「社会はなぜ左と右にわかれるのか」 by ジョナサン・ ハイト

社会はなぜ左と右にわかれるのか  

対立を超えるための道徳心理学 リベラルはなぜ勝てないのか?
Why Good People Are DIvided 2012

ジョナサン・ ハイト 著

高橋洋 訳
2014年4月30日 第一刷発行
株式会社紀伊國屋書店

 

「感情」と「理性」における、「象」と「象使い」の比喩のオリジナル本、と言ったらいいだろうか。
感情と理性の関係について、道徳心理学の視点から語られた本。

 

著者のジョナサン・ハイトは、1963年生まれの社会心理学者。バージニア大学准教授を経てニューヨーク大学スターンビジネススクール教授。 

 

心理学に関する本、「スイッチ! 変われないを変える方法」(チップ・ハース, ダン・ハース)で引用される、象(欲求)と象使い(理性)による思考の変化のたとえを、最初に言語にしたのが、この本。ということで、読んでみた。
原書は、2012年。

 

Amazonの広告をそのまま引用させていただくと、
”皆が「自分は正しい」と思っているかぎり、左派と右派は折り合えない。
アメリカの政治的分断状況の根にある人間の道徳心を、
進化理論や哲学、社会学、人類学などの知見から多角的に検証し、
豊富な具体例を用いてわかりやすく解説した、全米ベストセラー!
気鋭の社会心理学者が、従来の理性一辺倒の道徳観を否定し、感情の持つ強さに着目。
自身の構築した「道徳基盤理論」で新たな道徳心理学を提唱する、注目の一冊。”
だそうだ。

 

本書は、3部に分かれる。第1部は「まず直感、それから戦略的な思考」という道徳心理学の第1原理の提起。本書の主題と言っていいだろう。
続く第2部は、道徳心理学の第2原理「道徳は危害と公平だけではない」。第3部は「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」という道徳心理学の第3原理。 

 

第1部では、どうして人間は道徳的な考えを持つようになったのか、ということから、人間の思考は、何に基づくのか?という事について、たくさんの実験の例をあげつつ、著者の見解が述べられている。


道徳は何に由来するのか、という考えについては、生まれつき(先天論)と子供の頃の学習という(経験論)の間で論議がされてきた。著者が考えに至ったのは、「 道徳は生得的な性質と社会的な学習の複合である。私たちは、「正義心」を持って生まれてくる。しかし何に関して「正義を貫くべきか」については学習しなければならない」、ということ。

育った環境で、文化が異なることによって、道徳を発揮しなくてはいけない状況はことなるという。アメリカ人にとっての道徳的行動が、インド人にとっての道徳的行動であるとはかぎらない、という事例が紹介されている。社会的慣習は、学習することで道徳となっていくことがある。

 

そして、「正義を貫くべきか」を考えるのが、思考。しかし、その思考は、直感や感情があって初めて始動するものであり、思考だけでも、直感だけでも人間の行動をきめるものとは言い切れない、という。

 

直感が、彼の言う「」だ。そして、思考は「象の乗り手」。チップの書籍では、思考は「象使い」と訳されていたのだが、本書では、「乗り手」と訳されている。そこには意図があって、「象使い」であれば象を自由に操れそうなものだが、実際にはそうではないからだ、と訳者の註が入っていた。

 

著者の考えは、「理性は情熱の召使に過ぎない」というヒュームの表現に近い。例えば、脳に損傷を負うなどして、情熱を無くしてしまった人は、理性的に考えることもできなくなる。鬱で情熱を無くしても、理性が働きにくくなる。

 

「象」と「乗り手」は、協力しあって自分の思考が動いている。
そして、どちらが強いかと言えば、「象」だということ。

最初は、「象」。「象」が動くことで、「乗り手」が「象」をコントロールしようとして動き始める。

 

「象」が本能的な感情である、とするならば、どんな本能的感情、道徳があるのか?というのが第2部。

道徳(正義心)にも領域があって、5つの基本味(甘味・塩味・酸味・苦味・うま味)のアナロジーで、5つの基盤をあげている。

ケア/危害 : 苦しんでい入る人や子供をケアする心。その逆。
公正/欺瞞 : 双方向で協力し合おうとする心。その逆。
忠誠/背信 : チームや連合体への忠誠心。その逆。
権威/転覆 : 階級・年長者への心。その逆。
神聖/堕落 : 神に従う心。清潔さを求める心。その逆。

そして、アメリカにけるリベラル派と保守派の人々が、これらの5つの道徳に対してどのように重視しているか、という研究をしている。

リベラル派は、ケア/危害、公正/欺瞞を重視するが、保守派は、5つすべてを重視する傾向が見られた。
かつ、くわえて、

自由/抑圧 : 自立心。

という、道徳心も社会の価値観の違いのなかで重要な領域だ、という考えに行きつく。

 

つまり、ケア/危害、公正/欺瞞 に関する政策ばかりを叫んでも、保守派の支持を受けるのは難しい、ということ。保守派の「象」は、6つの領域すべてに反応するので、「ケア・公正・自由」だけをうたっても、どれだけ理性的に説いても、響かない、というわけだ。


第2部と第3部は、アメリカの社会分析のような内容なので、結構読み飛ばしたけれど、この本の出版後、トランプ大統領を迎えたことを思うと、なかなか興味深い。

 

道徳的行動の事例として出てきたいくつかの例が、「Humankind」で引用されていたものと重なるものがあって、本書がいかに道徳心理学の書籍として意味あるものだったか、ということに気づかされた。

megureca.hatenablog.com


自分の心も、相手の心も、「乗り手」を動かそうと思ってもそう簡単には動かない。
「象」そのモノ、直観に、感情に、働きかけないと、人は動かない、、ということだ。

 

そして、「象」がどう感じるか、道徳心は経験によって育てることが出来る。

 

逆に、思い込んだ「直観」を変えるのは、すなわち「象」をかえるということで、それはそれは、、、そんなにたやすいことではない、、、ということだ。

 

まずは、自分の中に「象」と「乗り手」がいるという事を認識しようと思う。

 

そして、本書を読んでいても、アメリカの政治の話は、キリスト教と切り離すことはできない、、ということがよくわかる。

道徳に、「神聖」という言葉が出てくるのも、聖書に手をあてて宣誓をする国ならでの解釈であって、日本でいう「八百万の神様」とは、ちょっと違う。

 

合理主義の妄想、として理性第一主義を否定する著者が、文中、フランスの認知科学ユーゴー・メルシエとダン・スペルベルの言葉を引用している。

「議論の巧みな人は、(・・・)真実ではなく、自分の見解を支持する理由を探している」と。

 

人間の思考を発達させたのは、真実の探求心ではなく、自己正当化のため、と考えたほうが納得性がある、と。理性と言っているのは、自分の思考に対して、それらしい「言い訳」を探しているに過ぎない。でも、そうすることで人間の思考は発達してきたのだと。

 

第49回衆議院議員総選挙が終わった。

与党が議席数を減らしたものの、過半数を取得。

これは、どんな「象」への働きかけの結果なのか?

ちょっと、考えてみると面白いかもしれない。

 

心理学は、政治にもつながる。

政治は、未来につながる。

政治が理解できると、未来をもっと考えられるようになるかもしれない。

 

結局のところ、政治も、当事者意識がなければ、興味を持てない。興味をもつのは、「乗り手」ではなく「象」なのであれば、自分の「象」の興味を見つめ直してみると面白いかもしれない。

 

 

読書は楽しい。

 

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社会はなぜ左と右にわかれるのか  ジョナサン・ハイト