『鏡子の家』 by  三島由紀夫

鏡子の家
三島由紀夫
新潮文庫
昭和39年10月5日 発行
令和2年10月25日 60刷
令和3年3月1日 新版発行

 

今回読んだのは、令和3年の新版。
知人との会話で、三島由紀夫の話になり、読んだことのなかった『鏡子の家』を読んでみた。

最後に、柚木麻子の解説がついていた。これは、新版からかな?
鏡子の家』は、発売当時評判が芳しくなく、三島が気に病んでいた一冊であるらしい。
どちらかと言うと、破滅系のストーリー。

 

確かに、なんなんだ、、、。新年早々、変なもの読んじゃった、と思わなくもない。
まぁ、それでも、人は生きていくのだよな、とも思える。世間的に言えば、幸せになる登場人物と、不幸になる登場人物が入り交じる。そして、ある人にとっての幸せは、誰かにとっての不幸でもある、、、。
三島は、登場人物に少しずつ、自分が持ちたいと思っていたキャラクターを載せているのかもしれない、と思った。

 

以下、ネタバレあり。

本の裏表紙から。
『四人の若者は皆、巨大な壁の前になす術もなく立っていると感じていたーー。世界の崩壊を信じるエリート社員杉本清一郎、大学拳闘部の選手深井峻吉、才能に恵まれた画家山形夏雄、美貌の無名俳優舟木収。彼らは資産家の令嬢、鏡子の家に集まってくる。長く緩慢な人生という現実をいかに生きたら良いのか。ひりつくような生の軌道と痛みに満ちた青春の終わり。
生きる希望など何一つなかった。
〈自分の方法〉で生きる以外には。』

と。

4人の若者の男性が主人公であり、かつ、その中心に離婚して小学生の一人娘を育てている鏡子がいる。

4人は、皆、独身でそれぞれの人生を極めようとしているのだが、清一郎は、副社長の娘と結婚してニューヨークへ。愛して結婚したというより、サラリーマンなんてこんなもんだろうと、淡々と出世への道をスマートに歩んでいく。

峻吉は、大学生から社会人の拳闘家へ。華々しくデビューを飾る。着々と成功への階段を登り、チャンピオンベルトを手に入れる。しかし、何者かに襲われて、右手を痛めつけられ、二度とこぶしを握れない身体に、、、、。そして、右翼系の活動へ。

夏雄は、画が入選して有名になるが、その後迎えるスランプ。ささえてくれる人物がでてきて、ふたたび、描ける兆しが。。。

収は、美し顔の持ち主だが、いつまでも売れない俳優。役もつかない。そして、母親が喫茶店経営のために借りたカネの取り立てでにっちもさっちもいかなくなり、、、。醜い高利貸しの女の男になる。そして、無理心中。。。

鏡子は、最後に、元夫とのよりを戻す。。

しっちゃかめっちゃかな、話だ。
とりとめもない話だ。

収が死んでしまう場面なんて、心中の描写はなく、新聞の記事を鏡子がニューヨークにいる清一郎へ送る、という形で書かれる。

鍛えあげた若者の身体の描写、美しい景色の描写、鏡子と男たちとの会話。ずっとストーリーの中に沈殿している、社会の不穏な空気。

三島の小説の中でも、まちがいなく、破滅系だ。
そして、この小説の中でも、たくましいのは女だ。

 

だれかの不幸は、誰かの幸せ。あるいは、誰かの我慢のうえに、誰かの幸せがある。
そんな、どうしようもない世の中がある。

それでも、「自分の方法」で生きていくのだ。
それは、昭和も、平成も、令和も変わらない。
そんなことを思う一冊だった。

 

自分の道は、自分で切り開くしかない。
棚ボタが落ちてくるのは、そこにいた人にだ。

 

この作品を書いているときから、三島は死にたがっていたのかな、と思った。

 

なにも、死ぬことはない。

色々あるけど、あとから見れば、どうってことない。

世間だって、言うほど他人の人生なんて気にしてはいない。

「自分の方法」で生きていくのだ。

 

やっぱり、

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

そうそう、小説の中に「吝嗇」と言う言葉がでてきた。

りんしょく。

あんまり普段使う言葉ではないけれど、ワインの教本で「イタリアで一番吝嗇な州、リグーリア州」って、習ったっけ。

ケチンボ、ってことだ。あんまりな解説だとおもって、覚えた記憶がある。

 

破滅系だったけど、それでも読書は楽しい。

 

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鏡子の家』 三島由紀夫