『痛い靴のはき方』 by  益田ミリ

痛い靴のはき方
益田ミリ
幻冬舎文庫
平成30年8月5日初版発行

 

図書館でさらっと読める本を探して、薄そうな単行本を探していた。ふと目に入ったのがこの一冊だった。益田ミリさんはよく知らない。裏の説明文を読むと、

”イヤなことがあってイヤだと思っていたら別のイヤなことが。でもそのおかげでひとつ前のイヤな事が煙にまかれてぼやけていく。イヤなことがある日も、ない日も、最後は大好物のサバランや、デパ地下のアップルパイ、トラヤカフェのかき氷で終わらせれば、元気が湧いてくるというもの。かけがえのない日常をつぶさに掬い取るエッセイ集。”
とある。いかにも簡単に読めそうなので借りてみた。

 

感想。
ほんとに、さらっと読める。出てくる話がなんとなく世代的に近いなぁ、と思ったら1969年大阪府生まれだそうだ。私とほぼ同年代。益田ミリさんは、イラストレーター。主な著書に四コマ漫画『すーちゃん』シリーズ、『週末、森で』『きみの隣で』などがあるとのこと。どれも読んだことはないけど。

 

なんというか、覚書にするまでもないほど、さら~~っと軽く読める。カフェで、コーヒーを読みながら、1時間もいらない。ちょっと時間つぶしにちょうどいい。
短いエッセイが沢山詰まった一冊なのだが、どれも、ほんわか。まさに、日常のささいなことで、なんとも気が抜けるようなというのか、、、脱力感満載。。。
のんびりしたいときに、いいかも。

 

面白い、とおもったことをいくつか覚書。

 

であった人の名前が覚えだせないとき、あわわわ、、となるけれど、忘れるのはそんなに悪いことなのだろうか、と。
「そもそも、忘れる失礼よりも、現在の時点で失礼な人の方が失礼なわけで、あっている時に失礼でなかったのならヨシとしてもらいたい、と思っている方はどれくらいいるかはわからないけれど、いると信じたい忘れん坊なのであった。」

たしかにね。現時点で失礼な人、、、いたたた、、、あるかもね。

 

夜遅くまで飲んでいて、飲み会は続いているのだけれど「私、帰るね」といって、先に帰ってきた「わたし」を褒めたくなる心境について。
せっかく、夜通し遊ぶ「わたし」をすてて、帰ってきた「わたし」を選んだんだから、帰ってきた「わたし」で良かったと思えるような有意義な時間を過ごしたい。だから、今こうしてパソコンを開いて、何かを書こうとしている、、、と。
そして、ふと、「自分に負けたくない自分」になっている我をかえりみて、どっちにしたって、私は私なんだ、、、と。

あぁ、そうそう。ちょっと、わかる。どんな「わたし」も、「わたし」なのだ。

 

「人は必ず分かり合えるわけではない」というエッセイの中で、そういうことに気がつくようになったのは中年になってからだったと。そして若い頃に気がついていたら人生もっと楽だったかもしれない、と。
誰かと意見が合わなかったとしても、別に自分の人生が1ミリも動くことがない場合は、もう先に降りてしまってもいいような気がしている
と。
あぁ、わかるわかる。それ、あるある。
で、その続きが、さらに、共感してしまった。
”人は必ず分かり合えるわけではない。が、表面上でなんとでもなる。昔の私が知りたかったのは、これだったのかも。とはいえ、このからくりを知っていた子供がどんな大人になっているかを想像すると、ゾッとするのではあるけれど。”

ものわかりが良すぎる子どもは、ちょっと、、、コワイ。


旅先で、地元の人に美味しいものを聞いたときの話。
「僕が一番おいしいと思うのはここです」と教えてくれたお兄さんに、ちょっと感動した話。「こちらのお店は、皆様に好評です」とかではなく、「僕の一番」を教えてくれたことに、感動する感じ、ちょっとわかる。

 

小林秀雄の、友人がつくったへたくそな俳句の話ではないけれど、具体的に人の顔が浮かぶと、目の前にある作品、食べ物でも芸術でも、とたんに生き生きとしたものに見えてくる。○○さんの料理だから美味しいと感じる、○○さんのお薦めだから美味しいと感じる、ってよくあることだ。
人間は、社会的動物なのだ。


韓国に遊びに行ったとき、韓国の通訳女性に「日本では雨の日に何を食べますか?」と聞かれておどろいた、と。韓国では雨の日にチヂミやチャンポンを食べるのだそうだ。へぇぇ!!!知らなかった。日本では、あまり聞いたことがない「雨の日に食べるもの」。地方によってはあるのかしら??
寒い日のお鍋とか、暑い日のソーメンとか、、、温度によって連想されるメニューはあって、雨の日、、、ねぇ。雨を口実に何かを食べるという発想が、面白い。日本は世界平均と比べると雨が多いから、いちいち、雨を口実にしてたべることはないのかも。韓国も、そこそこ多いはずだけど、、、、。


友人からもらった豆の種を育てる話の中で、柳沢桂子さんの『二重らせんの私』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)からの文章が引用されていた。
「草や花は、なぜ自分から動かないのだろう?なぜ声を出さないのだろう?私はいつまでもいつまでも草花の上にかがみこんだり、触ったりして時を過ごした」
ふと、懐かしい感じがした。
子どもの時、私もそう思ったことがあった。そして、柳沢さんは科学者になる。なんか、生き物に興味をもって、科学の道にすすむってわかるなぁ、という気がした。

 

ほんとに、さら~~と、軽く読める一冊。
なんてことはない。
こうして、日常の積み重ねが人生なんだよな、なんて。
ちょっと、気持ちが軽くなる一冊。

 

のんびりしたい時に、いいかも。