあたりはよくわからない。
 

第四章 つらいときでも希望が持てる「聖書の名言」、という章がある。

「求めれば与えられる」

「他人を裁いてはいけない」

「他人の過ちは何度でも許す」

などなど、、、、。

 

なかなか、心に響くものがある。

 

せっかく買ったので、時々読み返してみようと思う。

 

覚書。
復習になった、カトリックプロテスタントの分かりやすい違い。
カトリック:「ローマ教皇」、「マリア様」、「ミサ」、「司祭」、「神父」
プロテスタント:「礼拝」、「牧師」
教会に行って、マリア様がいたら、カトリック、だそうだ。

 

宗教はわからない、、、と言っていると、世界で起きていることが理解できないんだな、と思う今日この頃。

少し、歴史と共に、宗教も勉強してみようと思う。。。

 

日本では決して多くないキリスト教徒だけど、私の身近には結構いたりする。

7つの習慣、第五の習慣:理解してから理解される(まず理解に徹し、そして理解される)、っていうのもあったね。

 

カトリックの友人も、プロテスタントの友人も、大切な人たちだから、

理解することに徹してみよう、と思う。

 

宗教、歴史、、、、理解してみたいことが多すぎる。

自由になるためならば、楽しんで学んでみよう。