『NHKさかのぼり日本史 ④明治 「官僚国家」への道』 by  佐々木克

NHKさかのぼり日本史 ④明治 「官僚国家」への道
佐々木克
NHK出版
2011年10月30日 第一刷発行

 

図書館でなにかないかなぁ、ってウロウロしていて目に入った本。NHK出版はわかりやすいし、新書サイズで、時間つぶしにちょうどいいと思って、借りてみた。さかのぼり日本史は、出来事のその前の出来事の、その前の、、、、とさかのぼっていくので、「なぜなぜ分析」の様に読めて、理解しやすい。④、⑤、⑥とまとめて借りてみた。

今回は、④明治「官僚国家」への道。

 

著者の佐々木さんは、1940年秋田県生まれ。京都大学名誉教授・博士(文学)。日本近代史を専門とし、とくに大久保利通の研究でしられているそうだ。全体に、大久保視点で語られているところが、一貫していてわかりやすい、ともいえる。

表紙裏には、
”歴史には時代の流れを決定づけたターニングポイントがあり、それが起こった原因を探っていくことで「日本が来た道」が見えてくる。
急速な近代化を果たした明治期の日本。その国家運営の中核を担ったのが「官僚」だった。
1889年 → 1881年 → 1873年 → 1871年の指導者の「信念」に裏打ちされた政策を見る。”と。

ターニングポイントは、

1871年 岩倉使節団の米欧派遣 (不平等条約の改正には、国際法学ばなきゃ)
1873年 内務省設立 (大久保利通の殖産興業への傾注)
1881年 明治14年の政変 (大隈重信自由民権運動派の追放)
1889年 大日本帝国憲法発布 (官僚立場の確立)

 

歴史の勉強の一冊。

 

本書がさかのぼる歴史の出来事は、大日本帝国憲法がどうやって出来るに至ったか。
岩倉使節団として海外をみてきた大久保が、日本を強くするには殖産興業が不可欠と考え、財源確保のために各種財政政策にはしり、それに不満をもった人々が自由民権運動をたちあげ、弾圧され、、、官僚国家へ。

今の時代を生きる私にとっては、官僚がいる世界が当たり前で、大日本帝国憲法がその基盤を作ったと言われても、ふ~~~ん、って感じだ。でも、明治前半は政治家と官僚の区別が曖昧だった、と言われて、なるほど、と思った。大久保利通は参議でありつつ内務省伊藤博文は参議でありつつ工部省。官僚として働きつつ、議会をつくっていったのだ。そうか、江戸時代には国会なんてなかったのだよな、、と。

 

目次
第1章:帝国憲法・権力の源泉
第2章:14年の政変近代化の分岐点
第3章:巨大官僚組織・内務省
第4章:岩倉使節団・近代化の出発点 

 

時代の流れを覚書。

 

さかのぼりなので、第1章:帝国憲法・権力の源泉で、憲法ができる数年間から。
1882年:伊藤博文憲法調査のため渡欧
1885年:太政官制を廃し、内閣制度を創設。第一次伊藤博文内閣成立
1886年帝国大学令公布
1887年:伊藤博文、神奈川県金沢で憲法草案の検討を開始
1889年:大日本帝国憲法発布
1890年:第一回帝国会議開会

 

伊藤博文は、幕末にはイギリスへ、1870年にはアメリカへ、そして岩倉使節団としても海外に渡り、1982年には憲法調査のために、ヨーロッパへ行っている。そしてプロイセン時代のビスマルクが、憲法を持ちながらも政治運営としては議会がうまく回っていないことを目にしていた。だからこそ、”どんなに良い憲法を作っても、政治運営がうまくいかなければ意味がない”と気づいた。そして、議会に対処できる強い政府が必要、と考え、1885年に太政官制を廃し、内閣制度を創設した。もっとも、この時の内閣のトップは天皇だ。その時点で、憲法はまだない。
そして、その内閣で働く優秀な人材を育成するために「帝国大学」を総合大学とし、官僚の育成に力をいれた。

東京大学は、まさに、官僚育成のための教育機関として整備されたのだ。


第2章:14年の政変・近代化の分岐点では、自由民権運動の発生とその停滞、そして官僚国家になった流れ。
14年の政変といわれても、私には何の事かわからなかった。14年の政変とは、大隈重信が国会から追放されたこと。大久保利通らは、大隈や福沢諭吉と言った自由民権派の早急な国会設置論を拒否した。そして大隈は議会から追放され、薩長指導者による政治が進められることとなる。
議会開設を目指す自由民権派と政府の間に、「近代化への方法の対立」、という図式があったのだ。

自由民権運動家が目指したのは、下からの近代化。制度の整備。
太政官政府・官僚がめざしたのは、上からの近代化。経済立国が先。
という違いがあった。

自由民権運動という活動が生まれてきた背景は、経済立国のために大久保たちがすすめた「地租税獲得」のための「地租改正」による農民の不満があった。また、1876年には、家禄が廃止され、士族たちに支給されていたお金もなくなった。農民、士族に不満が溜まっていた。それが、政府批判となり、自由民権運動になっていった。士族の反乱の一つが、西南戦争だった。

 

薩長以外の人にしてみると、一部の人が好き勝手やっている、と見えたのだった。でも、14年の政変で、官僚主導の近代国家が決定した。下からの近代化は、ここで挫折する。


第3章:巨大官僚組織・内務省では、農民、士族の不満が爆発するに至った、大久保の政治手腕について。繰り返しになるが、殖産興業のため大久保らが財源確保の「地租改正」や「家禄廃止」政策をとったことで、農民・士族の不満がたかまった。なぜ、人々の不満を買ってでも、大久保は殖産興業に傾注したのか。
大久保自身は、薩摩藩下級武士の息子だ。2歳年上の西郷隆盛に大いに影響をうけた大久保。岩倉使節団として海外にわたった大久保は、とにかく国を強くするために、殖産興業に力をいれた。大久保は、ドイツの帝国官房府にならって内務省を創設し、優秀な人材をあつめた。そして、あらゆる機能を内務省につくり、人材を集めた。戸籍管理、通信・運輸行政、土木管理、治水、インフラ、、、何もかもがあつまる巨大な官僚組織が内務省だった。
そのときの有能人材のひとりが、前島密。近代的な郵便制度の確立者。いま、一円切手になっている。


第4章:岩倉使節団・近代化の出発点 
大久保を、そのような行動に導いたのが、なんといっても岩倉使節団として海外を見聞きしたこと。使節団の目的は、不平等だった通商条約を改定するために、国際法を学ぶことにあった。最初に行ったアメリカで、歓待されたのをいいことに、条約改定についても口走って、痛い目に合う。コテンパンに反論され、言い返すこともできなかった。外交には、表と裏がある・・・その実態を身をもって経験した大久保らは、まずは、国力を高める、そこに傾注していくのだった。

 

時代を導いた若者たち。といっても岩倉使節団で渡欧した時、団長の岩倉具視は46歳、大久保が41歳、伊藤博文は30歳。これからの日本を作るために渡欧しているのだから、何もかもを吸収したいとおもって、赴いたことだろう。中には、英語が出来るからということで選抜された山口尚芳、32歳もいた。

英語ができるからといって、海外にいけたのだ。いいなぁ。

 

当時の評価がどうであったのかはわからないけれど、やっぱりこの時代に国づくりのために奔走するのは、大変だけれどそれだけの価値のある、大きな大きな仕事だったのだ。大久保は、円形ハゲができていたらしい。


官僚って、いまでは官僚批判があったりするけれど、日本の国家基盤をつくった。この時代の官僚たちというのは、まさに、開拓者として活躍したのだ。
官僚主導ですすめた殖産興業政策。そして、取り残されるのではないかと不安になって立ち上がった「自由民権運動」。下からの活動を、専門知識をもった優秀な官僚たちが、しだいに凌駕していく。そして、大日本帝国憲法で、官僚の立場は保障されるものとなった。

内務省は、戦後GHQによって解体された。でも、優秀な官僚は残った。

日本の近代化をささえた、官僚たちの物語。 

 

その時代に生きていたら、私もこういう社会的なことに関心をもったのだろうか?

なんておもいながら、面白く読んだ。

 

歴史も、こうして物語風に読むと、わかりやすい。しかも、だれか一人の人生に載せてみると、わかりやすいのかな、なんて思った。

『夜明け前』は、そうしてできたまさに歴史小説なんだなって。小説だけど、深い歴史の勉強になる。背景を知るって、大事だなぁ。

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さっとよめて、なかなか楽しい一冊。