「資本主義の極意」 by 佐藤優 

資本主義の極意 明治維新から世界恐慌
佐藤優 
NHK出版新書
2016年1月10日 第1刷発行

 

図書館で、経済学の棚を覗いていたら、目に入ったので借りてみた。

資本主義の極意というから、資本主義がどうすごいか?という本なのかと思ったら、そうではない。

資本主義を「理解するため」の極意だった。

 

本書の そでの説明によれば、
「将来不安が増す一方で、急速な世界株安が起こり、テロの暗雲が世界を覆う。なぜこのような状況に陥ったのか?戦争の時代は繰り返されるのか?個々の生き方から国際情勢までを規定する資本主義の本質を解き明かす。明治期にまでさかのぼり日本独特の問題点を明らかにするとともに、資本主義の矛盾の中で生き抜く心得を解く」
とのこと。

生きづらさを感じる世の中ではあるけれど、何が自分の不自由さをもたらしているのか、メカニズムの本質を理解することで、不自由さを感じさせる正体を知り、自由になれる感覚を得よう、というのが佐藤さんの意図。

わからないから怖い、を克服するためには、知らねばならない。
資本主義を深く学ばねばならない、というのが、佐藤さんの主張。


目次は以下の通り。
序章 資本主義を日本近代史から読み解く
第1章 日本資本主義はいかに離陸したか?
第2章 日本資本主義はいかに成熟したか?
第3章 国家はいかに資本に介入したか?
第4章 資本主義はいかに変貌したか?

本書では、マルクス資本論を用いて、資本主義の原理が分かりやすく説明され、マルクス経済学者・宇野弘蔵の論理を用いることで、日本における資本主義の特殊性が説明される。「講座派」と「労農派」の日本資本主義論争も、わかりやすく説明されている。

 

マルクス資本論で説明されるのは、基本の基本、「労働力の商品化」が資本主義のキーであるということ。そして、対価として払われる賃金には、

①労働者の体力維持(食費・衣料・住まい)

②労働階級の再生産(家族・子供を産み育てる)

③自己教育(技術進歩に合わせて自分を教育する)

に必要なものが含まれる。

昨今の非正規雇用者は、①しか受け取っていないようなものだから、結婚しずらくなっているという話。

 

宇野経済学は、何度も読んでは挫折していたのだけれど、三段階論(原理論・段階論・現状分析)と、段階論の中の「重商主義」「自由主義」「帝国主義」との変遷の説明で、なんとなく、日本の資本主義が、国家の介入のしかたとして列強のそれとは違っている、ということが分かってきた、気がする。

宇野は、恐慌は資本主義が回り続ける上で、必要不可欠の現象、と言っている。
好況→労働力不足→賃上げ→利益低下→恐慌→イノベーション→好況
と、恐慌は好況から始まる。
資本がたっぷりあるからビジネスを拡大する。でもそれが、賃上げにつながって、利益低下から恐慌をもたらすと。そして、それを克服するためにイノベーション
そして、そのイノベーションが起こりやすいのが戦争。。。。

 

確かに、明治からの日本の歴史でも、好景気は戦争景気だ。。。
佐藤さんは、安倍首相は軍事産業を利用している、と指摘する。

 

と、資本主義と言うのは、どこまでも永遠に好況と不況とを繰り返して続いていくものなのだろう。

そして、生きずらさを感じたとしても、そもそも資本主義というのは幻想の上に成り立っているものであり、そのメカニズムは個人の力でどうにかなるようなものではない。

何が幻想かと言えば、「株式資本」も「労働力の商品化」も幻想だ、ということ。
人間は24時間働けるモノではないし、株式の配当も株式そのものが生み出すのではなく、あくまでも商品が貨幣価値に変わったときの利潤の一部。
配当は、株を持っていれば必ず入るものではない。
労働力(=人)は、お金があれば作れるわけではない。
だから、資本主義の理想は、幻想であり、そのフィクションをみんなが信じているから変えることが出来ない。

人間をモノのように扱えば扱うほど、労働力の再生産はできなくなる。結婚や子育てをあきらめる社会では、資本主義は弱体化していくしかない。。。

 

資本主義の基本は、あらゆるものの商品化である。
労働力が商品化され、労働者は労働を提供することで貨幣として収入を得る。
資本でもって労働力を買う資本家は、そこから生まれる利潤を蓄える。
利潤は労働者へは回らない。
はたらけど、はたらけど、、、、。
資本家は資本を拡大する。
格差拡大。

これは、脈々と100年以上続いてきた社会の仕組みだということだ。

商業生産されたもの以外にも、様々なものが商品化される時代。
水だって、二酸化炭素だって、お金で取引される。
人間関係だって、結婚相談所は何も実態のあるものは作っていないけれど、関係性を作る場を商品にしている。

これからも、資本主義はしばらくの間続いていくのだろう。

 

カネに支配される理由が分かると、少し生きづらさを解消できるのかもしれない。


最後の方で、「コモンズ」や「シェア」についても触れられている。
佐藤さんは、
「モノや情報を共有したり分け合ったりするこれらの実践は、商品経済以外の人間関係のあり方を提起する点で貴重なものです。しかし、それはあくまで資本主義システムの周辺で行われている実践にとどまります。シェア経済が商品経済にとって変わり、資本主義がドラスティックに変貌する、あるいは終焉するなどということはありえません。これらの試みは生活の隅々まで資本の論理に支配されないための、一つのアイディアとして受け止めれば良いでしょう。 」
と言っている。
なるほど。

「コモンズ」も「シェア」も、耳障りはいいし、個人的にも悪くない、と思っている。でも、佐藤さんが言うように、「商品経済にとって変わる」なんてことは、やっぱりあり得ないのだ。
腹落ちした感じ。

 

では、そんな資本主義の実態を理解したところで、どうしたら自由の感覚をとりもどせるのか??


じたばたせずに、「急ぎつつ待ち望む

神学者カール・バルトの言葉が引用されている。

 

キリスト教神学の「終末遅延」に関する言葉だが、キリスト教の「終末」が遅れていることに対しては、焦らずに待つ、という姿勢。

それと同じように、資本主義もいつかは終焉するかもしれないけれど、いつだかわからないのだから、焦らずに待てばいい。待つことにおいて期待する。

高望みせず、しかしけっしてあきらめない

そして、その時が来た時こそ、資本主義を越えた良い社会を作らねばならない、と。

 

高望みせず、あきらめない、、、とは、なんとも精神論的だけれど、大きすぎる理想を掲げると現実とのギャップに苦しむけれど、高望みではない希望をもてばいい、ということかな?

 

資本論についても、エッセンスだけが記載されていて、さすが佐藤さん。
勉強になる一冊だった。

まだまだ、マルクス経済学も宇野経済学も理解しきれないけれど、シンプルにまとめられていて、良書だと思う。

 

読書は楽しい。

 

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『資本主義の極意』 佐藤優