『民主主義全史』 by ジョン・キーン

民主主義全史
ジョン・キーン
岩本正明 訳
ダイヤモンド社
2022年8月23日 第1刷発行

The shortest history of democracy (2022)

 

図書館の新着の棚にあった。ふと、目に入った。表紙に、

民主主義全史

世界で一番短くてわかりやすい
ビジネスパーソンとして知っておきたい教養
独裁 VS 民主主義?
これから世界はどうなる

 

と、たくさんの文字があって、どれが本のタイトルよ?という感じなのだが、『民主主義全史』ということで歴史であり、かつ、これからどうなるのか?という内容のよう。パラパラとめくってみると、資料としての写真やイラストも結構はいっていて、面白そうだったので借りてみた。

 

表紙裏の説明には、
”民主主義をめぐる景色は一変している。
30年ほど前まで民主主義の前途は明るく見えた。人民の力は重要だった。恣意的な支配に対する市民の抵抗が世界を変えた。いま、民主主義者たちが不安定な時代を生きているという感覚にさいなまれながら、劣勢な立場に置かれているのはなぜなのか。”
とある。

 

感想。
うん、面白かった。結構、目からうろこなところもあるし、民主主義と一言で言っても、ホントに様々なんだ、と納得。 

 

読みながら、途中で、これは、アメリカ人ではないし、ヨーロッパ人でもない、どこの人だろう???と思って確認すると、オーストラリアの人だった。従来の民主主義に関する主張を全否定するわけではなく、尊重するところは尊重しつつ、新たな認識に立つべき点を述べていて、なんというか、読んでいて、好感が持てる感じ。
あ、この人は、偏っていない、、、。という感じがするのだ。
歴史上の様々な人の言葉、学説を引用しているが、それぞれの時代にそって考えれば、その時代の認識としては適当であったのだろうし、その後の時代を生きている自分が、それを真っ向から否定するのはちがっている、、という感じが見え隠れする。
なんか、すがすがしい?!

 

本書に記載された情報によれば、著者のジョン・キーンは、オーストラリアの政治学者。現在シドニー大学およびベルリン科学センターの政治学教授。アデレード大学で政治、政府、歴史について学び、トロント大学で哲学と政治経済分野の博士号を取得。その後ケンブリッジ大学で研究を続けた。民主主義に関するクリエイティブな考え方を持つことで有名であり、1989年には世界初の民主主義研究所である Center for the Study of Democracy (CSD) を設立した、とのこと。

若いのかな?と思って調べてみたら、Wikipedia情報では、1949年生まれで73歳。
やわらか頭のひとだな、って感じ。

 

本書の内容は、ダイヤモンド社のWebページのまとめが、よくできている。

diamond.jp

抜粋すると、
●多くの人は、民主主義はギリシャ都市国家で生まれたと思っているが、民主主義の起源は現在の中東、メソポタミアである。

●民主主義は、常に時の権力者に敵視されてきた。プラトンアリストテレスをはじめ、多くの哲学者や知識人も、民主主義は乱暴で不確実性の高い良くない政治制度だと考えた。

●現在、世界最大の民主主義国は、貧困と格差がはびこるインドであり、アフリカのセネガルイスラム教をベースとした民主主義国家と言える。民主主義はむしろ多様化している。

アメリカ型の自由な民主主義は必ずしも民主主義の最終進化形態とはいえない。民主主義は新たな独裁者や専制主義者、ポピュリストたちから挑戦を受け、新たな進化を遂げつつある……

 

出版社のWebなんだから、当たり前だけど良くまとまっている。ただ、本書を全部読むと、もっと民主主義がどうかわってきたかがわかるので、歴史の勉強もしたい人には、ぜひ、手に取って読まれることをお勧めする。
本書は、章を3つにしか分けていないのだけれど、結構、それが秀逸。たしかに、大きく分けると、民主主義は、メソポタミアの時代から3段階で、進化?変化してきていると言える。それが、なかなか、わかりやすい。でいて、目からうろこ。

 

目次
第1章 集会民主主義の時代  メソポタミアからギリシャ
第2章 選挙民主主義の誕生  欧州から大西洋へ
第3章 牽制民主主義の未来  挑戦を受ける多様な民主主義

 

集会、選挙、牽制、とこの3段階で民主主義は変化してきたのだ。そして、今現在も、民主主義といっても国によってその形は様々であるということ。

民主主義になってきたはずなのに、香港、ミャンマーのように善良な市民が身柄を拘束され、投獄され、刑に処されている国もある。アメリカでは中間選挙が終わったばかりだが、「民主主義の危機とおもうか?」という世論調査をすれば、少なくない人が危機と感じていると答えている。

 

著者は、強大な経済的・地政学的力によって、民主主義の精神と精度が脅かされているのは事実だが、過去と向き合い、過去の出来事を振り替えることで、未来を語る手立てはあるという。民主主義の未来を楽観するわけでもなく、悲観するわけでもない。希望は持てるのだ、という。
そう、この「希望をもって」語っているあたりが、読んでいて好感が持てる感じがするのだ。別に、過度に希望的観測なわけでもなく、とても冷静に歴史を分析している感じがする。

うまく説明できないけれど、なかなか良かった。
読んで、よかった、と思った本。

 

アテネが発祥と思っていたけれど、もっと昔、紀元前2500年、メソポタミアの時代から民主主義はあったのだと言われると、そうか、みんなで集会して話しあっていたのが、民主主義の起源か、と納得。


統治する側は、統治される側の人々とのかかわりを避けることは不可能で、集会という手段で、人々の意見を聞いていた。あるいは、聞いたふり?!をしていた。

ただ、当時の集会を牛耳っていたのは、やはり「権力者」であり集会はあったものの、みんなが平等というわけではなかった。
すると、次第に、格差から人々の不満が生まれてくる。格差が不満をうむのは、メソポタミアからギリシャの時代も、今のグローバリゼーションの時代も、同じなのだ。

ただ、識字率が低く、特定の人しか文字として活動を残すことのできなかった時代は、不満をもった人民から出版の自由を奪うことが容易で、そのために不満によって生じた人民の活動を次世代に語り継ぐことはできないだろう、、権力者はたかをくくっていた。また、デマゴークにより、人民は偏った思想に扇動されることもあった。

 

だが、時代はながれ、出版の自由、集会の自由がみとめられるようになり、時代は、「選挙」によって代理を選ぶ民主主義の時代になる。選挙民主主義の時代には、議会、成文憲法、代表者会議、出版の自由など概念が広がる。古代の集会では手を上げる、ツボに石を入れるなどの「投票」という行為自体はあったが、それが代表者を選ぶ行為というものではなかった。それが、自分たちの代表を選ぶ「選挙」という形にかわる。

初期の代議員は、教会の代表だった。ニーチェは、「民主主義は、キリスト教運動を受け継いだもの」、と言っている。選挙とは言っても、だれもに公平に選挙権があるわけでなく、現在の代議員制の形になるのは、選挙権のない人民がその不満を爆発させたのちのことだ。

選挙民主主義の時代になると、今度はポピュリストがデマゴーク化していく。

 

そして、より情報の伝達・共有が迅速な時代になると、政党とはことなる組織が政治に影響力を及ぼす牽制民主主義の時代となる。みどりの党とか、環境活動家が政府に影響をおよぼす民主主義。ほほう、なるほど、確かにそうだ、と納得。

 

そして、民主主義は、国家をこえた民主主義となっていく。国連による活動もその一つと言えるのかもしれない。

 

民主主義の形態が変わっていくときは、常にその背景に「不満」が存在している。そして、権力のあるものと権力のないものとの軋轢が、変化の波を起こす。また、その不満に対する対処の方法も、一つではなく、異なる考え方がいくつもでてくるところから政党というものもできてくる。

ただ一人の代表を選ぶ選挙ではなく、異なる考えを持つもの同士が、議会で意見を交わし合う形の民主主義に変化してきたのだ。


また、民主主義が変化していくのに、帝国の存在もあった。帝国を支配する人々は、宗教、人種、伝統、文明化された行動様式などの基準にしたがって、統治権を主張した。そして、最終的には、富の搾取、文化の生成、行政、暴力などの手段を独占することで、自分たちの主張を強固なものにする。帝国は、他のあらゆる競争相手より、自分たちを上位に位置づけようとする。
ハプスブルグ帝国、ソビエト帝国、オスマン帝国オーストリア・ハンガリー帝国、、、、。
大英帝国は、アメリカの植民地を失った後、他の各地でことなる帝国としての統治戦略を活用した。
マレーシアの一部、サワラクなどの直轄植民地では、ウェストミンスターの監督下の行政。
インドなどの植民地では、自己統治は認めないけれど、代表者からなる機関があった。
ケベック州などは、自己統治をみとめても機能すると判断されて、自治領として昇格。
そして、帝国の支配から脱したとき、新しい民主主義の形ができる。

なるほど。。。
社会の仕組みを動かすのは、人々の不満。
いつの時代も、変わらないのだ。。

昨今の中国のCOVID規制に対する人々の不満爆発は、これまでに聞いたことがないほど激しい。人々が、共産党への不満を口にするのは極めて異例のことだろう。さて、中国も変化は起こるのか???

選挙民主主義も、選挙権の変化という進化をしていく。人々の不満から、社会的平等が求められるようになっていったのだ。

日本だって、女性に参政権が認められたのは、戦後、1946年(昭和21年)のことだ。

 

そして、これからの民主主義はどうなっていくのか。

未来のことは、誰にもわからない。

でも、権力の濫用との終わりなき戦い、牽制民主主義はそれができるはず。

 

その希望が、本書の結論。

 

人は、不完全である。だからこそ、変化しつつ民主主義が残っていくのだろう。

 

世の中を動かす原動力は、不満、、、なのかもしれない。

満足してしまったら、それでおしまい、というのは社会も人の人生も同じかもしれない。ただ、人の命が尽きることはあっても、社会が尽きることがない。地球が滅亡でもしない限り、地球上に人類がいる限り、きっと、変化し続けていくのだろう。

 

なにが正しいのか、それだって、時代とともに変化していく。やわらか頭で考えるって、大事だな、って思った。