持たざる国への道 高橋是清暗殺後の日本
松元崇
財団法人大蔵財務協会
平成22年7月29日 印刷
平成22年8月10日 発行
松元さんの著書を読みたくて、図書館で借りた。
著者の松元さんは、1952年生まれ。本書の出版当時の肩書は、内閣府大臣官房長。実は、とある勉強会でご一緒している。これまでにも、彼に薦められた本をMegurecaで紹介したこともある。松元さんは、とても温和であり、かつ切れ味抜群のコメントが多く、財務省のOBということは存じ上げていたのだけれど、本書にある著者略歴をみて、びっくりしてしまった。確かに海外の文化政治にも詳しく、海外にいらしたこともあるんだろう、、とはおもっていたが、、、75年国家公務員上級試験と司法試験に合格。76年東京大学法学部卒業。同年大蔵省入省。80年アメリカスタンフォード大学MBA取得。同時に、日本人として初めて優秀学生として表彰される。。。そして数々の役職の経歴。。。みんなが、尊敬するわけだ・・・。日頃の発言をもってすごい人だと尊敬申し上げていたが、本当にすごい人だ。。。
本書は、松元さんが財務省の広報誌『ファイナンス』に連載していた「明治憲法下の財政制度」という記事の中から、2・26事件による高橋是清暗殺後以降をとりあげた話題を中心にまとめられたもの。一部他のテーマの記事、書き下ろしも加えられている。
日本の近代史もよくわかっていないし、金融、財務についてもとりたてて詳しいわけではない私にとっても、読みやすく、へぇそうだったんだ!という学びがたくさんある本だった。内容は確かに私にとっては難しいのだけれど、とても読みやすかった。日本語がするすると入ってくる感じ。回りくどい表現はない。それでいて、しっかり状況が目に浮かぶ。日頃の発言も明瞭な方だけれど、文章も明瞭だ。ほんと、こういう人を天才っていうんだろうな、、、って感じ。
目次だけで10ページにわたる。広報誌への連載だったというから、文章毎にタイトルがあったのかもしれないけれど、それにしても全体に整理されたわかりやすさ。いやぁ、、こういう頭の構造になってみたい・・・。
目次
第一部 持たざる国への道
第一章 先の戦争は何だったのか
第二章 国際社会からの離脱 二度に渡った上海事変
第三章 中国戦線の実態
第四章 「持たざる国」への道 軍靴に押しつぶされた戦争回避路線
第五章 「持たざる国」の財政 臨時軍事費特別会計
第六章 誤算による日米開戦
第七章 先の戦争が残したもの
第八章 軍部の暴走を許したもの
第二部 金本位制とはなんだったのか
第一章 金貨の流通が見られない金本位制 江戸の通貨制度
第二章 明治憲法下の金本位制
第三章 明治憲法下の日本銀行
第四章 英米の中央銀行 財政と金融の調和のとれた政策運営
第三部 明治憲法下の義務教育
第一章 義務教育制度の導入
第二章 国の助成の本格化
第三章 高橋是清の受けた教育
おわりに
年表
参考文献
索引
財政の話だけかと思ったら、最後は義務教育の話。なぜなら、義務教育を可能にするにはその資金が公金として必要だからだ。なるほど、そりゃそうだ。財政を考える人は、財政や金融を考えているのではなく、これだけ幅広い事を前提に財政を考えているのだ、、、と、改めて官庁の友人たちを尊敬してしまう。私たちが当たり前のように享受している様々な公的サービスは、健全な財政があって初めて成り立つのだ。だから、財政難になれば、年金問題とか、社会福祉の問題がでてくる。財源が際限なくあるなら、大判振舞いでサービスを提供すればいいけど、そうはいかない・・・。当たり前のことだけど、改めて国のお金を何につかうか、という重要性を思う。
第一部、「さきの戦争」の話から始まる。
”評論家の小林秀雄氏によれば、さきの戦争は「悲劇」であった。小林は「私達は、もしああであったら、こうであったであろうというような政治的失敗を経験したのではない。正銘の悲劇を演じたのである。」また「悲劇とは単なる失敗でもなければ、過誤でもないのだ。それは人間の生きていく悲しみだ。」”
という小林秀雄の言葉から始まる。
先の戦争は、日米開戦までは「支那事変」とされ、その後「大東亜戦争」と命名された。戦後は、GHQによって「大東亜戦争」の呼び名が禁止されて、「太平洋戦争」が一般的になった。米国との戦いが太平洋でおこなわれたから、太平洋戦争。
そして、”日本軍の負けっぷりは、見事と言いたくなるものであった、”と。
本書の中では、一貫して経済合理性を無視した軍部の暴走を非難している。2・26事件で高橋是清が亡くなった後、財政を全く理解しない軍部は、軍の機密費を自由にし、無謀な戦争に突き進んだ。
ここまで、軍の財政に関する無能ぶりを書き連ねるか、と思うくらい、何度も同じような文章がでてくる。あの温和な松元さんが、ここまで断じるのはすごいな、、と思いながら読み進み、最後の「おわりに」を読んで、鳥肌がたった。あの戦争は、松元さんにとってのまぎれもない悲劇だったのだ。松元さんのお父様は、京都大学へ進学したところで学徒出陣した。そして、原爆の翌日には広島を徒歩で通過し、最後は特攻隊の誘導機に搭乗することになっていた。結果的には、あの戦争を生き抜くことができた。だから、松元さんがいらっしゃる。最後に
”父にとっても、あの戦争は「悲劇」以外の何物でもなかったとおもわれる。”との一文がある。ちょっと、鳥肌が立ってしまった。本当に、戦争はしてはならない。絶対に、正当化できる戦争なんて言うのもは、ありえない。。。
戦争を語り継ぐって、大事なのだと、改めて気づかされる。そんな一冊だ。
財政に関する話が軸になっているが、第一部は大正・昭和の時代の日本社会と戦争について。泥沼の戦争にすすんだ軍部の愚かさが書かれている一方で、米軍の爆撃は、中立国の大使館、外務省、皇居などは目標としなかったことなど、あるいは、日本の陸軍の中にも良識のある人もいたことなどにも触れられている。米軍は、文化施設も攻撃の対象としなかった。今道友信さんの『知の光を求めて』からその話が引用されていた。そうだ、今道さんのことを私に教えてくださったのも、松元さんだ。
昭和7年、軍部が起こした第一次上海事変は、9・11アメリカ同時多発テロのような衝撃事件で、それによって国際金融界において日本は友人をなくし、孤立への道を歩んでいった。つまり、日本軍によるテロのような事件だったということ。テロ行為を働いた日本は、友達をなくしたのだ・・・。
当時の良識者として、宇垣一成が言及されている。何度も首相と目されたが、軍縮を行ったことから陸軍内部からの反発で首相になれなかった人。宇垣は、せっかく経済の勢いにのっている日本は戦争なんて始めてはいけない、と主張していた。戦争反対派。しかし、戦争は始まる。そして昭和12年の盧溝橋事件勃発後、日中戦争が泥沼化するに従って経済は行き詰まり、国民生活は困窮していくことになる。
”生活困窮化は、英米のブロック経済が「持たざる国」である我が国を追い込んだためであると受け止められて、今でもそう信じている向きが多いが、高橋是清らが暗殺された途端我が国が持たざる国になってしまったわけではない。日中戦争が泥沼化する中で経済合理性を理解しない軍部(関東軍)による華北分離工作などの無理な政策が、我が国を国際的に孤立させ経済全体をじり貧に追い込んでいったのである。”と。
軍部の暴走を多くの国が日本を非難し、日本が孤立していた、という事実が大きい。
私の両親は戦争の体験を語るには若すぎて、祖父は二人とも若くしていなくなっているし、祖母から直接戦争の話をきいたことはほとんどない。実は、戦争前後の人々の日常がどんなであったのかは、あまりよく知らないのだ、ということに気が付かされる。戦後の貧しさは歴史の中でも語られるけれど、実は、戦前の様子というのはあまり語られることがないのではないだろうか・・・。私が無知なだけかな。。。
いずれにしても、本書で語られる戦前、戦中、戦後の人々の生活、政治的思想は、私には新鮮なものだった。勉強になる。
1936年(昭和11年)、2・26事件で高橋是清が暗殺され、財政規律は崩れていった。歴史にもしもはないけれど、本書を読むと、高橋是清が暗殺されていなかったら、、、、と思わずにはいられない。
日中戦争の発端となった、盧溝橋事件(1937年7月7日)以降、軍事費は国民総生産の5%台から10%台、20%台に跳ね上がり、昭和18年には40%台、昭和19年には90%台にもなって国民経済を飲み込んでいったのだそうだ。
長くなりそうなので、今日は、ここまで。。。