「未来を生きるための読解力の強化書」  by 佐藤優

未来を生きるための読解力の強化書
佐藤優
クロスメディア・パブリッシング
2021年10月1日初版発行

 

佐藤さんの新刊。本屋さんで目に入ったので買ってみた。


帯には、
”仕事、人間関係、人生で「行間を読む力」がもっと必要になる
本を読み、人間を読む
読解力を磨くレッスン
特別講義を収録! 中学3年生と3日間、読解力について学んだ ”
とある。

 

特別講義は、青山学院横浜英和中学高等学校(キリスト教プロテスタント系)、中学3年生に向けて全3回の集中講義。
テーマは「真理はあなたたちを自由にする ~ 三浦綾子の『塩狩峠』を手がかりとして学ぶ」というもの。本書の半分ぐらいは、この中学3年生との講義のやり取りが収められている。

なかなか、面白い。
本書の構成は以下の通り。

はじめに
第1章 人生は読解力で決まる
第2章 読解力とは行間を読む力
第3章 特別講義 小説を通して読解力を身につける
第4章 違和感を大切にする
第5章 未来を読み解く力
集中講義に対する感想(一部抜粋)


「はじめに」で、佐藤さんは、読解力を
「相手を正しく理解し、適切に対応する力」と説明している。それは、読む・書く・聞く・話すの集合体であり、コミュニケーション力そのものであると。

「読解力」と言っているのは、ただ文章を正しく読む、というようなことではなく、そこから導き出される発信者の「内在的論理」を自分なりに導き出す力ということを言っている。佐藤さんらしい、説明。

そして、AIには困難な「行間を読むことができる読解力」を強化せよ、と。
行間を読み、相手の意図をくみ取れる人は、人との適切な距離感も取れる。それは、未来を生きていくうえで、大切なこと。
自分の思考の幅だけでとらえるのではなく、世の中は幅広く多様な認識にあふれている、と言う前提で、人の話を聴き、行間を読む。それができなくなると、「ナショナリズム」をまねくのではないか、という。

実際に、行間を読む力を高めるために、佐藤さんが中学三年生に向けて実施した講義がとても興味深い。

 

題材は、三浦綾子さんの『塩苅峠』。
塩狩峠』は、三浦綾子さん(1922~1999年)の代表作。

三浦さんは、北海道旭川市生まれ。16歳で小学校教員に。時代は軍国主義の真っ只中。戦前戦中と三浦さんは軍国主義教育を行うことを余儀なくされたが、戦後、民主主義の世の中になり、自分が教えてきたことが間違っていたことに絶望し教職を去る。その後まもなく肺結核と脊髄カリエスを併発し、長い闘病生活中にキリスト教と出会い、1952年洗礼を受けてプロテスタントキリスト教になる。
1963年『氷点』が朝日新聞の懸賞小説に入選し64年に同誌の連載小説して掲載される。
その後、1966年、『塩苅峠』を日本基督教団出版局の月刊雑誌『信徒の友』に連載。
『塩苅峠』は、実例をもとに作られたもの。敬虔なキリスト教徒で真面目な鉄道職人だった長野政雄さんと言う人が、非番で天塩線(現在の宗谷本線)に載っていた時に塩苅峠でおきた脱線事故。長野さんはとっさに身を投げて自分の身体を障害物にすることで客車を停車させた。勇敢で感動的な自己犠牲の話、として当時全国で話題になった。

 

『塩苅峠』は、私も子供のころに読んだ。
札幌生まれの私にとっては、北海道を舞台にしたお話は、身近に感じられた記憶がある。
子供なりに、たまたま列車に乗り合わせた他人の命を助けるために、自分が犠牲になる人の感動のお話、実話に基づいた、感動の話、という理解をしていた。ただ、当時は、キリスト教と仏教の違いなど、まったく認識がないころだったし、三浦綾子さんがキリシタンであることを認知していたかは覚えていないけれど、キリスト教の信者を聖者のように書いたお話なのだと思っていた。


本書の講義のやり取りを読んでいると、そんな簡単な話ではないのかもしれない、と言う気になってくる。


佐藤さんは、「世の中に正しい人は一人もいない」という。
小説も、それぞれの人の読み方があるし、共感する人もいれば、共感できない人もいる。そのように、人々の思考には幅があり、自分だけが正しいという事は決してない、ということだと、改めて気づかされる。

 

佐藤さんは、読書をするときに、「批判的」に読むことを進めている。自分の中で、クリティカルな視点を持つ。なぜ?どうして?なにが?

 

佐藤さんは、三浦さんが「ナンマイダ、ナンマイダ」と言って念仏を唱える六さんを登場させることで、仏教批判をしている、という。
そんなことは、私自身、考えたこともなかった。でも、もともと『信徒の友』に連載されていた小説という事を考えると、それは正しい行間読みなのだろう。

他にも、佐藤さんが生徒たちに色々な質問を投げかける。それぞれの答えが興味深い。どれも、間違っていることはない。みんなで同じ本を読んでも、共感すること、共感できないこと、それぞれの人が異なった感想を持つ、ということ、そのことの学びの場になっていく。
「こんな授業ならうけてみたかった!」、と思ってしまった。

最後にある、生徒たちの「集中講義に対する感想」も、なかなか良い。佐藤さんの想いは、きっと生徒たちにしっかり伝わったと思う。


そして、佐藤さんは、小説であっても、1回目はざっと読み、二回目にじっくり読むことを進めている。
確かに、二回読むと、本そのものへの感想が変わることがある。
映画でも、同じ映画を二回みると、一回目には気が付かなかった細かい演出や矛盾に気が付くことがある。

 

本書の第四章に「違和感を大切にする」、という章がある。
「違和感を大切に」というのは、佐藤さんが他の著書でもしばしば述べていることだ。直感で感じる違和感。それをむりやり共感にしようとすることはない、と。
それが、批判的に読む、ということ。

 

人は、誰かに感化されて生きていく。
直接出会う人のこともあれば、小説の中の人物のこともある。
凶悪犯のような人物であれば、小説の中で出会うだけで十分だ。
疑似体験。
小説は、その人物になり切って読めば、疑似体験ができるし、批判的に見れば、第三者でみる体験ができる。

確かに、小説を考える力の題材にするって、いいなぁ、と思った。

 

私が読書感想文や国語の授業を好きになれなかったのは、主人公に共感するのが当たり前で、「そうだね」と言ってもらえる事を書かないといけない、と思っていたからかもしれない。

批判的でもいい。
よく考えれば、そりゃそうだ。

 

人と違う感想があって、当たり前だ。
私と違う感想の人がいて、当たり前だ。

 

そうなのだ。
世の中は、多様性であふれているのだ。
そんなことをリマインドされた感じの一冊だった。

三浦綾子さんの小説を、読み直してみようかな、なんて思っている。

 

読書は楽しい。

 

そうだ、最近、佐藤さんから「慢性腎不全を抱えている身なので、残り時間を考える」という発言が増えている。

どうか、お体を大事にしてください・・・・。

 

f:id:Megureca:20211130135823j:plain

未来を生きるための読解力の強化書 by 佐藤優