『「悪」の進化論』 同志社大学講義録  by  佐藤優 (その1)

「悪」の進化論
同志社大学講義録
ダーウィニズムはいかに悪用されてきたか
佐藤優
集英社インターナショナル
2021年6月30日 第1刷発行 

 

図書館で佐藤優で検索して出てきた一冊。比較的新しいけれど、すぐに借りられたので借りて読んでみた。

 

本書は、2019年8月21日から23日に、同志社大学京田辺キャンパスで行った集中講義の記録をベースに作成されている。つまり学生相手の講義の記録なので、時々学生との質疑応答があったりする。集まった学生は、文理横断するサイエンスコミュニケーターを育成する目的で副専攻として儲けられた講座に参加している人たち。文系も、理系も交じっている。
542ページの単行本。なかなかのボリュームと内容。3日間の講義内容というけれど、これだけのものを3日間で学んだ学生はすごいと思う。
そして、それを1冊の本として誰でも目にして、読むことができるというのもすごい。
ありがたいこっちゃ。

 

佐藤さんの経歴を、本書掲載から改めて、覚書。
1960年、東京都生まれ。作家。元外務省主任分析官。
1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、本省国際情報局分析第1課において主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕され2005年に執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年に最高裁で有罪が確定し外務省を失職。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『ファシズムの正体』(インターナショナル新書)、『未来のエリートのための最強の学び方』(集英社インターナショナル)など著書多数。

 

表紙の裏には、
チャールズダーウィンが発表した進化論は従来の世界観を根底から覆し、科学に『パラダイムシフト』を起こした。そして今日もなお、ダーウィニズム『人間とは何か』『生命とは何か』を考える原点として、多大な影響力を持っている。まさに『近代史を変えた思想』だ。
 だがその一方で、進化論はダーウィンの意図を逸脱した形で受容されてきた。その結果、生まれたのが、人種差別を肯定する社会進化論であり、また人類の『進化』を意図する共産主義であったが、その『悪』は今再び世界に広がりつつある。
 日本を代表する知性・佐藤優同志社大学の伝説の集中講義で縦横無尽に語り尽くしたダーウィニズムと現代史の関係をここに完全再現する。」

3000円の本。
私は図書館から借りただけだから、ただだけど、面白い本だった。

 

ただ、すんなりと読めたのは、これまでに佐藤さんの本をたくさん読んできたから、それなりに固有名詞や、説明内容に馴染みがあったからだと思う。それらの総おさらい、そして、新たな点と点の結びつき、という感じで読めて、面白かった。

 

目次
序 講義を始める前に
第1講 トランプマークも悪用した「進化論」のロジック
第2講 今も残る「社会進化論」の害毒
第3講 ナチズムの父はダーウィンだった?
第4講 歴史もまた「進化」するか   唯物史観
第5講 スターリンに影響を与えたダーウィニズム
第6講 宗教になった「マルキシズム
第7講 「神殺し」をするドーキンス進化論


序では、学生たちに、しっかり学べ!という、檄を飛ばす感じ。日本の教育は中等教育が置き去りにされているので自分でしっかり学べと。そして専門だけではなく文理融合の考え方を身につけろという話。英語の勉強も、もちろん必須。そして英語と社会科の知識を一緒に確認できる「全国通訳案内士試験」を薦めている。
「全国通訳案内試験」は観光庁がやっている、唯一の外国語に関わる資格試験。1回取得すると一生有効。ということで、通訳を目指している私も、先生から取得をすすめられている、、、。70歳でも現役で各地の観光名所に行っている人がいると聞くと、ちょっと、そそる。


ダーウィンの「進化論」は、誰でも知っているだろう。それは、まさにパラダイムシフトだった。本書で説明されるパラダイムとは、
「ある科学領域の専門的科学者の共同体を支配し、その成員たちの間に共有される、
①ものの見方、②問題の立て方、③問題の解き方の総体」であると定義している。
例えば、人の「脳死」は、パラダイムが確立していない。医師のあいだでも考え方が統一されていないから。ダーウィンの進化論は、神がつくった世界から、神によらない世界、へとパラダイムシフトが起きた。
大人と子供は、パラダイムが違う。だから、大人だったら怖いものが子供には楽しい世界に思えたりする。その世界を広げて育てようというのがモンテッソーリ教育。佐藤さんは、これをすすめているということではなく、日本ではモンテッソーリ教育=英才教育、と誤解されている、ということを言っている。
たしかに、ジェフ・ベソスや、ラリー・ペイジ藤井聡太さんが受けた、と聞くと、そう思ってしまうのかも。でも、子供のパラダイムで育てる、というのがモンテッソーリ教育、ということ。

 

何かを正しく理解、把握するためには、敷衍(ふえん)すること、要約すること、つまり別の言葉で言い換えることができるようにならなくてはいけない、という。パラダイムモンテッソーリ教育を正しく理解するにも、要約力が必要だと。
そして、そのためには、何かの本を読むときは、文章の中心にアンダーラインをひき、全体のプロット(重要な箇所)をピックアップするように読むこと。神学者が聖書を読むのは、まさにそういうことをしている。そして、プロットが先にきて、そこに肉付けすると、一冊の本になる、という。
なるほど。面白い。

 

そして、神学と関連してうまれてきたのが、「プラグマティズムアメリカ哲学の中心。実用主義、実践的な考え方ということ。実践的なことに正しいことがあり、そこに神が望んでいることがある、と。


そして、そこから、「社会ダーウィニズム」に繋がる。
ダーウィンの進化論を、社会問題に無理矢理当てはめたのが社会ダーウィニズム。そしてそこからナチス優生思想の考え方が生まれてきたのだと。それを「社会進化論」という言い方もしている。社会は常に進化していくべきだという考え方。

 

一方で仏教における世界観は、「下降史観」と言われる。世の中は放っておけば腐敗してしまう。だから日本人はそれを「初心忘れるべからず」という表現で表したりする。

社会進化論では人はどんどん進化する。それは新自由主義の考え方と繋がっていく。そして行き過ぎれば、進化できないのはその人がいけないのだと言う人種偏見につながり、実際アメリカでは1907年、世界初の断種法、優生学における断種が実行されている。ヒトラーユダヤ人抹殺思想は、実はアメリカに起源があった、ということ。
また、トランプ大統領だって、社会進化論を利用していると。断種法にいくわけではないけれど、都合の悪いものは、関係を切っていく、それは社会進化、新自由主義のため、ということ。

 

思想レベルと社会的影響力について、アーネスト・ゲルナノーのマトリックスが紹介される。著書『民族とナショナリズムの中で出てくる。
知的に洗練されていて、影響力のある思想
知的に洗練されていて、影響力のない思想
知的に洗練されていなくて、影響力のある思想
知的に洗練されていなくて、影響力のない思想

佐藤さんは、ここで、2番目と4番目は、問題ない、と言っている。そりゃそうだ。影響力ないんだから。で、問題は、3番目の「知的に洗練されていなくて、影響力がある思想」。それが、反知性主義である、としている。
ちなみに、「百田尚樹」さんがの著書がそれだ、と言っている。


社会進化論というのが、とらえ方によっては、偏見を助長するということが第2部で語られる。
もっとも行き過ぎたのが、ナチスナチスは、アーリア人だけが最高だと思った。だからそれ以外は抹殺する。実は、ナチスノルウェーでは、ナチスの親衛隊と金髪碧眼のノルウェー女性との間で子供をつくって、アーリア人種を保全していくという活動をしていた。当時のノルウェーの大統領クヴィスリングがヒトラーの友人だったから。
歴史ではあまり触れられることがないし、今のノルウェーにそのような印象をうけないのは、戦後、クヴィスリング政権の要人を逮捕して死刑にしてしまったから。「すべては、クヴィスリング一派のせいで、ノルウェー人のせいではない」ということにしてしまったらしい。

 

佐藤さんが、よく警告するのは、ヒトラーの思想は今の日本にもある、という話。本書でも、『人は見た目が9割』あるいは、『言ってはいけない』という本は、優勢思想に他ならない、と言っている。
私も、『言ってはいけない』を読んだことがあるけれど、正直、不愉快極まりない本だった。まったく、同意もできないし、なんでこんな本がベストセラーになるのか??と思った。『人は見た目が9割』は、内容がすぐに想像できたので、読まなかった。


第3講 ナチズムの父はダーウィンだった?では、「パレート最適」という言葉が出てくる。ウィルフレド・パレートという経済学者が用いた概念。今でも経済学で使われる用語であるが、もともとはファシズム的に使われた。
パレート最適とは、国家が私的な経済活動に介入して富の再配分を行う、ということ。パレート自身は、ムッソリーニの先生でもあった。つまり、ファイズムを生み出した人でもあるということ。
ここで、佐藤さんがいうのは、国家が私的な経済活動に介入して富の再配分を行うというのは、現在の福祉国家でも行われているけれど、ファシズムの考えとも、共通しているということ。福祉国家は一歩間違えばファシズムに転ぶこともあり得るのだ、と。


そして、生涯現役というのは、実は、ナチスの思想である、とも。生涯現役というのは、裏を返せば、現役でなくなったら価値がない、ともいえる。

ちょっと、考えさせられたのは、例えば、肺がんを減らすために禁煙キャンペーンを張るということにまつわる話。いまでは、嫌煙が一般的になってきて、それ自体は私もウエルカムなのだけれど、 医療費削減のために禁煙キャンペーンとなると、裏をかえせば、喫煙して肺がんになった人は医療費を消費する国家の敵?!ともなりかねない、、と。
健康は、個人の為であって、国家の経費削減目標となると、危うい、、、と。
まぁ、事実、認知症対策も、メタボ対策も、個人が健康で幸せな時間をすごせるということと、社会保障費削減と、両輪あるのだとおもうけれど。

そして、とある大学が採用の条件に「非喫煙者」としたことでメディアが禁煙キャンペーンの良い取り組み、としたのも危ない、と。たしかに、大学で吸わなきゃいいだけで、煙草を吸うか吸わないかを採用の条件にするというのは、行き過ぎている気がする、、、。 

 

そして、近代的な自由権として愚行権が言及される。愚かなことをしてもいい自由。たとえ、他の人が愚かだとおもっても、他者に危害を加えない範囲においては自由にできる権利。それを日本では、「幸福追求権」として、日本国憲法 第十三条で、”公共の福祉に反しない限り”として、認めているという話。
猫を飼うのも、花を育てるのも、公共の福祉に反しない限り、好きにしていいよ、って。

 

第4講では、唯物史観について。国家社会という観点からすると、人類は3段階にわたって発展してきた。狩猟採集社会あるいは前農業社会、農業社会、そして産業社会。農業がすすんで定住するにしたがって、権力が生まれる。ここではまだ国家は生まれない、でも、産業社会になると、読み書き、計算が出来ないといけないから、そういう人材をつくるために、教育が必要になる。それが国家となっていく。

生産力向上→奴隷制度→封建制度→資本主義。それが、唯物史観。物によって社会がかわってきた。そして、唯物史観による未来は、資本主義→社会主義共産主義。。。

唯物史観で大事な考え方が、「上部構造」と「下部構造」。社会の変遷を考える時は、下部構造、すなわち経済を考える。上部構造とは、文化や政治。下部構造、つまり経済が成長しないと文化も政治も成長しない、と考えるのが唯物史観

佐藤さんは、日本人の思考の鋳型に、「唯物史観」は深く根差しているという。「成長していかないと、日本は滅びてしまう」と信じる人は、日経平均もGDPも上がってもらわないと困る、、、。たしかに、、、。

ここで、日本資本主義論争のはなしがでてくる。講座派、労農派の話。明治維新は市民革命だったと考えるのが労農派。でも、充分ではなかったから、もう一歩社会主義革命をすすめようとして、日本共産党になる。どちらも、天皇制はなくていいとおもっているけれど、積極的に天皇制打倒としたのが講座派。どちらも、弾圧されたけれど、当時は、天皇制打倒を強く打ち出した講座派のほうが治安維持法によってより弾圧された。

 

と、だいぶ長くなってしまったので、続きはまた明日。

 

『「悪」の進化論』