『日本史でたどるニッポン』by 本郷和人

日本史でたどるニッポン
本郷和人
ちくまプリマー新書
2020年2月10日 初版第1刷発行

 

図書館で目に入ったので借りてみた。2020年というから、比較的新しい。

 

著者の本郷さんは、1960年東京都生まれ。1980年東京大学文学部卒業。1988年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年東京大学史科編纂所に入所。『大日本史科』第5編の編纂にあたる。東京大学大学院情報学環准教授を経て、東京大学史科編纂所教授。専門は中世政治史 。

 

裏の説明には、
”日本という国はひとつの民族が、ひとつの言葉を使い、ひとつの国家を形成して、長い長い歴史を持っていると習います。けれどそれは明治時代から戦前までの教育の名残です。
ではどのように今の日本になったのか?”
と。

 

感想。
なるほど、そうきたか。ま、そういう考えもあるかもね。
面白い。
著者によれば、日本は最初からひとつだったわけではない。古来から海外からの圧力がかかったときにしか、国は変化しなかった。天皇家のように世襲がつづけば余計な競争はいらないはずだから、世襲はそんなに悪いことではない。などなど。結構、斬新というか、そんなこと言っちゃっていいわけ、、、という話しが出てくる。 一般的な日本史を知ったうえで読むと、なるほど、そういう見方もあって面白いね、って感じ。本書だけを読むと、ちょっと偏った思想になりそうな、、、。でも、それだけ個性的?な話なので、読んでいて面白くもある。

新書で、わりとあっという間に読めるので、気晴らしにさー-っと読む感じ。

 

目次
第一章 日本は最初からひとつの国だったのか
第二章 外圧でしか変わらない日本
第三章 世襲バンザイ!
第四章 日本の歴史と宗教の関係
第五章 日本史を学ぶ意義


日本は、地政学的にみれば周囲を海で囲まれているのだから、恵まれている。一つになりやすかった、といえる。でも昔は川が大きな壁になって、地域は分断されていた。
著者によれば、日本はそもそも日本海側の博多付近が大陸との玄関口だったことから、西中心だった。瀬戸内海が経済の大動脈で、大和(奈良)ですら、東のはずれだった。そして、関東より東、北は、ただの田舎で統治の対象ではなかったのだ、と。ようするに、どうでもいい地域だった、、と。天皇のいる藤原京平城京平安京が都であり、大宰府ですらド田舎だった。だから、菅原道真大宰府に派遣されたというのは、ド田舎に左遷させられた、ということと同意義だったのだ。


平泉の東北、鎌倉幕府の関東、どっちも、朝廷にしてみると、勝手にやっといてくれたらいいよ、、、ってなくらいだったのだ、と。で、室町時代になって、鎌倉とか関東はどうでもよくて、やっぱり京が栄えればいい、となる。そして、三代将軍、足利義満は、東北の統治は鎌倉公方にまかせ、自分は金閣寺に代表される都・北山文化に傾注していった。。、
戦国時代は、結局は「金」のあるものが勝った。戦国時代に金があったのは、京都の中心。でも中心は色々な勢力が行ったり来たりしていて、大きな勢力は生まれない。武田や今川は成長したものの、金はない。で、結局、京都と田舎の中間あたりにいた大名が強くなる。それこそ尾張織田信長だったのではないか、と。

なるほど、ね。
日本列島の中でも地政学は大事。

そして、歴史上、一応、天下統一したのは信長亡き後、秀吉だった。
秀吉は、朝鮮出兵で失敗した。土地がないと、豊かになれない。だから江戸時代になってから東北の開発は進む。これまでほったらかしだった東北を開拓して住める土地にしていった。東北の石高は幕末に大きく伸びたのだそうだ。

でも、東北地方は様々な点で西より遅れている、と著者は「申し訳ない言い方だけど」と断って明言している。だから、明治維新の時に、戊辰戦争の局面の一つが会津で起きたのだと。遅れているから、徳川側にたったのだ、、、と。会津藩主がもともと徳川家なので会津が徳川につくのはしかたがないとして、他の東北の面々は徳川につく必要もなかったけれど、会津が気の毒なので、いっしょになって戦ったのではないか、と。そして、そこには、東北は東北としてやってきたんだという、独自の理論があったのではないか、、と。よくもまぁ、そんなヤバい物言いできるなぁ、という感じだけれど、面白い・・・。真偽はともかく。一つの仮説としては面白い。


外圧でしか変わらない日本というのは、まぁ、まさにそうかな、と思う。一方で、世界的に見ても、外圧、あるいは疫病や飢饉といった自然の脅威によってしか、社会は変わらないようにも思う。日本に限ったことではないけれど、日本の場合、海でへだてられている分「外圧」が際だって見えるのかもしれない。

日本の歴史と宗教については、もともと神道がなんでも神様にしちゃう多神教だったから、仏教も受け入れられやすかったのだろう、と。また、飢饉や疫病などで生活が苦しくなり、庶民が宗教を必要としたので、浄土宗・浄土真宗のようなやさしい仏教がひろがったのだろう、と。念仏をとなえれば救われる優しい仏教。

著者は、日本の仏教の欠点は、お教が翻訳されなかったことではないか、と言っている。だから、意味がわからないでお経を唱えているお坊さんもいる、と。漢文を読んでそのまま意味がわかるようになるのは確かに相当勉強しないといけないだろう。でも、一般の人にしてみると、日本語で意味の分かるお経をあげられても、なんか、、、、ありがたみがないかも?!?なんて思ってしまう。馴染みのない音でこそお経、、、なんて思うのは私だけだろうか。

法事などでお経を聞いていると、時々現代文風な、意味のわかりそうな言葉が聞こえてきて、あぁ、なんか関係することを言っているのだな、、っておもうけど、全部なんかわからなくても、いいじゃない、、と思ってしまう。私が無宗教だからそう思うのだろうか。

 

時々参加している全生庵坐禅会では、いつも、最初に般若心境をとなえる。意味なんて、よくわかっていない。訳本もあるし、なんとなく大筋はしっているけれど、となえているどの言葉がどの意味かなんてわからないで口ずさむ。
そもそも「羯諦羯諦(ぎゃーていぎゃーてい)」なんて、意味がわかるわけない・・・。そもそも、ここは音に漢字をあてただけ。


まぁ、なんとも、教科書には乗らないだろうな、、という話しがいっぱいでてきた。


著者の歴史解釈がどうであるかはともかく、重要なのは、第五章「日本史を学ぶ意義」なのだと思う。第五章は、最後にちょっと付け足した感じが無きにしもあらずだが、結構、共感する。

 

著者によれば、
学ぶこと、知ることは基本的に大切である
そして、知るということは、知ったことを言語化する事ができるということで、それが大事なのではないかという。
人は、言語化することによって、自分が何をしているのかを自覚できるわけで、そういうことを習慣づけることによって自分というものができるのではないか、と。

そして、日本史を学ぶというのは、それによって現在の自分たちと比較して考えることができるから大事なのだという。歴史を学ぶことは、現代のわれわれの姿を映す鏡を手に入れることになるのだと。日本史と比較すれば、日本としての我々、世界史と比較すれば何が普遍的でなにが特殊なのかがみえてくるのだと。

 

歴史を学ぶには、「裏を取る」ということが大事になる。自分の知識に間違いないことを裏付ける確実な根拠や証拠を示せることが歴史を学ぶ上で大事。良質な証拠を取捨選択する力が、歴史を学ぶことで養えるのではないか、と言っている。

 

なるほどな、と思った。私は、自然科学専攻だったので、証拠は実験で実証するのが手段だった。でも、歴史というのは実験で確認できるものではない。だからこそ、多くの情報から確からしさを読み取り、自分の知識を構築する必要があるのだろう。

そして、歴史というのは、それぞれの歴史的出来事の因果関係を考えるのが重要である、と。原因と結果がつながった短い物語をいくつも重ねることで、だんだんと大きな物語が生まれてくる。そして、帰納と演繹によって、仮説をより確かな物語としていく。大がかりだし、時間のかかる作業だ。著者はそれを「思考法の実験場」といっている。

私は、思考の実験より、科学的実験が好きだったんだな。
でも、最近たくさん本を読んでいて思うのは、思考の実験を楽しんでいる、ということ。
読書にはキリがない。キリがないからこそ「良質な本」を見極める力も必要だよな、と最近思う。

 

歴史の解釈の一つとして、また、歴史を学ぶことの意味を確認するという点で面白い本だった。

こういう本をふと手にする機会があるは、図書館ならでこそ。

図書館というものができた歴史も調べてみたら面白いかもな、なんて思った。

DVDなどの有料レンタル店がある一方で、本というのは図書館で無料で借りられて当たりまえって思っている。国として国民への教育の機会の一つなんだろうな。

 

本との出会いは、楽しい。

図書館、バンザーイ。