言葉:久闊を叙するもものかは

久闊を叙するもものかは

 

2023年9月17日、日経新聞の朝刊の連載 『陥穽 陸奥宗光の青春』にでてきた
「久闊を叙するもものかは、龍馬はいきなり桂に剣術試合を申し入れる。」と。

 

先日、夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、日本語だけれどわからない言葉もたくさんあった。でも、多くはわからないままに読み進んでも話の内容はわかる。わからない固有名詞は、注釈を確認しないと、理解度が下がる。英語学習も、わからない単語を全て調べながら精読するというのが一つの学習法であるように、日本語もわからない単語(固有名詞以外)を辞書を引きながら読むと、日本語の質が高まるのかもしれない、と思った。

 

そうして、新聞や本を読んでみると、あいまいな解釈のままで読み進んでいる言葉はたくさんあることに気が付く。わかっているつもりでも、誤解しているということもあるだろう。

ということで、ふと、きになった言葉をちゃんと調べよう、という気になった。

 

新聞連載小説で出てきたのは、次のような場面。

1865年、長州藩高杉晋作らが保守派に対してクーデターを起こして藩政を握った後、高杉らは潜伏中の桂小五郎を長州へ呼び戻した。一方の坂本龍馬は、勝海舟の海軍操練所が閉鎖となったあと、長崎に戻っていた。そして長崎に戻る途中で立ち寄った横井小楠のもとで、「薩摩と長州の糸をむすぶこと」と言われた。そして下関を目指した龍馬。まさか桂小五郎に再会できるとおもっていなかったところ、桂と8年ぶりの再会となった場面。

久闊を叙するもものかは、龍馬はいきなり桂に剣術試合を申し入れる。」

 

広辞苑によれば、
・久闊きゅうかつ:久しく便りをしないこと。
 *久闊を叙する:久しぶりに会って話をする。


・ものかは:形容詞「もの」に助詞「か」「は」のついたもの。
 たいしたことではない。物の数ではない。

 

つまり、久しぶりにあったというのに、積もる話をすることもなく、早々に試合を申し込んだ、ってことだろう。

 

「ものかは」の他に、「ものか」というのも広辞苑にでてきた。
いわゆる、「負けるものか」「あきらめるものか」の「ものか」

 

ものか:〘助詞〙:終助詞。形容詞の「もの」に終助詞「か」がついたもの。活用語の連体形につく。
 ①強い反語を表す源氏物語「かくけしからぬ心ばえは使ふものか」。「負けてたまるものか」
 ②強い感動を表す源氏物語「うち誦(ず)じて、こなたざまには来るものか」。「母性はこれほど強いものか」

 

いやぁ、、、源氏物語の例文がわからない・・・。ネットで調べると、でてはくるのだけれど、意外とバラバラだったりして。。。でも、総じてみると、

 

「かくけしからぬ心ばえは使ふものか」
訳)「このような不届きな心を働かせていいものだろうか。いやいけないだろう」

 

「うち誦(ず)じて、こなたざまには来るものか」
訳) 「と口ずさんで、こちらの方に来るではないか。とドキドキ。」

という感じだろうか。

 

日本語でも、外国語でも、100%全部の言葉を理解していなくても、文脈を取ることは可能だ。話し言葉なら、100%聴き取っていないことは、日本語だってある。それでも、人間は頭の中で文脈をとらえて理解することができる。言葉の不思議。

ときには、大きな誤解のまま、、、ってこともあるけどね。

 

日本語を勉強中の外国人をみていて、私の日本語もブラッシュアップが必要だと感じた。やっぱり、辞書を引くのも楽しい。気になったら、ちゃんと辞書を引いてみよう。

 

人間の欲求の一つに、「わからないことを知りたい」っていうのが本能的にあるのだろう。水平線の先はどうなっているのか、宇宙の終わりはどうなっているのか、歴史はどう動いたのか、、、。このキノコは食べられるのか食べられないのか・・・。

 

わからないことがあるというのは、それを知る楽しみがあるということ。

調べる、学ぶ、これほどの安上がりなアドベンチャーがあるものか

「ものか」!

 

学んだら、使ってみる。

インプットしたら、。アウトプットしてみる。

それも楽しい。