「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
歴史に関するある新書をぱらぱらとめくっていたら、最初に目についた言葉。
備前国平戸藩主、松浦静山(まつらせいざん)の著書、『常静子剣談』の中の言葉。
野村克也さんが好んで使っていた言葉だそうだ。
この言葉の解釈には、様々な意訳があり、
「負ける時は負けるべくしてまけている」
「敗因をしっかり分析することが大事だ」
などなど。。。
直訳すれば、
「勝ちにはたまたま勝った不思議なものもあるが、負けにはたまたま負けた不思議はない。」
つまり、
勝者に勝因はなくとも、敗者には必ず敗因がある、ということ。
なるほど。
確かに。
勝ち負けにもいろいろあるだろうけれど、、、、。
負けたのには理由があるのだから、ちゃんと分析しないと次も負けちゃうよ、、、ってことか。
でも、勝ったのが偶然であった、と言う自覚が必要ということでもあるよう思う。
勝ち負け、と言っているけれど、成功と失敗もそうだ。
失敗には原因がある。
受験に失敗したり、事業に失敗したり、、、はたまた結婚生活に失敗したり?!
まぁ、失敗と言うものの定義も難しいのだが、少なくとも合格しようと思ってうけたもんが不合格というのは、その時点においては失敗、、自分の負けだろう。でもって、合格すれば成功。
でも、忘れがちなのは成功したときにその要因解析をしないことだ。
うまく出来たときの解析ができると、次もうまくいくかもしれない。
なんだかわからないけれどうまくいったことは、、、次はうまくいかないかもしれない。
なんでもそうだ。
お料理だって、仕事だって、人間関係だって。。。
うまくいっていると油断しがち。
失敗したときの原因解析は大事だし、同じ失敗は繰り返したくないから、それなりに色々考える。
でも、なんか運よくうまく行っちゃったことは、ラッキー!だけど、次もラッキーとなるかはわからない。けど、希望的観測で、次もうまくいくような気がしてしまう。。
謙虚が大事、ってことかな。
無になって考えない時間も必要だし、よく考える時間も必要。
明石の漁港から、淡路島を眺めて風に吹かれつつ、そんなことを思った遅い夏休み。