『飼育』 by 大江健三郎

『飼育』
大江健三郎自選短編
大江健三郎
岩波文庫
2014年8月19日第1刷発行

 

2023年3月3日、ノーベル文学賞を受賞者である大江健三郎さんが、老衰のため亡くなった。大江さんの本は、若いころに読もうと思って手にしたものの、どうにも重くて、暗くて、、、読み進まず、おそらく読み通した本が一冊もない。新聞の記事で、大江さんの様々な逸話が紹介されるのを読み、やはり、なにか大江さんの作品を読んでみたくなった。

今回、読んでみたのは、『飼育』。1958年、大学在学中、当時最年少の23歳で芥川賞に選ばれた作品。私が生まれるよりも10年も前。そして、戦後20年にもならない頃の作品だ。

 

大江さんは、1935(昭和10)年、愛媛県生れ。東京大学文学部仏文科卒業。在学中に「奇妙な仕事」で注目され、1958年「飼育」で芥川賞を受賞。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。

 

今回図書館で借りたのは、『大江健三郎自選短編』。分厚い文庫本。ご自身の初期、中期、後期から全部で23の短編がおさめられている。短編なので、それぞれは読みやすいけれど、やっぱり、ちょっと重いかな。。。。

 

『飼育』は、戦時中、山村に不時着した黒人兵士とその村に住む少年との関わり、少年の成長する姿を描いた作品。戦時中、実際に起きていたかもしれない出来事。大江さん自らの体験なのかはわからないけれど、終戦時に10歳であったことを考えると、主人公の少年と同じ年ごろとして戦争を経験した大江さんの言葉なのだろう。。。

 

ちょっと、胸が苦しくなる。戦争中の人の生への渇望というのか、一人一人の生活のシーンを切り取ってみれば、戦時中であろうと、なかろうと、、、それぞれの人生の一幕なのだということを思い知らされる。一般の人々にとって敵兵とは、何だったのだろう。。。日本人とは違う肌の色の人間であり、生きているのだから捕虜であろうと食べるし、排泄もする。人は人。生きている人。自分を守りたいと思う人。人と交わることに歓びを感じる人。例え、言葉な通じなくても。。。
セツナイ。悲しい現実。そして、少年は大人になっていく。。。心にも、体にも、フィジカルに傷を負っても・・・・。戦時中の一つの事件が、淡々とした僕の視点で語られる。何が起きても、僕は僕の人生の中で生きている。

 

以下、ネタバレあり。

 

僕と弟は、町から少し離れた山村に住んでいる。僕らは、家具を何一つ持たず、父の猟銃、獲物の鼬(イタチ)の毛皮だけが、家の中にあった。僕らは貧しく、父が捕らえた鼬の皮を町の役場に渡すことで生計を支えていた。日々生きることに精一杯の僕らには、戦争は、若者の不在、時々郵便配達が届けてくる戦死の通知ということに過ぎなかった。
それでも最近は、村の上空を敵の飛行機が通ることも珍しくなくなっていた。子供達にとっては、敵の飛行機も、珍しい鳥の一種に過ぎなかった。その山村にある日敵機が墜落する。2人の兵士は死亡するが、一人の黒人が落下傘で脱出して助かり、山村に不時着。大人たちは、黒人兵隊をつかまえた。それは獲物。黒い大男。獣の臭いがする獲物だった。

 村では、黒人をどう処遇したものかわからないので、父は町に相談にいく。それについていった僕。だが、町の役人は、自分たちでは決められないからしばらく待てという。義足のその役人は、村の子供達のことを蛙と呼び、僕らは彼を書記とよんでいた。町の子供たちはいけ好かないが、書記は村の子供たちにも分け隔てなく対応してくれる人だった。黒人は、父が管理することとなる。書記は僕に、「捕虜をにがすなよ」と言った。僕は、牢につながれた黒人に食事を運ぶ係りとなる。そうしているうちに、僕は他の子どもから羨望のまなざしでみられることになる。黒人と接点を持つ少年として。僕らは、黒人兵を獣のように飼った。

黒人がつながれた足を痛がる様子を見ていた少年は、恐る恐るその縄を解放してやる。黒人は、少年に攻撃してくることはなかった。そして、黒人が食事をする姿、排泄する姿を観ていた少年は、黒人も一人間に過ぎないと思い始める。そして、自分たちと一緒に川で水浴びをするのに連れ出す。久しぶりに水をあびて、汚れをおとし、つかの間の新鮮な空気を味わう。

或る時、まだ沙汰のないことを伝えに来た書記は、うっかり義足を壊してしまう。黒人が器用な事をみていた僕は、書記の義足を黒人に渡す。黒人は、上手に義足を修理し、書記は再び義足をつけて歩くことができるようになる。このまま、黒人との生活が続いて行くかに思えた。しかし、再び町から役人が沙汰を伝えに来たことで、その平穏は失われる。町は、黒人を県に引き渡すことになったので、町まで黒人を連れてこいという。
僕は、黒人に状況を教えてやろうとする。だが、あろうことか、どこかに連れていかれることを恐れた黒人は、僕を人質にとって抵抗する。港着状態を破ったのは、父のナタだった。

黒人兵の爪が僕の喉に食い込む。父は、僕らに襲い掛かり、僕は父のナタが振りかぶられるのを見て、眼をつむった。。。。僕は、自分の左掌と黒人兵の頭蓋の打ち砕かれる音を聞いた。。。


黒人は、火葬することは許されなかった。。

 

そして、僕はもう、子供ではない。それから、町の役人、書記は、自殺した。町の役人はきっと火葬されるのだ。。。

 

それが、戦争だった。

 

なんとも、暗く、つらくなるお話だ。僕は、黒人のことを恨んだだろうか。僕の左掌がつぶれてしまったのは、黒人のせいだ。かといって、僕は黒人をうらんだのか?書記はなぜ、自殺したのか???

 

深く考えたくはなくなるような、そんなお話だった。短編だけれど、なんて重厚なのだろうか、と思う。

また、『死者の奢り』という作品も、本書に含まれていたのだが、これまた、なんて暗いんだ・・・・。医学生の解剖用の死体処理室にまつわるお話。。。。

 

なるほど。これが、大江文学なのか。。。大江文学初歩篇って感じかな。

う~~ん、やっぱり、読むとなんだかつらい気持ちになる。

それでも、またいつか、、、大江文学を読んでみようかな。。。書くことが作家にとっての癒しにはなりそうにない気がするけど、、、憤怒を鎮めることにつながっているのか??

不思議な作家だ。

興味深い。

 

自分の気分が落ち込んでいるときに読むと、もっとドツボに嵌りそうなので、明るい気持ちの時に読むといいかな?いや、明るい気持ちに水が差されるか??

心穏やかな時に読んだ方がいいと思う。。。

 

ちょっと、つらくなる話だったけれど、大江健三郎の話を一つ読んだという満足感。読んでよかった。