『それから』 by  夏目漱石

それから
夏目漱石
新潮文庫
昭和23年11月30日 発行
平成22年8月25日 136刷改版
平成28年11月10日 145刷

 

言わずと知れた、夏目漱石『それから』。

岡潔の『春宵十話』のなかで、出てきた。

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読んでいて面白い夏目漱石の作品が『それから』だと。

 

表紙のうしろには、

”明治知識人の悲劇を描く前期三部作三四郎』『それから』『門』の第二作。

長井代助は三十歳、無職。親の金でぶらぶらと暮らす。自由の身で彼はある日、友人平岡と再会する。生活に困窮する彼を助けようと奔走するうち、しだいに平岡の妻・三千代にかつて抱いていた恋心を思い出し・・・・”


若いときに、読んだことはあるとおもうのだけれど、あまり覚えていなかった。結構、新鮮だった。というか、あぁ、、、こんな話、社会人になる前に読んでもよくわからないだろうな、、、という気がした。

面白いというのか、渋すぎる。。。

 

そして、なんと、ご縁のある事に表紙の絵は安野光雅さんだった。先日、藤原正彦さんとの『世にも美しい日本語入門』を読んだばかりだったので、装丁を見直して、あら!と気が付いた。やっぱり、安野さんの作品だった。

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やさしい、のんびりとした街並みをえがいたような安野さんの装丁だけれど、よくみると、描かれている人は二人とも背を向けている。傘をさして歩き去る女。それを見送っているかのような男。これは、三千代と代助なのかな・・・・。

 

感想。
まさに、最後の一行を読み終わり、「それから??」と言いたくなる作品。
最後の描写が、だれかのエッセイで取り上げられていたことがある。赤は、何を意味しているのか???

最後の一節を引用すると、

”忽ち(たちまち)赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く吊るしてあった。傘の色が、また代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つの角に、大きい真赤な風船玉を売っているものがあった。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違う時、また代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売り出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。しまいには世の中が真赤になった。そうして、代助の頭の中心としてくるりくるりと燄(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。”

まさに、窮地に追い込まれた主人公、代助が目にした世界は、真っ赤だったのだ。
そして、この一節で物語は終わる。
で?で?それから?

 

すごいタイトルだわ・・・、と思ってしまった。

お話は、ざっくりいえば、30歳を過ぎて仕事もしないでプラプラして親の金でくらしている男が、人の奥さんを横恋慕して、親に勘当される話。そして、果たしてその奥さんと結ばれることになるのかもわからずに、物語は終わる。


男の不義理をあざ笑うかのような最後、、、ともとれる。
はて?
はたして、本当は、どういうことなんだろう。。。

 

皆さん、よくご存じだと思うが、以下、ネタバレあり。

 

主人公は、30歳の長井代助。仕事はしていないくせに、生意気にも実家からは独立して住んでいる。お金の面倒を見ているのは、実業家の父・得と代助の兄・誠吾。誠吾は父の関係している会社の重要役職。誠吾の妻・梅子は、月に一度は実家にお金を受け取りにくる代助のことを、悪くは思っていない。甥の誠太郎(15歳)も姪の縫子も、代助おじさんにはなついている。 
 父は、代助に度々見合いの話を持ってくるが、代助はのらりくらりとかわして、なかなか嫁を貰おうとはしない。ただ、父は亡き兄の恩人の令嬢との見合いを強引にすすめ、なんとか代助を結婚させようとしていた。

そんな生活をしている代助のもとに、中学時代からの友人・平岡から近いうちに東京に戻る、という知らせが来る。平岡と代助は、兄弟のように仲良く往来する中だったが、平岡は卒業すると会社員として京阪支店へ行って、だんだんと疎遠になっていた。それが、戻ってくるという。

平岡の妻は、代助と平岡の共通の友人の妹だった。その平岡夫婦が戻ってくる。それは、栄転ではなく、退職してのことだった。

会社でのいざこざで退職することになった平岡は、いろいろと整理するのに借金をつくっていた。こっちでの仕事の当てもなかったことから、代助に就職先の紹介をお願いする。そもそも、代助だって働いていないのに。時に、働かない代助ことを責めるかのような平岡。それでいて、就職、借金を頼みたいと思っている平岡。京阪支店に行くときは、得意げな顔で、ちょっと代助をバカにするかのようだった平岡が、自分に借金を頼んでくる。代助は、就職も結婚も、たいして人を幸せにしないと思ったに違いない。


実際に代助に借金をお願いしに来たのは、平岡ではなく、妻・三千代だった。


三千代と知り合ったのは、二人の共通の友人の妹だったからだが、三千代の兄であるその友人は既に病気で亡くなっていた。もともとは、代助の方が平岡より先に三千代と仲良しになっていた。三千代に平岡を紹介したのは、他でもない、代助だった。

 

昔のよしみで、500円ばかりの借金をお願いにくる三千代。代助は助けてやりたいものの、自分は仕事もしていないし、そんな大金もない。父や兄のところにいけば金はあるが、理由を言っても貸してくれないだろう。借金とはいうものの、返ってくるあてのないお金だ。

 

代助は、義姉・梅子に頼む。一度は、断るものの、結局200円だけ都合する梅子。義父や夫にはないしょだと言って。代助は、そのお金を三千代に渡す。三千代は、借金の返済ではなく、日々の生活で不足していたものに、それを使ってしまう。500円の高利貸しへの借金は残ったまま。。。

平岡は、じきに新聞社での仕事を得て、収入もとは確保する。しかし、不規則な仕事であったということもあって、だんだんと家で三千代と過ごす時間が減っていく。

代助は、寂しそうな三千代をみて、慰めたくなる。今は、友人の妻である三千代。若いころから知っている三千代。本当は、ずっと好きだった三千代。そんな三千代が目の前で寂しそうにしている。。。

 

代助は、三千代に平岡と別れて僕と一緒になろうと言いだす。。。そして、父や兄夫婦に強く薦められていた令嬢との見合いは「やっぱり僕は貰いません」といって、断ってしまう。。

三千代に打ち明けてしまった以上は、「僕が平岡に話す」といって、誠心誠意のつもりで平岡と話をする代助。

「僕は三千代さんを愛している」と平岡に告げる代助。

「他(ひと)の妻(さい)を愛する権利が君にあるか。」

「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有することは誰にもできない」

そして、

「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」といって、あれこれと、言い訳をする代助・・・・。

平岡は、代助を許さなかった。


そして平岡は、代助の父親に手紙を書く。代助が不倫を働いた、と。
その手紙をもって、代助のところに真相を確かめに来る兄。本当のことだと認める代助。
「お前は馬鹿だ。愚図だ。おれも、もう逢わんから」といいすてて去っていく兄。。

そして、最後の場面は、代助が家の書生に「僕はちょっと職業を探して来る」といって出かけた時の描写。

”そうして、代助の頭の中心としてくるりくるりと燄(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。”

The END.


代助は、全てを失って、初めて世の中とつながったのかもしれない。目が覚めた、、、というかんじだろうか。

本当のところはわからない。

30歳過ぎても、結婚もせず、仕事もせず、プラプラしていた男が、お金のあてもなくなってようやく社会にでようと目覚めた話。。。ってことか。。


これは、学生のときに読んでもわからないなぁ、、、という気がする。もともと学生時代の仲良しと、社会人になってから価値観が変わって、意見があわなくなったなぁ、という感触とか、既婚者と未婚者の価値観の総意とか。。。

立場変われば、、というものだけれど。。。
なんというか、やっぱり、色々考えちゃう話だなぁ、と思う。


夏目漱石、やっぱり、興味深い。面白いというと語弊がありそうなので、興味深い、と言っておこう。

このダメ男代助に、腹が立つような、でも、梅子も三千代も、なんとなく代助みたいな男をどこかで助けたくなっちゃうような気持ちもわからなくない。 

なんともいえない、「それから」なのである。

 

物語の内容とは別に、注解をしっかり読んでみると、当時の時代背景を理解するのに役に立つ。言葉の勉強にもなる。代助の気持ちを表すのに何度かつかわれている「アンニュイ」にも注解が付いている。

アンニュイ:フランス語。退屈・倦怠・無聊。

代助は、たびたびアンニュイを感じては散歩にでるのだ。

また、この時代の作品は、小説の中によく芸術が出てくる気がする。注解に青木繁の作品のことが記されている。青木繁がわかる、というのが当時の知識人としての品格だったのか?

読んでいる最中に注解を確認することはあまりないのだけれど、実は、毎回注解を確認したほうが、深く読めるのかもしれない。

グラッドストーン、というのがでてきた。全然なんだかわからないので、読んでいる途中で確認した。

グラッドストーン:Gladstone。 真ん中から二つにひらく旅行鞄。

だって。

古い映画とかに出てきそう。

 

注解をきちんと読むっていうのも、結構だいじなのかも、、、なんて思った。

まぁ、色々な読み方があっていい。

注解を都度みていると、流れが途切れちゃうし。

 

やっぱり、夏目漱石は面白いと思った。

読んだ後にも、満足感がある。

時代背景は、まったく違うのに、なんなのかなぁ。

 

読書って、面白い。