『ふしぎなキリスト教』 by  橋爪大三郎、大澤真幸

ふしぎなキリスト教
橋爪大三郎大澤真幸
講談社現代新書
2011年5月20日 第1刷
2011年9月28日 第7刷

 

色々読んでも、やっぱりよくわからないキリスト教。でも、キリスト教がわからないと、欧米の価値観が、やっぱりよくわからないのだよなぁ、、、と思って、図書館で探してみた本。

発行から4か月で7刷になっているということは、結構、売れた本だったのだろう。

結構、面白い。というか、かなり、面白い。二人の対談形式になっているし、普通にキリスト教を信じている人だったら口にできないようなこと?が直球の質疑応答になっているので、面白い。

 

著者の橋爪大三郎さんは、1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。比較宗教社会学世界宗教・普遍宗教を横断的にとらえ、その根本的な性格をきちんと理解している人、というのが大澤さんから見た橋爪さん。

大澤真幸さんは、1958年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。『ナショナリズムの由来』という著書があり、橋爪さんが宗教を軸にものを考える方だとすれば、大澤さんは現代社会の現象を軸に考える方、という感じだろうか。

お二人とも、社会学者。

 

はじめに、で大澤さんが述べられているのは、

近代化とは、西洋からキリスト教に由来する様々なアイディアや制度や物の考え方が出てきて、それを西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程。」とするならば、日本人は、「近代の根っこにあるキリスト教を分かっていない」度合いが高すぎるのではないか、と。
頭が悪いとか言う事ではなく、日本があまりにもキリスト教とは関係のない文化的伝統の中にあった、と。

ちょうど、わたしがなんとなくモヤモヤと思っていたことが、ずばり、それだ。私はキリスト教に対する理解が足りない。だから、ヨーロッパの歴史も頭に入ってこないし、歴史がわからない、哲学がわからない、神学がわからない、、、のデフレスパイラルなのだ。キリスト教の内在的論理が理解できていないということ。

もちろん、日本にもキリスト教の人はいるけれど、全体としては、やはり少数なのだろう。人生において、キリスト教の葬儀に参加したのは2回しかない、、、仏教のお葬式に参加したことは、数えきれないほどあるけど、、、。

 

これまでにも、キリスト教に関する本はいくつも読んできたけれど、いくら読んでもやはりよくわかっていない。だって、やはり自然科学と乖離しすぎているように思うのだ。だから、「ふしぎ」だらけ。

 

ということで、『ふしぎなキリスト教』、なかなか興味深く読んでみた。


目次
第一部 一神教を理解する  起源としてのユダヤ教
第二部 イエス・キリストとは何か
第三部 いかに「西洋」をつくったか


本書がお二人の対談として価値を発揮しているのは、第三部かもしれない。
ようするに、キリスト教イエス・キリストが、どう、近代社会に繋がっているのかということに対する対談。マックス・ウェーバーの通称”ぷろりん”、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神は、どういう背景からこういう考え方になったのか、そこが突っ込んで話されている。”ぷろりん”が、すべてを説明できているわけでは無いと思うけれど、考え方の流れが少しわかる。

 

一神教とは? 神様が一人。それは知っている。
一番基本的なことが、第一部で話される。

世界の一神教といえば、ユダヤ教キリスト教イスラム
一番古いのがユダヤ教旧約聖書の世界。そこにイエス・キリストがあらわれて、新約聖書が加わったのが、キリスト教
キリスト教は、ユダヤ教をもとにしているから、ユダヤ教より新しい。
そして、それと別に、もっと新しくでてきたのがイスラム教。
本書は、キリスト教の話なので、イスラム教の話はちょっと割愛。

 

ユダヤ教キリスト教も、ヤハウェ(God)が一人いる。
Godの言葉を人間に伝えるのが、ユダヤ教なら預言者で、キリスト教ならイエス・キリストイエス・キリストは、「父なる神」「子なるキリスト」「聖霊のすべてだと考えるのが、三位一体

 

ユダヤ教には原罪はないけれど、キリスト教には原罪がある


原罪って、キリスト教ではない日本人には、一番わかりにくいのではないだろうか。
罪とは違う。罪というのは、近代社会においてなら法で罰せられるような悪いこと。人から物を盗むとか、だますとか、殺めるとか。。。悪い行いのこと。
じゃぁ、原罪は???
この世に生まれてきた事そのものが、罪を背負っている??
人間は神様が作ったモノでしかないのだけれど、出来損ないなところがあるから、いるだけで欠陥品。完璧なものはGodしかない。Godがつくったモノは、ちょっと、欠陥がある。どうやら、Godは、完璧なモノ作りはしないらしい。


分かりにくいけど、Godでないものは、すべてなにかしら欠陥がある。それが原罪、という感じみたい。世界もGodが作ったものだけれど、天災や事故、戦争までおこる欠陥品。アダムとイブが禁断の実を食べたというのは、罪ではあるかもしれないけれど、原罪とは関係ない、というのが橋爪さんの説明。

よくわからないけど、、、、とにかく、原罪というものがあるのは、キリスト教だけ

 

で、ユダヤ教イスラム教には、法律のような教義があるのだけど、キリスト教は聖書はあるけれど、ルールがあるわけではないキリスト教は、主権・国家というものを神の代わりに人間をおさめるものとして許容した。
だから、近代国家で、国家がルールを決めるという社会と親和性があり、宗教とは別に、立法権をもつ国家というものが、キリスト教の元に成り立ってきた。

 

そして、キリスト教としての法律がないということは、聖書をたよりに自分たちの理性で立法していかなければならない。そこに、自然科学の発展の必然性が生じた。だから、教会に絶対的権力があるカトリックよりも、聖書をもとに理性で考えていこうとするプロテスタントの方が、自然科学の発展につながった。

宗教と自然科学、一見すると相反するようだけれど、法律をもたないキリスト教は、理性で考えるために自然科学が必要だった、と。なるほど。。。
これは、ちょっと、目からうろこ。

 

それが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にもつながっていく。ウェーバーは、近代化とは、合理化の過程だと考えている。そのために重要だったのは、キリスト教は自由に法律を作れる点。そして、プロテスタント、特にカルヴァン派は、「予定説」というものを信じていて、正しい行動をしている人こそがすでに神からの恩寵を受けられると予定されている人。命を受けてからの行動が、神からの恩寵を受けられるかどうかを決めるのではなく、すでに、恩寵を受けられるときまっているのだから、それに答える。だから、一生懸命働く。それが資本主義の精神につながった、と。

 

さて、それでもよくわからないのは、イエス・キリストは、だれ??
日本の神話ならば、イザナミイザナギがいて、アマテラスやスサノオという子供が生まれて、、みんな、神様。
日本の神様はたくさんいて、かつ、人間に近い。身近な神様
エスは、一体、人なのか?神なのか?
橋爪さんは、マトリョーシカ人形の一番大きいのがイエス・キリストで、その中には歴史的にいろんなイエスがいる、と。
???よくわからん。
歴史的なイエス??
ナザレで生まれたイエス。エジプトに行ったイエス。ナザレで育ったイエスガリラヤ地方で預言者のように行動したイエスエルサレムで死刑になったイエス。全部、イエス。そういう、色々なイエス、、、ひっくるめてイエスで、全体で、イエス・キリスト
????よくわからん。。


でも、十字架で処刑されて、人の罪を背負ってみじめに死んでしまう。そして復活する。そして、天に昇った・・・。
神の言葉を人間に伝えるために、天に昇っても、キリスト教聖書という形でイエスの想いが繋がれていく。
いつからか、神であり、子であり、聖霊になった。人間とは遠い。

う~~ん、ここは頭で考えてもわからなそうなので、そういうことなのだ、という理解にする。

 

なぜ、キリストが処刑されたことが、人の罪を背負ったことになるのかというのが、「同害報復」という理論で説明されている。「罪のない者が、罪のある者の罪(人間の罪)を肩代わりして殺されてしまった」のが、イエス・キリストの処刑。でも、もう、殺しちゃったんだから、それ以上復讐しちゃだめよ、って感じ。だから、人間全員の代わりにキリストが処刑されちゃったんだから、もう、神からの報復はない世界。あるのは、試練だけ。。。

 

キリスト教が世界に広がっていった過程の話も興味深い。キリスト教は、もともとはユダヤ教の一派だった。それが、イエスの死後、ギリシャを話せるパウロによって広がっていく。イエス・キリストと12人の弟子たちは、ヘブライ語で話していた。ヘブライ語ではユダヤ人コミュニティにしか布教できない。そこに、いまでいう英語が話せる国際派のような、ギリシャ語を話せるパウロが布教に加わり、一気にヘレニズム世界キリスト教が広がった。
言葉というのは、やはり重要だ。

 

ちなみに、キリスト教の聖書は各国の言葉に翻訳してよいことになっている。イスラム教のクルアーンは、アラビア語だけで、勝手に翻訳できない。これは、布教のしやすさという点ではだいぶ違うだろう。

 

この言葉の壁は、ローマ帝国が分裂した後、東方教会ギリシャ語)西方教会ラテン語の生き残りにも影響する。ラテン語では、残っていけなかったのだ。だから、西ローマはすぐに滅びてしまうが、東ローマはビザンツ帝国として1000年続くこととなる。
ギリシャ語が苦手という、西ヨーロッパ(ラテン語)の文化は、アリストテレスプラトンの発見が遅れた、、という歴史にも関係しているそうだ。

 

う~~ん、やっぱり、よくわからないけれど、ちょっとぼんやり、キリスト教カトリックプロテスタントの輪郭が見えてきたような、、、。

 

最後の章で、歴代の哲学者たちの名前がでてくるのだが、そこで、自然を考えた派として、コペルニクスケプラーデカルトニュートンらが出てきて、その後に社会現象を考えた派として、スピノサ、ホッブス、ルソー、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲルマルクス、、、、と続く。

 

そして、近代へ、、、ということ。

 

本書を一度読んだからと言って、キリスト教を理解できるわけではないけれど、縦軸横軸、全体でなんとなく概要がつかめる感じがする。

まだまだ、、、だけど、なんとなく、少しすっきりした感じがする、、、かな

 

読み直したら、また違う理解になるかもしれないけれど、、、、。

349ページ、ちょっと厚めの新書。

宗教嫌いなひとも楽しめる一冊だと思う。

 

読書は楽しい。

 

 

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『ふしぎなキリスト教