『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』 by 磯田道史

司馬遼太郎」で学ぶ日本史
磯田道史
NHK出版
2017年5月10日 第1刷発行
2017年10月15日 第10刷発行


図書館の歴史の棚で見つけて、面白そうなので借りてみた。

 

先日、磯田さんの『歴史とは靴である』を読んで、やっぱり磯田さんの本は面白いと思った。

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磯田さんについてのおさらい。

著者の磯田さんは、1970年岡山市生まれ。2002年慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程、修了博士(史学)。専門は、日本近世、社会・経済史、歴史社会学、日本古文書学。著書多数。

 

表紙の裏には、
”当代一の歴史家が、日本の歴史観に最も影響与えた国民作家に真正面から挑む。戦国時代に、日本社会の起源があるとはどういうことか?
なぜ「徳川の平和」は破られなくてはならなかったのか?明治と昭和は本当に断絶していたのか? 司馬文学の豊穣な世界から「歴史の本質」を鮮やかに浮かび上がらせた決定版。”
とある。

 

はじめにで、「司馬遼太郎」その人について述べられている。司馬さんの代表作と言われているのが『竜馬が行く』、『飛ぶが如く』、『坂の上の雲の3大長編。

坂本龍馬大久保利通西郷隆盛、そして秋山真之を始めとする日露戦争の群像が躍動し、アジアで唯一の列強へと駆け上がっていく。その日本の自画像を描いた物語。磯田さんは、
”これらを読む日本人は、幕末から近代にかけての歴史を非常に痛快な明るい歴史と捉えました。”と言っている。重要なのは、それは、司馬さんの創作でもあるということ。あくまでも、小説なのだ。


司馬さんが、最後まで「ノモンハン事件」については、書けなかったのは、有名な話。それは、司馬さん自身の戦争体験によると言われている。磯田さんは、司馬さん自身が、自らが植民地を獲得する側にたったという事が自身の青春を暗いもの、辛いもの二していくことにつながっているのだ、、、と。

ちなみに、ノモンハン事件については、半藤一利さんが書くこととなる。

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磯田さんは、
司馬遼太郎を読めば日本史がわかる」というのは、半分は正しくて、半分は間違いです」といっている。司馬さんの作品は、文学。そして、司馬さんの歴史観は、

日本陸軍を作り上げた権力体の元をたどっていくと、織豊時代濃尾平野に生まれた、のちに天下人になっていく人たちの話に行きつく、と言うように、司馬さんにとっては戦国史も幕末史も、すべて日本近代史のための歴史であり、そこには司馬さんなりの独特の歴史の見方が働いていると言う事。」と。

そういったことを踏まえたうえで、日本の歴史と日本人をより深く理解するために、司馬遼太郎さんがどのように歴史をみていたのかを読み解いていこう、というのが本書。

 

感想。
面白いなぁ。
うん、やっぱり、面白い。
教科書に載っている日本の歴史をある程度理解したうえで司馬遼太郎を読むと、より面白くなるように、本書も、教科書と文学と、両者を比較しながら読み解いているところが面白い。新書なので、あっという間に読めるし、司馬遼太郎&歴史好きには、なかなか楽しい一冊。

 

目次
序章 司馬遼太郎と言う視点
第一章 戦国時代は何を生み出したのか
第二章 幕末と言う大転換
第三章 明治の「理想」はいかに実ったか
第四章 「鬼胎」の時代の謎に迫る
終章 21世紀に生きる私たちへ

 

最初に、司馬さんとは、歴史を作った歴史家のひとり、という話。

 

そのような歴史家の例がいくつか述べられている。
太平記』の作者、小島法師は、後醍醐天皇の即位から細川頼之の官僚就任までの半世紀に及ぶ南北朝の動乱を描いた人。『太平記』によって、楠木正成が一躍スターになった。

頼山陽は、『日本外史を書き、源平から徳川に至る武家の興亡史22巻を書き上げた。この書では、武家の世は、天皇からの「借り物」のようなモノであることを当時の日本人に認識させた。

徳富蘇峰は、『近世日本国民史』全100巻(1919~52)を書いて、国民国家日本の成り立ちの歴史を日本人に認識させた。

これらの史書は、私はどれもちゃんと読んだことが無い・・・・。読んだら楽しいのだろうなと思うけれど、あまりの膨大さに、、、せめて、『太平記』くらいは本でよんでみようかな。。。という気もする。

と、これらのように、さまざまな歴史家が歴史をかいているのだけれど、それに続くのが司馬さんだろう 、と。司馬さんの作品は、ほとんどが「歴史小説」と呼ばれるもので、古くなるほど史実から創作に寄っていくという。

他にも、司馬さん以外にいくつかの歴史小説が紹介されている。
鬼平犯科帳』とか、『甲賀忍法帖』とか、、、。実在の人物を自由な空想で描いた小説。これはこれで、物語として楽しい。大衆娯楽小説としては、必ずしも史実にぴったりはまっていなくてもよいのだ。だって、小説だもの。

歴史小説の中にあって、司馬さんの作品は、時代の動きを「動的」に捉えた物語が多い。ある、一時を切り取ったのではなく、時代の流れを描いている。だから、歴史を学んだような気にもなる。それはそれで、良いのだと思う。なるほどなるほど。確かにそうだ。時代の流れが動的に描かれている。そこに、読んでいてその歴史の流れを一緒に経験しているような感覚になるところが、自分も一緒に冒険しているみたいで楽しいのだ。

 

本書は、章ごとに時代が移り変わって話が進むので、とても読みやすい。

 

第三章では、国民国家というものが、日本でもできた時代は明治維新のときなのだということが、改めて認識できる。幕末・維新について勉強していても、「国民国家」という単語がはっきりとでてくることはあまりないのだけれど、「藩の為ではなく、日本の為に」と考えた維新の人たちこそ、国民国家を考えた最初の日本人ということなのだろう。

 

そもそも、地球上に「国民国家」という概念が生まれたのが、1647年に三十年戦争講和条約として結ばれたエストファリア条約から。日本は鎖国の真っ最中。そこから遅れること200年以上たって日本も世界の流れにのったのだ。

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19世紀は、世界の競争の世界だった。欧米列強が軍事力を背景に、植民地の権益をめぐって競争していた。世界地図は、「欧米列強」と「その植民地」という二つに色分けされた。この弱肉強食の時代に、「明治という国家」を考えたのが幕末に活躍した人々。
ちなみ、本書の中で、勝海舟については、
「のちに戊辰戦争の時には西郷隆盛と会見して、江戸城総攻撃をやめさせ、江戸を火の海にすることを防いだことに尽力したと言われていますが、実際の下交渉は山岡鉄舟が事前にやっていて、勝がその手柄を持っていったと悪口をいわれることもあります。」
という記述が。
へぇ、、、そうなんだ。


などなど、細かくは覚書しないけれど、ちょいちょい挟まれる逸話も面白い。 

司馬遼太郎を読む前でも、後でも、楽しめる一冊だと思う。

 

小説はあくまでも小説。でも、それが頭の中で歴史上のシーンとつながったとき、パチンって、面白さが急上昇する。歴史が先でも、小説がさきでも、どっちでも。

 

やっぱり、色々読んでみるって大事。

出会った本は、読んでみる。

読書は、出合いだ。