『敦煌』 by  井上靖

敦煌
井上靖
新潮文庫
昭和40年6月30日 発行 
平成21年12月10日 88刷改版
令和元年5月12日 98刷

 

岡潔だったか、小林秀雄だか、、誰の本だか忘れてしまったのだが、井上靖の『敦煌』は、良くかかれている、といった事をいっていて、読んでみたいと思った。

図書館で借りてみた。
タイトルの通り、敦煌の話。

 

敦煌とは、中国、甘粛(かんしゅく)省にある県級市。内陸アジアの乾燥地帯に属し、ゴビ(土漠)中のオアシスにある。歴史上、瓜州(かしゅう)、沙州(さしゅう)、敦煌ともよばれたところ。本書の中では、「沙州」として出てくる。20世紀になって石窟の一室に封蔵されていた数万点の仏教経典などが発見された。2014年、ユネスコにより「シルク・ロード:長安‐天山(てんざん)回廊の交易路網」の構成資産として、世界文化遺産に登録。

そんな敦煌で見つかった経典にまつわるお話。どこまでが史実なのかわからないけれど、一人の男の生涯を軸にお話が展開して、なかなか面白い。


裏表紙の説明には、

”官吏任用試験に失敗した趙行徳は、開封の町で全裸の西夏の女が売りに出されているのを救ってやった。その時彼女は趙に一枚の小さな布切れを与えたが、そこに記され異様な形の文字は彼の運命を変えることになる。西夏との戦いによって敦煌が滅びる時に洞窟に隠された万巻の教典が20世紀になって初めて陽の目を見たという事実をもとに描く壮大な歴史ロマン。”

 

感想。
おぉぉ、がんばれ趙行徳!と、読みながら応援したくなる。
面白かった。
結構、一気読み。
あぁ、ほんとに、こうして経典が守られたのだとしたら、、、歴史ロマンだ。でも、洞窟の中から経典が見つかったのだから、やはり、何かから守るために誰かが隠したのかもしれない、、、。
中国の歴史物ならではの地名の難しさがそんなにない。
最初についている簡単な地図だけ頭に入れておけば、場面を追っていくことができる。それは、主人公、趙行徳の行動をもとに話が進むので、1本のラインになっているからだ。
受験に失敗した趙行徳が、放浪の旅にでて戦火に巻き込まれ、運命に流されるままに各地を渡り歩き、最後に自分の使命として見出したのが、経典を護ることだった。あくまでも、趙行徳の人生がストーリーで、最後に経典がでてくる、って感じ。
そうか、井上靖って、こういうのを書く人だったのか、、、、。。。

面白かった。

 

国史って、やたら皇帝がかわったり、国名が変わったり、、、でややこしくなりがちだけれど、本書は時間軸も地域軸も比較的コンパクトなので、普通の物語風に読める。キングダムの春秋戦国時代に比べれば、ずー-っとシンプル。


以下、ネタバレあり。


物語は西暦1026年、趙行徳が、科挙の進士試験を受けにくるところから始まる。行徳は、すでに多くの学問を積んでいて、32歳。故郷の田舎から、都開封へやってきた。進士試験に合格すれば、出世の道は保障されているようなもの。余裕綽々で、試験会場にやってきた。そして、自分の試験の順番を待つ間に、事もあろうか、暖かな日差しに誘われ、うとうとと、、、居眠りしてしまう。自分が高官となって政治的意見をモノ申している夢をみつつ、、、。目覚めた時には、既に自分の順番はすぎていた。。。なんと、受験そのものをすっぽかしてしまったのだ。。。

次の試験の機会は、3年後・・・。栄光の夢は、一片の夢と化してしまった。行徳は、ふらふらと町を歩いた。気が付くと城外の市場にいて、目の前で木箱の上に裸で横たわった女が男に売り物にされている。
「こいつは西夏の性悪女だ。肉を切り売りしてやるから欲しければどこでも買え」
女は覚悟を決めたかのようにだまって横たわっている。行徳は、その女を助けるために男に金を渡す。
「全部買う」といって、金をはらったが、女が「西夏の女を見損なってはこまる。買うならバラバラにして買っていけ」と。

結局、女は行徳の払ったお金で解放され、命を助けられる。
そして、そのお礼だと言って女が行徳に渡したのが、西夏の文字が書かれた一枚の布だった。それは、西夏の「珠の城」イルカイ=興慶に入るのに必要なものだという。

多くの学問をし、筆も達者な行徳であったが、西夏の文字はまったく意味がわからなかった。そして、行徳は、西夏に興味を持ち、涼州にむけた旅に出るのだった。

これが、話しの発端。

 

中盤は、当時の中国の領土争いに、旅に出た行徳が巻き込まれていく。

漢人だけれど西夏軍として闘っている一軍の兵として命からがら生き延びていく。西夏王李徳明の長子、李元昊(りげんこう)が率いる群で、漢人部隊の一員となったのだ。志願したのではなく、気が付いたら、兵にされていた、、、という状況だった。それくらい、当時の中国では、うごける男ならだれでもかれでも兵にされたのだ。

行徳は、どちらかといえばひょろひょろで、力も弱い男だったけれど、漢字がよめることで一人の上役、朱王礼に重宝される。そして、「西夏の文字」を読めるかと聞かれるのだが、「今は読めないけれど、読めるようになりたいと思っている」とつたえたことで、戦火の合間に「西夏の文字」を学ぶ機会を得る。あちこちの戦争に参加しながら、ウイグルや、他にも様々な文字を覚えていった行徳。気が付けば、多くの現地の言葉を解釈するようになっていた。

 

ある甘州の戦火の中で、行徳は一人の高貴な女と出会う。ウイグル王族の女だった。囚われれば殺される身だという。行徳はその女をかくまう。穴倉にかくまい、食事を運んでやるようになる。そして、その女との間につかの間の愛情を感じる。


朱王礼に命じられ、甘州を離れて西夏の都邑(とゆう)興慶まで西夏文字の学問の旅にでることになった行徳は、朱王礼にその女を託す。女に、「一年後には返ってくるから、それまで待っていてくれ」といって旅立つ行徳。

 

興慶で、多くの学びの仲間と文字を習うことに熱中し、西夏文字と漢字の対応表の大作を完成させた行徳。気が付けば、女との約束の1年は過ぎていた。さてこれからどうするか、、、と自分の将来を考えていた時、町で甘州に残してきた女に似たウイグル女にであう。そして、ふと、女のことを思い出し、かつ、町で朱王礼が更に偉くなって活躍している噂を耳にし、朱王礼のもとに戻ろう、と決心する。

 

そして、再び朱王礼に会う。「うむ、生きていたか」と行徳との再会を喜ぶ朱王礼だったけれど、「死んだぞ」と女についてはそれしか言わなかった。
しかし、女は死んだのではなかった。朱王礼も女に惚れていた。しかし、その女は、李元昊に気に入られ、さらわれてしまったのだ。

町に、李元昊が馬に乗って入ってきたとき、それに続く馬の上には、その女がいることを目にした行徳。馬の上の女は、「あ!」と声をあげ、行徳の姿を認める。そして、女は時を置かずして身投げ自殺してしまう。

 

このウイグルの女の死は、行徳が仏教に心惹かれる一因となる。戦場では毎日のように人の死を目にする。一晩病んで、あっという間に逝ってしまうもの。戦場で即死するもの。そして、そのころからかたっぱしから経典を読むようになる。

 

時は流れ、李徳明が亡くなり、李元昊の時代となる。


そして、さらに西へ西へと戦火はせまり、西の曹氏がまもる町々は、焼かれていく。

自殺してしまったウイグルの女の恨みをはらそうと、いつしか、朱王礼は李元昊に反旗を翻して、李元昊と戦う軍になる。西の町を守っていた曹氏と協力し、西夏軍を防ごうとする朱王礼だったが、町はどんどん焼け落ちる。

そんな戦火の中でも、財宝をねらう盗賊のような商人はいるもので、その一人、尉遅光と顔見知りになっていた行徳は、尉遅光には中身が何であるかを告げずに、経典類を尉遅光がぜったいな安全な隠し場所という穴へ運び込むことに成功する。

それが、敦煌の千仏洞だった。

 

西夏は、西を占拠し、曹氏を亡ぼし、漢人勢力を破壊させる。

それから中国の権力は変化していったものの、行徳が経典を隠した千仏洞は、その後850年、静かにそこにあったのだった。

 

実際に、経典が発見された時、その価値を認めたのは実は中国人ではなく、イギリス人、フランス人、ロシア人、日本人だった。

 

物語の中では、経典らが発見された時、行徳の美しい文字による経典の由来、曹氏たちの想いがつづられた書が一緒に出てきたことになっている。その時の文字の美しさから、これは貴重なものに違いない、と発見者は信じるのだ。

 

美しい文字というのは、それだけで価値があるように思える。実際、価値なんだけれど、美しい字で残っていたから、日本では本居宣長の様々な書も研究対象になっている。

美しい文字で残すというのは、それだけで一つの文化なのかもしれない。

 

シルクロードのオアシス、敦煌の物語。なかなか面白かった。

 

高校の時の古典・漢文の先生が、若い女性の先生で、「シルクロードに行ってみたい人で一緒にいつか行きましょう」と言っていたことを、ふと思い出した。中国古典に興味のある人だったら、敦煌はいつか行ってみたいところなのかもしれない。

 

うん、なかなかの歴史ロマン。

久しぶりに、中国歴史もの。面白かった。

 

初出が、1959年だそうだ。そのころに、これだけ中国のことを調べて書くのって、結構たいへんだったのではないだろうか?

もしかすると、当時信じられていたことと、現在信じられていることはかわっているかもしれないけど、物語として、今でも十分に楽しめる。

 

歴史ロマンも、楽しい。 

なかなかの読み応え。

映画にしても楽しいだろうな、、、って思った。

 

読書は、楽しい。