本日、3月8日は、国際女性デー(International Women’s Day)、だそうだ。
新聞朝刊の本や雑誌の広告に、女性とかジェンダーに関するものが多いな??とおもったら、そういう事だった。
しらなかった。
そもそも、国際女性デーなるものがあることも、知らなかった。
男性デーって、聞いたことがない。
こどもの日はあるけど、おとなの日はない。。。
「国際女性デー(International Women’s Day)」は、1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、国連によって1975年に3月8日に制定されたそうだ。
そうして、主張しないと認められない女性の歴史があったという事。
女に生まれた私が、様々な環境を当たり前のように享受してこられたのは、多くの女性の活動があったからということ。大学進学も、会社に就職することも、当たり前と思っていたけれど、ほんの数十年前までは、違っていた。
今、ロシアからの攻撃をうけるウクライナでは、18歳から60歳までの男性にたいして原則出国を禁止した。武器を取って、ロシア軍と戦うため。
こういう時、女性も含めてと言われたら、きっと、それが平等だという人はいないだろう。
男女は生理的に異なる身体であり、ホルモンが違うという事は、目に見える身体的な違いだけでなく、目に見えない様々なセンサー機能が異なる。
生命の不思議。
新聞の本の広告で、目に留まったのが、「82年生まれ、キム・ジヨン」。男女差の大きい韓国での若い夫婦の物語。映画にもなった。私は、本も読んだし、映画も見た。ラストは本と映画でちょっと違う。映画のラストは、ちょっと救われる。本のラストは救いようがない。。。
本当に、韓国はここまで女性に対する扱いがヒドイのか、、、、と。驚いた。
号泣した。
で、そこで目に留まったのが、著者チョ・ナムジュが、別の著書『彼女の名前は』の日本の読者にむけて寄せたメッセージの一文。
「韓国には『卵で岩を打つ』ということわざがあります。卵を投げつけたからといって岩を穿つことはできないように、絶対不可能で無謀なことをいう言葉です。
これに対して、『卵で岩は割れなくても汚すことはできる』というジョークも生まれました。誰が言い始めたのかわからないこの言葉が、私はとても好きです」
と。
「卵」のことわざ!韓国にもあった!フランスだけじゃない。
「卵」の使われ方もいろいろ。
勇気のために使われたり、無謀のためにつかわれたり。
「卵を割らなければ、オムレツはつくれない。」
勇気のために、大事な卵をわってみよう、ということ。
「卵で岩を打つ。」
卵を割るのは無駄なこと。卵は役に立たないものという意味で使われている。
言葉って、面白い。
チョ・ナムジュさんは、「・・・汚すことはできる」という言葉が好きだというけれど、わたしだったら、やっぱり汚すだけでは満足できない、、と思った。
でも、こうして、国際女性デーができるまでの間には、「汚すこと」から始まった小さな活動があったのかもしれない。
絶対不可能で無謀なこと。
たしかに、世の中にはそういう事もあるだろう。でも、女性の社会的権利獲得は、絶対不可能で無謀なことではなかった。そう思われていた時代もあったけれど。
日常の生活の中で、ムリと思う事の多くは思い込み。
毎日5分の勉強だって、塵も積もれば、、、かならず成長につながる。
でも、本当に何かなりたいものを目指すなら、毎日5分じゃたりない。
本当に何かのプロになりたいのなら、いつ、達成したいのか。
いつか、、、なんて言っていると、永遠のいつか。。。
いつ、という目標をきめて、逆算する。
1000時間の勉強が必要なことを1年後に達成したいなら、一日3時間勉強すればいい。
3時間 × 365日 → 1095時間も勉強できる。
「汚した」だけで満足していては、いつまでも岩は穿つことができないけれど、必要な道具をもって、向き合い続ければいつかは目標に到達できるはず。
必要なもの、適切なやり方、それが大事。
間違ったやり方では、遠回りになってしまう。
それが、戦略ってやつだ。
人生戦略。
目の前のことに夢中になりすぎて、戦略からずれていることに気が付かないことがある。時々、遠くに立って、鳥観図で見てみることって大事。
個人的には、女性のための、とか、女性に限り、とか、あまり好きではない。
でも、そんなことは些細なことなのかもしれない。
私自身が、それを利用していることだってあるのも事実。映画館は女性デーに行けば1300円だし。。。
小さいことにこだわりすぎるな。
人生は長距離走。
目の前のことにとらわれすぎるな。
森をみよ。
そんなことを思い起こしてくれた、今日の新聞。
敬老の日や勤労感謝の日だって、その日だけ感謝すればいいという事ではない。
時々、思い起こさせるためにある一年に一度の日。
もう、年度末。
私にとっては、人生戦略を思い起こさせる一日になった。
自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。