「言志四録」 佐藤一斎:7 躬は地、心は天

「言志四録」(三) 言志晩録
佐藤一斎
川上正光全訳注
講談社学術文庫
1980年5月10日 第一刷発行

 

今日は、西郷隆盛が愛読していたという『言志四録』から。

megureca.hatenablog.com


7 躬(きゅう)は地、心は天

 

*躬
音キュウ
訓み・みずから
①み。からだ。 ②みずから。自分で。「躬化」「躬行」「躬耕」

 

人は皆仰いで蒼蒼たる者の天たり、俯して隤然(たいぜん)たる者の地たるを知れども、而も吾が軀の皮毛骨骸(ひもうこつがい)の地たり、吾が心の霊明知覚の天たるを知らず。

 

訳文
人々は皆空を仰いで青々と際限なく広がっているものが天であり、そして柔らかく固まっているものが地であることを知っている。しかし、自分自身の皮膚、毛髪、骨骸等は地から受けたものであり、我が心の霊明にして知覚あることは、天から授かったものであるということを知らずにいる。まことに残念である。 

 

語義
蒼々(そうそう):天の青きさま。
隤然(たいぜん):柔順たるかたち。


う~~ん、これしか載っていないので、どういうことか、考えあぐねてしまう。

 

人間の身体は、物理的に目に見えていて、それは地でできている。父母、祖父母から脈々と受け継がれたこの命は、地にある食べ物を食べてその体をつくってきた。この身体があるのは、大地があるおかげ。

 

そして、私たちは、ものを考える。感じる。知覚する。それは、天からいただいたものだ、、、。ここでいう天というのは、時間という縦の世界の事だろうか?あるいは、目に見えない、風や音、光や暖かさのようなものか。

きっと、私たちを取り巻く環境全てなんだろう。過去と未来も含めて。

 

私たちは、大地があるから生きることができて、大気に包まれた地球という環境があるから感じたり、考えたりすることができる。

自然に対して、いかにも小さな生き物である人間。それを知らずにいるのは、いかにも残念、、、ってことかな。

 

おごるなかれ。
人間も動物も植物も、地と天がなければ生きていけない。

 

自然を慈しむ心を忘れてしまうということが、どれほど危険なことか・・・。

日常の些細なことに振り回されがちだけど、ど~~ん、と、大地に踏ん張って、天を仰いでみれば、自分の悩みがどれほどちっぽけなものか。

そういう気持ちになれれば、前に進む勇気もでて来るってもんだな。

 

私たちの今は、時間軸と空間軸のなかにある。

ビッグバンから宇宙の消滅まで。

自分の中の素粒子から宇宙の果てまで。

 

私たちは、自分自身であり、自分とは自分だけのものではない。

だから、全ての環境を大切にしなきゃね。

自分も、周りの人も、自然も。