第10章 差別の心理学・ダイバーシティ施策を成功させる方法
フランク・ドビン ハーバード大学教授
アレクサンドラ ・カレフ テルアビブ大学准教授
”Why Diversity Programs Fail.”
『人財育成・人事の教科書』
DAIAMOND ハーバード・ビジネスレビュー
ダイヤモンド社 2020年8月26日
のなかから、興味の持てたものをもう一つ。
1990年代から、ビジネスの世界でダイバーシティーが叫ばれるようになってきた。アメリカにおける、モルガン・スタンレーの性差別訴訟の高額な和解金(5400万ドル)のはなしや、モルガン・スタンレーの集団訴訟では、4600万ドル。人種差別の訴訟、などなど。パワハラやセクハラと言った言葉が出てきたのも同じころか。
日本でも性差別は根深く残っていると思う。今、日経新聞の私の履歴書で連載されている、赤松良子さんは、男女雇用機会均等法への足掛かりをつくった方だ。男女雇用機会均等法ができて数年で社会人になった私にとっては、法と実体の乖離が、かえって苦しく、こんな法律なければもっと自由だったのに、と感じたのも事実だ。その延長に今の女性たちの活躍があるのだから、最初のステップとして必要だったのだろう。
そして、昨今、女性活躍・障害者雇用のみならず、高齢者活躍までもが企業の目標になりつつある。
そもそも、「○○」という集団でくくること自体が、差別を助長するような気がするのだが、社会の仕組みとしてはいたしかたないのか、、、。
そんなことを思いながら、興味深く
第十章:差別の心理学:ダイバーシティー施策を成功させる方法 を読んでみた。
アメリカが主な舞台の話なので、人種に関する話題が中心にはなる。
結局、ダイバーシティーへの取り組みの多くは、ダイバーシティーを高めていない、という。
企業は長年にわたり、職務・登用試験・業績評価における偏見を減らすためにダイバーシティ研修を活用してきた。あるいは、ホットラインのような、苦情申し立て制度に頼っていた。ところが、この手の強制的手法は、偏見を根絶するどころか、むしろ強化しかねないという。論文中には、実際の調査データが数字で示されている。
社会科学者によると、人間は自らの自律性を主張するために、規則に反することが多いと言う。要するに、強制されると、独立された人格の持ち主であることを証明するために、かえって真逆のことを行うのだという。
そして、研修のような仕組みではなく、日々の業務の中で、女性やマイノリティの人とマネージャー(多くは白人男性)が接する機会を作ったほうが、効果的である、という。
メンター制度や自己管理チーム、特別チームといった介入は、本来はダイバーシティー施策のためのものではないが、結果的にダイバーシティーを高めることにも効果があったという。
ダイバーシティー研修は、偏見を減らすことはできない、というのが本論文の結論である。
では、どうすればいいのか?
強制的な研修や、取り締まりに力をおかない戦術を用いて、上手くいった企業の例から、3つの基本原理を導いている。
・マネージャーにダイバーシティー問題の解決にあたらせる。
・マネージャーと異なる集団に属する人々が接するようにする。
・変化のために社会的責任を推奨する
当事者同士で関与しあう、という機会を増やすことによって、「信念と行動」が一致できるようにする。
マネージャーが、信念として「女性を活躍させなくては」と思っていたとしても、行動が「頼りになるのは男だから部下は男を採用」などとなっていれば、「認知的不協和」を引き起こす。人間は、「認知的不協和」を、「信念」か「行動」かどちらかを変えることで「修正」しようとする。「行動」を変えるように促すことで、信念と一致させる方へもっていくことが効果的だという。
つまり、「信念」をかえるよりは、「行動」を変えるように促した方が効果的、ということのようだ。
マネージャーと部下だけでなく、集団としての交流をふやすことは、接する機会を増やすことにつながる。肩を並べて働くことで、固定観念をかえることにつながるという。
マネージャー研修の際に、さまざまな部署を経験させるというのも、一つの手法。この種のクロストレーニングは、さまざまな職務に挑戦し、組織全体への理解を深めることが目的だが、各部署の幅広い人との交流機会がうまれることで、ダイバーシティーにもプラスに働くという。
社会的説明責任の醸成というのは、「周囲によく見られたい」という人間の欲求を刺激する。ダイバーシティー推進特別チームの設置は、社会的説明責任の醸成に役立つという。重要なことなのだと思わせる、感じさせる。メンバーは各部署から参加し、時々、メンバーは交代する。チームメンバーは、チームでみつけた解決策を職場に持ち帰る。同じチームメンバーの言葉は、会社の強制的な研修で聞かされる話より、強制感がないだろう。
これは、大きな会社が全社で何かを取り組むとき、ダイバーシティーに限らず効果的な方法だと思う。実際、私が昔務めていた会社で、全社活動を組織代表チームを作って浸透をはかるということをやっていた。企業理念の浸透活動とか、DX推進活動とか。組織ごとに浸透の度合いはことなるものの、強制研修参加よりは、効果的だったように思う。
結局、偏見をなくす、の一言に尽きるのだろう。
強制的に取り組みに参加させ実践に移さなければ罰するというやり方では人々を動機づけることはできない。
偏見をなくすのは、「きっかけ」がないと難しい。
知らないから、固定概念で判断するのだ。
偏見は、古くて新しい。
環境変化が激しい時代では、常に、新しい偏見が生まれているように思う。
アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)は、なくすのは難しいけれど、そういうものがあるという自覚が大事なのだろう。
先日、全生庵の平井住職がおっしゃっていた。
「ひとは誰でも、心の中に鏡を持っている。その鏡は歪んでいたり、傷がついていたりしている。そんな鏡で見るのだから、当然相手が歪んでいたり、傷がついているように見える。」
我々凡人には、その鏡をまっすぐに綺麗なものにすることは、なかなかできない。
だから、自分の鏡は歪んでいるし傷ついている、って自覚することが大事なのだと。
自覚する、その一言につきるのかな、、、と思う。
自分が間違っているかもしれない、と思う時間をもつ。
忙しくしていると、そんなことを考えている余裕はない。
迷っている余裕がないのだから。
女性活躍推進法は、来年度から101~300人規模の企業にも適用される。働き方を見直さなくてはいけないのは、女性だけの話ではない。社会全体の話だ。
労働人口が少なくなったから、女性をモノのように「1.0と数えましょう」と言っているだけのような気がしなくもない。
そうではなく、女性であるとか男性であるとか、Z世代だとか高齢者だとかではなく、人は人として、自分の可能性を信じることができる社会にしていきたい、と思う。
女性管理職の割合を数値目標にすることに違和感を覚えていたけれど、「行動」をかえることで「信念」への変化をもたらすのであれば、理にかなっているのかもしれない、と思った。
たしか、そんなことを言っていた人がいた気がするけれど、Aさんにいわれると「おまえにいわれたくない」と思って、Bさんにいわれると「そうだな」と感じる。
人間とは、好き嫌い生きているものなのだ。小我だな、、、と思う。
それを自覚しよう。