『読解力を身につける』 by  村上慎一

読解力を身につける
村上慎一
岩波ジュニア新書
2020年3月19日 第1刷発行

 

図書館のジュニアの棚で見つけた。面白そうなので、借りてみた。

 

著者の村上さんは、1960年名古屋市生まれ。1982年、名古屋大学教育学部教育学科卒業。2007年、名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士過程修了。大阪府立中学校、愛知県立岡崎高等学校などで国語教諭として現代文・古文・漢文を教えてきた。現在、愛知県立名古屋南高等学校校長 。著書に『なぜ国語を学ぶのか』(岩波ジュニア新書)、『らくらく小論文』(共著)などがある。

 

本の裏の説明には、
”国語の読解とは何でしょうか。どうすれば読解の力が身につくのでしょうか。段落の意味とは? 要約はどういうのようにまとめるのか? 評論、実用的な文章、資料やグラフ、そして文学的な文章など、それぞれの特徴に応じた読解の方法を丁寧に解説。ロングセラー『なぜ国語を学ぶのか』の著者による新しい国語入門です”

 

へぇ、『なぜ国語を学ぶのか』っていう本は、ロングセラーらしい。小学生の時から国語が嫌いだった私としては、まったく興味を持ったことがなかったので知らなかった。テストで「たろうくんは、そのときどうおもったでしょう。」などという問題が大嫌いだった。そんなものに正解なんてない!と、子どもながらに思っていたのだ。読解することなく、自分勝手に読んでいたから。

 

最近では、人間がAIに勝てるのは読解力が必要なこと、とも言われる。そして、人間の読解力の衰えも指摘されている。。。
著者の村上さんは、「国語を学ぶのは、より良い人生、より豊かな生のためであり、国語という教科の推進力が『読解力』だ」といっている。

「読解力」は読むことだけでなく、聞くこと、話すこと、書くことのベースにもなる。言葉の表現者の意図を正確に読み、それを自分の言葉に置き換えて解釈する力が読解力。疑問が生じれば、自分の頭で考えてみることも必要。読解とは、創造力、思考力の鍛錬なのだ、と。

うんうん。なるほど。
確かに、読解力こそが、世の中を理解するのに重要な力なんだと思う。

ということで、ジュニア新書なので、とても分かりやすく、さ~~~っと読めて、面白い本だった。

 

目次
はじめに
1 「評論」の読解
2 「実用的な文章」の読解
3 資料(グラフ)の読解
4 文学的な文章の読解
5 読むことと書くことの関係
おわりに

 

本書は、生徒Aと生徒Bの質問に先生が応える、という質疑応答形式で語られる。だから、質問、回答、質問、回答、とまとめられているので、とてもわかりやすい。ところどころに、著者のコラムが挿入されている。

「評論」の読解では、「テーマ設定をとらえること」「段落毎の要約を考えること」を課題に、香山リカさんの『空気を読む』という文章を用いて、3人で読解を実践してみる。全部で11ある段落を、段落ごとに内容を1文でまとめ、さらに縮約する練習。縮約とは要約の約。段落ごとの文を繋げて、再度段落にする。文書の主旨ごとに区切る、って感じ。
そして、もとの文書に対する質問に、答えられるのかを確認する。

本書の中では、新書で8ページ分くらいの香山さんの文章が、見事に要約されている。

おぉ、なるほど。


確かに、段落ごとにまとめて、さらにつなげて要約するって、なるほどなるほど。多分、あまり意識せずに本を読んでいたけれど、かってにそうしながら読んでいたかもしれない。
段落を意識するって、受験問題だったら、大事かもね。
あるいは、英語試験の長文読解でも同じことが言えるかもしれない。段落ごとのまとまりを考える。そして、全体の主張をとらえる。

なるほど、なるほど。
段落って、あまり意識していなかったけれど、大事だ。

 

この章には、「コミュニケーション力」というコラムが挿入されていて、内田樹さんの言葉が引用されていた。
「コミュニケーション力とはどこかに謳われているような”自分の意見をはっきりと言う力”などではない。今この瞬間に相手への表現をイノベーションする力をいうそう。でないと相手には届かない」
新しい切り口で言葉の新しい活用法を創造して、相手に伝わる言葉で伝える能力こそがコミュニケーション能力である、と。
うん、さもありなん。

 

「実用的な文章」は、契約書などの文章。たしかに、これを正しく理解できないと、実生活で困る。実用的な文章の場合は、読解というより、それぞれのパーツを関係含めて正しく読み取ることが大事。法律なども、実用的な文書だ。

ってところで、一定の定義で「実用的な文章」という言葉が使われるようになったのは、平成30年の文部科学省が高等学校学習指導要領でいいだしたことから。私には、なんてナンセンスなこと言っているのだ、と思えるのだけれど・・・・。
文科省曰く、「文学的な文章」を引いた残りが、論理的な文章と実用的な文章、なのだそうだ。そういうことを言うこと自体、文章力ないんじゃない?と突っ込みたくなる・・・・。
で、で実用的、論理的な文章に傾注した学習が大事されちゃうわけ???

実用的な文章の読解力はあるけど、文学的な文章の読解力はない、、、、って、AIか!おまえは!って突っ込みたくなるような人間をそだてたいのだろうか・・・。
言語の発生から考えると、物語ありきで、そののちに法律が言葉になったのではないかと思うけど・・・・。

 

資料(グラフ)の読解が本書のテーマに含まれているのが面白い。たしかにね、正しく図表をよみとるって、自然科学の勉強をしていると当たり前だし、見た人が誤解しやすい図表はアカデミックにはゆるされない。でも、宣伝広告などでは結構ある。円グラフか棒グラフかとか、折れ線グラフなのか、散布図なのか、そもそもグラフにする目的によって、意図が異なるんだけれど、無意味なグラフ化。折れ線でつなぐべきではない点が結ばれちゃっているとか。
図表は、前後のコンテキストが大事。どういう目的でグラフにしたのかを考えてグラフを見れば、おのずとグラフの読解力はあがる。

 

小説については、①心情の把握、②背景(時代・場所など)が大事だという。明治時代の話しを令和の常識でよむと、ありえん!!ってことがたくさんある。けれどそれを突っ込んでも仕方がないわけで、当時の背景を理解したうえで、登場人物の心情に思いをはせるわけだ。夏目漱石の作品なんて、心情把握したいと思って読むと、最高に楽しい。
心情のヒントは、当人のセリフや行動だけでない。主人公が目にした風景の描写などにも心情のヒントは隠れているのだ、と。

 

芥川龍之介の『羅生門』が例として取り上げられていた。下人、老婆、それぞれの表現意外に、目に入る景色の描写。解説がなかなか面白い。短いおはなしだけれど、深い。”下人の行方は、誰も知らない”というラスト。たしかにねぇ。。。。
羅生門』を読み直してみたくなった。

 

最後に、読むことが書くことにつながるという話。テーマ、自分の意見、論拠、そういったものを意識して読むことができるようになると、自分で書く文章もそうなっていくのだ、と。

「文章の読解は、書くことの前提にある」ともいえる、と。

なるほどねぇ。
ジュニア新書だけれど、大人にとっても十分有意義な気がする。 

 

読んでよかった。

読書は楽しい。