『私本太平記(二)』 by 吉川英治

私本太平記(二)
吉川英治
吉川英治歴史時代文庫64
1990年2月11日 第一刷発行
1990年5月14日 第二刷発行

 

南北朝時代の時代小説、私本太平記。(一)の続き。

 

裏の説明には、
鎌倉幕府が開かれてから130年、政治の歪みが至るところに噴出していた。正中ノ変はその典型的な例である。そして公武の亀裂はますます拡大し、乱世の徴候が顕然となった。「天皇 御むほん」さえ囁かれるのである。当時は両統迭立(てつりつ)の世、後醍醐天皇が英邁におわすほど、紛擾(ふんじょう)のもととなった。この間、足利尊氏が権門の一翼として檯頭し、再度の叛乱に敗れた日野俊基とは明暗を大きく分ける。”
とある。

 

目次
婆娑羅帖(つづき)
みなかみ帖
帝獄帖

 

主な登場人物
草心尼足利高氏の母清子の姉。
覚一足利尊氏のいとこ。草心尼の息子。盲目の琵琶法師。母と二人で争乱をさけて京に向かおうとしている。

藤夜叉:田楽女。高氏の子、不知哉丸(いさやまる)を生んでいるが、右馬介(高氏の従者)に子供をあづけて、身を潜めている。

日野蔵人俊基朝臣(としもとあそん):後醍醐天皇の側近。正中の変で幕府に囚われる。
日野参議資朝(すけとも):もう一人の日野とよばれた。正中の変佐渡島流し

船木頼春正中の変で、六波羅に朝廷の企て情報が漏れる発端となる。俊基の従者。
菊王:俊基の従童。俊基から河内の楠木正成宛ての一書を託され、無事とどけた。その際、楠木正季とは、面識があった。

楠木正成:楠木党。関西の悪党。
楠木正季(まさすえ):正成の弟。

後醍醐天皇亀山天皇の流れをくむ大覚寺統。反持明院統後深草天皇のながれ)


覚一と草心尼は、高氏が北条氏に反旗を翻す可能性を懸念して、関東を離れて京都に向かう。二人の旅路に、高氏は供のものを護衛としてつけたけれど、そのうちの二人の従者がこともあろうか尼と盲(めしい)についていくだけはつまならいといって、二人を襲って逃亡を企てる。しかし、たまたま同じ旅路についていた藤夜叉がその企てを耳にして、覚一と草心尼に予め知らせておいたので、二人は無事にトラブルを乗り切る。

 

一方、俊基はすでに鎌倉からは放免されたが、幕府にとっては前科者であり、六波羅に監視されながら旅をしていた。そして、常に六波羅からの監視の目を避けるように行動していた。俊基は、菊王と頼春と合流して旅をしていたが、執拗に追いかけてくるもの六波羅放免の偽山伏に襲われる。俊基を逃すために、囮となって違う道を進んだ菊王と頼春は、急襲されてしまう。そこを助けたのが、楠木家だった。そして、毛利時親(ときちか)の山家にしばしかくまってもらう。毛利時親は、北条に縁のある家だったが、今は山にこもって兵学、外来の蔵書などの読書三昧をしていた人。後の毛利元就や輝元につながる。そこに、学びにきていたのが楠木正成だった。

 

菊王と頼春と別れた俊基は、別のところで六波羅に囚われてしまう。それを助け出す、菊王と頼春。船で逃げる三人。近くの船から赤子の泣き声が聞こえる。芸人らしき男が、病の妻とお腹をすかせた赤子をつれていて、町に薬を買いに行きたいから、しばらく妻と赤子を見ていてくれないかと俊基らにたのむ。それが縁で、後に俊基らは、この芸人に助けられることになる。男は、今は芸人のふりをしているが、服部ノ元成という武士であり、妻は、卯木といって楠木正成兄弟の実の妹だった。元成はかつて命じられた暗殺を実行することができず、愛する卯木をつれて逃げていたのだった。元成と卯木に助けられた俊基らだったが、元成と卯木もまた、俊基らに助けられるのだった。

 

元成と卯木の二人は、身分を隠しながら旅を続ける。その先で、吉田の兼好となのる僧に出会う。まさに、兼好法師兼好法師は、かつては後宇多法皇の院御所に北面(院ノ武者)だった。

兼好法師が、武者だったって、、、、しらなかった。しかも、南北朝の時代。。。
後宇多天皇は、後醍醐天皇の父。
歴史が、チョットつながった・・・。

 

元成と卯木もまた、俊基らを逃がした咎で、六波羅から狙われて逃亡の旅だった。旅と途中、兼好法師にも助けられ、具足師柳斎と名乗る男にも助けられる。柳斎こそ、右馬介の隠者としての仮の姿だった。

柳斎は、楠木家に出入りする具足師として生きていた。その縁から、卯木は楠木正成のもとへ助けを求める事をすすめる。かつて家出した里を訊ねることを躊躇する卯木だったが、結局は、正成の元を訪れる。しかし、これから混乱の世がすすむことを予測していた正成は、妹を混乱に巻き込みたくない思いから、卯木夫婦を楠木家でかくまうことはせず、金を与えて遠くに逃げよ、と申し伝える。正成は、戦を嫌い、家のものが穏やかに暮らせることを願うのだった。

 

京のまわりは、ふたたび混乱に陥ろうとしていた。そして、幕府は、俊基らを血眼になって探し続けていた。なぜなら、再び朝廷が謀反を計画しているという密書が鎌倉に届けられたからだった。それは、吉田定房という天皇の乳父による密告だった。

著者は、ここで吉田定房が幕府に密書をおくった理由は、歴史的にもわからない、と書いている。

その密書は、日野俊基と大塔の宮(天皇の第三皇子・尊雲法親王)が、主謀だと書かれていた。俊基が、さらに追われる身となったのは、この密書による。

 

南北時代の話しが複雑なのが、朝廷vs幕府だけでなく、朝廷内にも大覚寺統持明院統の二統があったことによる。後嵯峨天皇の皇子たちによる派閥からできた二統。吉田定房は、朝廷内で揺れ動いたのだろうか・・・・。本書の中では、なぜこの二統ができたのかという説明に数ページがさかれている。兄弟で対立し、後に、かわりばんこに天皇に立とうという取り決めになった。

後嵯峨天皇を1とすると、
2 後深草  (持明院統
3 亀山 (大覚寺統
4 後宇多 (大覚寺統
5 伏見 (持明院統
6 後伏見 (持明院統
7 後二条 (大覚寺統
8 花園 (持明院統
9 後醍醐 (大覚寺統

というのが、歴史。
後醍醐天皇からさかのぼって90年の後嵯峨天皇の時代からはじまった二統による対立。

そして、結局、俊基はつかまってしまう。斬首されるまえ、高氏は俊基としばし懇談する。そして、俊基は高氏に妻・小右京への形見を託すのだった。俊基が処刑されてしまった今、佐渡へ流されていた資朝の身もあぶない。俊基は、自分の死を資朝の耳に入れてやってほしい、と高氏に頼むのだった。時代の流れはどっと動き出してしまった。そう思っていた高氏のところへ、7年ぶりに隠者となっていた柳斎・右馬介が現れる。一瞬にして互いを認め合い、長年の右馬介の隠密の働きに礼をいう高氏。そして、高氏は、佐渡の資朝へ俊基の死をしらせてくれるよう、右馬介に頼むのだった。

 

右馬介は、再び具足師柳斎となって佐渡に赴く。そこで、資朝が既に処刑されてしまっていたことを知る。また、資朝の息子である少年に出会い、少年を幕府の魔の手から救い出すのだった。

後醍醐天皇は、とうとう、決心する。内侍所(ないしどころ・三種の神器を置くところ)から、神璽(しんじ)、御鏡などを準備させ、笠置の山へ向かった。天皇脱出。そして、自分に味方してくれるであろうと頼る武士たちの集結をまつのだった。

そして、有名な後醍醐天皇の夢の話。楠木を頼れと、弥勒と虚空蔵が夢枕に立ったというのだ。

 

 弟の楠木正季は、血気盛んに天皇と共に戦に立ちたくて仕方がない。一方、正成はあくまでも平穏な暮らしを求めたいと願う。そこに、卯木が一人で訪れてくる。夫元成も武士へ戻らざるを得ない事態となった。もはや、世は戦乱を免れない。夫は、武士にもどり、伊賀に向かったという。だれが宮方でだれが鎌倉方かも読めない混乱。


(二)では、後醍醐天皇笠置山に向い、味方を集めようとする所まで。