『クララとお日さま』 by カズオ・イシグロ

クララとお日さま
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
早川書房
2021年3月10日 初版印刷
2021年3月15日 初版発行
KLARA AND THE SUN (2021)

 

知人が面白かったというので、図書館で借りて読んでみた。装丁が可愛いので、読んでみようと思ったことはあったのだが、カズオ・イシグロの小説はなんか暗くなるので、、、いつか、、と思ったまま、読んでいなかった。出版から2年たっているので、すぐに借りることができた。ちなみに装画は、福田利之さん。

 

表紙の裏には、
ノーベル文学賞 受賞 第一作。 カズオ・イシグロ 最新長編。
 人工知能を搭載したロボットのクララは、病弱の少女ジョジーと出会い、 やがて2人は友情を育んでゆく。
生きることの意味を問う感動作。
愛とは、知性とは、家族とは?”
とある。

 

カズオ・イシグロは、1954年長崎生まれ。1960年に5歳で海洋学者の父親の仕事でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスと二つの文化を背景に育つ。2017年にノーベル文学賞を受賞。 『わたしを離さないで』は、映画にもなったので、知っている人も多いのでは。

私は、彼がノーベル賞を受賞してから何冊か彼の作品を読んでみたけれど、どれも、ピンとこないというか、鬱々とした思いだけが残る感じがして、村上春樹と比較される意味がわからない、、、と感じていた。そして、本書は、、、。

 

感想。
やっぱり、、、暗い。。。。
川内恵子さん(慶応大学名誉教授:イギリス文学)の解説が最後についていて、彼女は絶賛している。子どもたちの描写が素晴らしい、と。物語の中で子どもたちが今の社会における象徴的なテーマを代弁している、と。
う~~ん、そうなのか。イギリス文学だから、私にはピンとこないのだろうか。
一つには、翻訳なので、英語のまま読むのとは印象が違う、ということがあるかもしれない。本書は、人工知能搭載ロボットである「クララ」が主人公となって語る。ロボットの語りだからなのか、「~しました。」「~ました。」「~からです。」「~です。」という一本調子の文章が連続する。おそらく、日本語文学教室にいったら、最初にNGと言われるような表現だろう。抑揚がないのだ。淡々としている。クララの語りだから抑揚がないのは意図的なのだろう。ロボットだけれど、クララは、ロボットだからこそ繊細な観察能力があって、それを言語変換する能力にも優れている。そして、クララの仕えるご主人は、クララの推定能力によれば13歳半の人間の女の子、ジョジー。でも、普通の女の子ではない。時代設定は出てきてないけれど、遺伝子編集によって”向上処置”をうけたがゆえに、病弱になってしまった女の子。病弱で気分屋さん、父と母は離婚していて母と暮らすジョジーの描かれ方は、現代の女の子の繊細さと同じかもしれない。そういう意味で、子供の描写がうまいというのはわかる気がする。

 

本文、433ページ。長編小説だ。読み初めはクララがロボットであるということに気が付かず、なんだ?この話しは???と思ってしまった。そうか、クララは、人工知能搭載人型ロボットで、人間の子供の「友達」となるために開発された商品なんだ、ということがわかってくると、話しの流れがつかめてくる。

翻訳版だから説明がないのかわからないが、クララは「AF」なのだ。おそらく、Artificial friend ということだろう。途中、AGEという言葉も出てくる。向上処置をうけていない未処置の子はAGEをしていない子。遺伝子編集をしていない。つまりArtificial Gene Editingだろうか。

『わたしを離さないで』もそうだけれど、科学技術のディストピアだよな、、、と私には感じてしまう。

 

本書の中では、クララとジョジーは友情をはぐくんでいく。でも、最後は子供のおもちゃだったAFには、、、悲しい運命が待っている。ジョジーは、クララのおかげで元気を取り戻して成長していく。。。ジョジーは明るい未来へ進んでいく。
そうか、これは、ハッピーエンドと見るべきなのか。。。AFのクララにとっても、ご主人様がハッピーになるというのが、究極の幸せということか。

 

チョットだけネタバレ。

 

クララは、AFとして街のAF商店でショーケースに飾られている。ある日、ショーケースを覗き込んだ少女ジョジーとお友達になり、ジョジーは母親に「この子が欲しい」とねだる。そして、クララは、ジョジーの家に買われていく。

クララが買われた先のアーサー家では、なかなか複雑な人間模様が描かれる。離婚した夫婦の子供であるジョジー。そのジョジーと母クリシーとの関係。クリシーは、片親で娘を育てるために、仕事に熱心で、出勤前のジョジーとのふれあいは大事な時間だ。体の弱いジョジーは、この時間のために辛い体をベッドから引き起こし、母を見送る。

クララは、ある日ジョジークリシーの「モーガンの滝」へのピクニックに同行することになる。でも、当日の朝にジョジーの体調がすぐれず、クララはクリシーと二人でピクニックへ行くことに。クララに対してあまり愛情をみせなかったクリシーが、その日はクララにやさしかった。モーガンの滝は、既に亡くなってしまったジョジーの姉サリーとの想いでの場所だった。サリーと同様にジョジーを亡くすことをおそれるクリシーは、ジョジーが死んだらクララにジョジーの代替になってもらうことを考えていて、クララがジョジーのことをできるだけ学ぶことを望んだ。

AFを自分の子供の代替にしようとする親。物語の途中から、ジョジーの不調、サリーの死亡の理由は、「向上処置」のためのAGEを受けたことによるのだろう、ということが読者に伝わってくる。

 

ジョジーは、病弱なので家にいることが多い。ほんとうの友達は、唯一、隣のリックだった。

ジョジーの幼なじみリックは、AGEを受けていない。彼らの住む世界では、AGEを受けていないというのは、大学への道は閉ざされ、社会でまっとうな職業につくことができないということを意味していた。それでも、持って生まれた才能があったリックは、独自に学習していく。

 

物語のクライマックスは、ジョジーの病状が悪化し、命の灯までもが消えようかとしている仲、クララが大好きな「おひさま」の力を借りて、ジョジーの病気を治そうとする。クララは、太陽の明るい日差しが自分のエネルギーになり、かつジョジーのことも元気にしてくれると信じている。だから、太陽の日差しを遮る汚れた空気を排出する機械は、クララにとってもジョジーにとっても敵だ。クララは、ジョジーの父・ポールに排気ガス排出機械を動かなくする方法を聞いて、自らの構成要素である「オイル」を自分から抽出し、その悪い機械に投入する。ポールは、これであの機械は壊れるよ、と教えてくれた。でも。機械は一つではなかった・・。自分の身を削ってジョジーのためにお日様に力を添えてくれるようにお願いしたクララは、お日様の協力を得ることには成功する。寝た切りになっていたジョジーが、ある日ベッドの上で、輝かしいお日様の光をあびて、元気を取り戻すのだ。
そして、ジョジーは、大人への階段を上っていく。

 

ジョジーとリックは、一緒に育ち、いつかは恋人同士になることを誓っていたふたりだったけれど、ジョジーが病弱さを克服して大学への道を選ぶころには、違う道をすすむようになる。

愛し合っていても、同じ道を進むことのできない二人。AGEを受けた人と、受けていない人とでは、生きる世界が違うのだ。。格差社会の描写。

 

そして、同じころ、AFを必要としなくなったジョジーのもとからクララは離れていく。自ら自分の居場所をジョジーの部屋ではなく、物置部屋にするのだ。
そして、とうとう、ジョジーが大学進学のために家をあとにすると、クララの居場所はもう家にはなく、廃棄物置き場、となっていた・・・・。


物語の最後は、廃棄物置き場にいるクララが、クララをアーサー家に売った店の店長(人間)に再会し、クララは素晴らしいAFだったと称えられる。ジョジーがクララを買った当時は、B3型という最新のAFが発売されていたにもかかわらず、ジョジーは旧型B2型のクララを選んだ。旧型ではあったけれど、人を思いやる心にあふれたクララが、ジョジーを、そして周囲をも幸せにしたのだ、と。

店長は、「クララ、さようなら」といって廃棄物置き場を去っていく。立ち去る店長さんを以前と変わらず繊細な観察眼で観察するクララ。店長さんがもう一度自分の方を振り返ってくれることを期待するクララだったけれど、店長は、振り返らずに去っていく。

クララは、一人、廃棄物置き場に残されたままだった。

 

THE END.

 

寂しいでしょ。。。。
こんな、寂しい話あるか?!?!?!

と、私は、感じてしまう。。。

 

やっぱり、カズオ・イシグロの文学は謎だ。。。私にとっては謎だ・・・。早川文庫だし、SFの世界なんだよな、、と思う。でも、実際にありそうな世界なだけに、ぞわっとする感覚がある。ちょっと、面白いのは、B2型のクララは嗅覚がないけれど、新型B3には嗅覚センサーも搭載されているということ。そう、現代においても嗅覚センサー、味覚センサーって、完全に確立された技術ではないのだ。そういう、現実とSFとの本当のギャップも描かれていたりするところは面白いかも。出来そうでできない世界。けど、『わたしを離さないで』の臓器提供用の人間を育てるというのは、倫理的な問題を無視したら可能な技術かもしれないと思わせるところが、不気味すぎる。

 

人間の遺伝子編集が可能な世界、AIロボットが人に寄り添う世界、それは今すぐそこにありそうな世界だ。そして、それを利用できる人は一定の経済力が要求される。経済格差が生む、社会的格差。

 

やっぱり、そんな世界で暮らすのはごめんだな、と思う。私は、自然のままでいい。。