『佐藤優の集中講義 民族問題』 by  佐藤優

佐藤優の集中講義 民族問題
佐藤優
文藝春秋 文春新書
2017年10月20日 第1刷発行

 

ウクライナの問題や 、ナショナリズムの問題を考えるときに、アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズムは、その教科書のように言われる。いつか読もうと思っていたのだが、何かの著書の中で、佐藤さんが『 民族とナショナリズム』を読むのであれば、その前に自身の著書である本書を読んでからがいい、と薦めていたので図書館で借りてみた。

221ページの新書で、わりと読みやすい。2017年の本だけれど、今読んでも私にとっては新鮮。ウクライナの問題も述べられていて、今のロシアによる侵攻が始まる前ではあるけれど、それよりずっと前からウクライナ問題は続いていたわけで、今起きていることの背景説明としても勉強になる。

 

表紙の裏の説明には、
”今も世界のあちこちで民族問題の炎が噴出し続けている!テロの国際的拡散、移民・難民の増大、労働者間の国際競争、トランプ後のアメリカで台頭する白人至上主義、中東からの入国規制。
「民族オンチ」の日本人だからこそ知っておくべき民族問題の現実と基礎理論がこの一冊に!”
と。

 

目次
第一講 なぜ日本人は民族問題がわからないのか
 応用問題 スコットランド独立運動を沖縄の目で見る
第二講 民族問題の専門家スターリン
第三講 「民族」は作られるか  アンダーソン『想像の共同体』批判
 補講 シューライエルマッハー ナショナリズムと目に見えない世界
第四講 ゲルナー 『民族とナショナリズム』の核心
 応用問題 ヘイト本の構造
第五講 民族理論でウクライナ問題を読み解く
 応用問題  エスノクレンジング
第六講 民族理論で沖縄問題を読み解く アントニー・スミス「エトニー」概念から考える


なぜ日本人には、民族問題が分かりにくいのか。
佐藤さんは、日本人というのが大民族だからだという。日本人は、数の上でも一億人を超えていて、国際的にも大きな存在感といえる。しかもその居住範囲も日本列島に集中していて、その領域において圧倒的な大多数を占めている。そういう大民族だから。もちろん、アイヌ人、在日韓国人、など、日本国籍を持っている人には、様々な人が含まれる。それでも、多くの日本人は、日本国籍=日本人民族、のような感覚があるということだろう。

それが悪いのではないのだけれど、佐藤さんが指摘しているのは、圧倒的大多数の日本人にとって、少数派の問題は、自分たちに関係のない「見えない問題」となってしまう危険があるということ。

世界では、一つの国家の中で複数の民族がせめぎ合い、ときには衝突を起こすこともある。でも、国内でそのような事態を経験する事がほとんどない日本人には、国際問題となっている民族問題を理解するピントが甘くなってしまう、と指摘している。

たしかに、中東の内戦も、ウクライナのことも、はたまた、スコットランド独立運動のことも、私には、なんど話を聴いても、いまいち、ピンときていない。そこに、宗教もからまってくると、ますます、、よくわからん、、、となってしまう。

 

ということで、基本の基本として、本書を読んでみた。

そもそも、「民族」とはなにか?
「民族」という概念は、歴史的にはせいぜい250年くらい前にしか遡れないのだという。例えば、室町時代、京都や東北に住んでいた人たちは、同じ「日本人」という意識があったのか???持ってなかった可能性の方が高いのではないか、と。それは、ロシア、ドイツ、イギリス、フランスも同様。まして、イギリスとアメリカの関係だって。かつ、「民族」は、現代になっても新たに生まれたり、解体しているという。だからこそ、「民族問題」は難しいのだという。

 

「民族」を考える時、なにが、そのアイデンティティの核となるか、2つの大きく異なる考え方がある。
1: 原初主義
2: 道具主義

 

原初主義とは、日本語とか、肌の色とか、日本列島に住んでいるとか、なにかしら実態的な源があって、一つの民族と認識する事。
多くの日本人は、原初主義的に「民族」をとらえている。うん、分かりやすい。
以前、多様性をテーマに1年間にわたって勉強会をしていたことがあるのだけれど、「日本人って何?」というテーマには、「日本語を話す」とした人が多かった。日本人には原初主義が分かりやすいかもしれない。

 

それに対して、「民族というものは、作られたものだ」とするのが道具主義
国家のエリート、支配層が、統治目的のために、支配の道具として民族意識ナショナリズムを利用したと考える。ここの道具主義の代表的な論者が、『想像の共同体』の著者ベネディクト・アンダーソン
彼の定義では、
「国民とはイメージとして心に描かれた創造の政治共同体である」となる。

『民族とナショナリズム』のアーネスト・ゲルナー道具主義にたっているが、佐藤さんは、アンダーソンよりは、議論が深い、といっている。
ゲルナーは産業社会の成立とナショナリズムを結びつけて論じていて、経済の視点でみんっ族を論じている。その深さは、前農耕社会、農耕社会、産業社会という歴史の基本的な三段階を想定しているところにあるとう。
さらに、ゲルナーの弟子でもある、アントニー・スミスの「エトニー」と言う概念がでてくると、原初主義と道具主義とが相補的に説明される。

 

本書の中で、民族に関する参考図書として、
『想像の共同体』 ベネディクト・アンダーソン
『民族とナショナリズム』 アーネスト・ゲルナー
『ネイションとエスニシティ』 アントニー・スミス
が、紹介されている。

ま、これらの本を読む前の、予習、、、って感じの一冊。

全体に、講義なので、分かりやすく書かれているが、やはり、一言で概要を説明するのは難しい。

でも、スコットランド独立運動を、沖縄独立運動とからめて説明しているあたりが、日本人にとって少しは身近な感じがして、少し、佐藤さんの言う民族問題、というものが見えるような気がする。

沖縄独立運動は、今、大きな動きになっているわけではないし、佐藤さんは沖縄人であり、反対派であるとはいうものの、将来にわたっては、そういう動きが大きくなることはありえるのだ、と。
そもそも、沖縄はもとは琉球王国という一つの独立した国であり、明治維新でかってに日本にされてしまったのだ。。。

アメリカにしてみると、じつは、沖縄が独立しても構わないかもしれない。基地さえ置ければよくて、その場所は、地政学的には沖縄であることが重要なのだから、、、。

 

第五講では、地図を読み解く重要性も語られている。地図を読むというのは、標高も含めて読むのが大事なのだと。マッキンダー地政学とつながる。
今では、山があっても飛行機で軽々と国境を超えることができるけれど、やはり、山と言うのは攻められない場所なのだと。アメリカがイラクフセインは叩きつぶすことができたけれど、アフガニスタンタリバン政権を制圧する事ができなかったのは、国全体が山そのものだから、、と。
リビアカダフィ政権を倒せて、シリアのアサド政権をつぶすことができないのも、同じこと、と。

佐藤さんは、これを、日本の南北朝時代と同じこと、と解説している。後醍醐天皇は、吉野が山だから吉野に逃げこみ、南朝とできたのだ、と。

うわぁ、、、面白い!!!
と、思ってしまった。

 

人生の悩みの多くは、人間関係であるように、国際問題の多くは民族関係、、、かもしれないなぁ、なんて、思った。

そういう意味で、日本人が平和ボケしていると言われるのは、民族問題が身近でないからかもしれない。そういう意味で、沖縄人の方が国際人かもしれない。。。 

 

なんて、いろんなことを思った一冊だった。

民族問題から、山岳地帯。山岳地帯から南北朝時代

点と点がつながるって面白い。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

佐藤優の集中講義 民族問題』 by  佐藤優