乃木希典
福田和也
文春文庫
2007年8月10日 第1刷
*初出「諸君!」 2004年3月号 4月号。 単行本 2004年8月 文藝春秋刊
参加しているとある懇話会で、次回のテーマが乃木希典で、本書が 課題本となっているので 図書館で借りて 読んでみた。
乃木希典と言えば、 私の中では 司馬遼太郎の『坂の上の雲の中』で、 その軍人としての無能っぷりの印象がとても強い。しかも、 自分の手柄を立てたいがために、海軍との協力を拒んだ陸軍の将として描かれている。旅順攻略で、日本軍の数万の死傷者をだしたのは、乃木の軍人としての能力欠如、、と。。。そして、最後は、明治天皇が亡くなったからと言って、切腹自害。なんだそりゃ、理解不能!とおもっていた人物だ。
が、今回、その乃木希典がテーマで本書が課題本。
著者の福田さんは、1960年東京生まれ。 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。 慶應義塾大学教授。 文芸評論家として文壇・論壇で活躍。
裏の説明には、
”旅順で数万の兵を死なせた「愚将」か、自らの存在すべてをもって帝国陸軍の名誉を支えた「聖人」か?幼年期から殉死までをつぶさに追い、乃木希典の知られざる実像に迫る傑作評伝。日露戦争開戦100年後に書かれた本書は、従来の乃木像をくつがえすとともに、「徳」を見失った現代日本への警告ともなっている。”
とある。
目次
一 面影
二 国家
三 徳義
四 葬礼
感想。
なるほど、、、、。う~ん。なかなか苦しい運命の中に生きたひとだったのだ。ちょっと、ただの指揮官失格の陸軍人ではなく、古武士のようなというのか、一本筋をとおしたというのか、、、、そういう人だったのだ、と、見方が変わる。圧倒的に不利な武装状態での旅順攻撃を文句も言わずに引き受けた。自分の二人の息子を、その場所で亡くしているにもかかわらず、旅順を責め続けた。そして玉砕の日々、、、古き良き友である児玉源太郎に助けられることを素直に受け入れた。まともな人なら、こんな武器では旅順攻略は不可能だと軍議にうったえたはずが、命令である以上は受け入れる、、という、悲しいまでの実直さ。そして、そのまっすぐさ故なのか、明治天皇に愛された。明治の人々にも愛された。明治天皇を追って、殉死した乃木を明治の庶民は、愛した。
著者の福田さんは、人の生き死にを現代よりもずっと大事なこととしていた明治の人々にとっては、乃木こそが人格者であり、戦争下手であっても赦し、愛すべき対象だったのだ、という。
今の人は、人の生き死により、成果とか結果とかをもとめる機能主義(能力主義)になっているから、乃木より、児玉源太郎をあがめる、、、と。
本書を読むと、さもありなんという気がする。
乃木希典も、生れてきたのが戦国時代なら、、、あるいは、明治維新の最中ならよかったのかもしれない・・・。他国との戦争の時代に生まれてしまったのが、彼の不幸だったのかもしれない。
乃木希典は、 1848年嘉永2年に生まれている。明治維新の時には20歳になっていたことになる。厳格な父と母のもとで育っていたが、16歳の時に家出して、母方の親戚のいる萩で過ごすようになる。そこでは、吉田松陰の師匠の玉木家に世話になる。そして長州の人となったのだ。それは、後に児玉と同郷ということになる。
学問をめざしたかったのか、戊辰戦争には参加していない。しばらく、勝手に家を飛び出し玉木家の居候になった身分で、自分の居場所を感じられない時期を過ごす。
明治4年、 陸軍少佐に任命され、初めて、 居場所を得たように感じる。そこからは、異様なまでの外交的性質を示す。
明治8年、熊本鎮台 歩兵第14連隊隊長となり、弟や師を敵として戦わなくてはならなくなる。
明治10年、西南戦争で薩摩士族と戦った際、軍旗を奪われてしまう。当時の軍人にとって、軍旗を奪われるというのは負け戦に近いほどの屈辱だった。。。
当時の乃木は大酒を飲み、宴会で暴れ、芸者あそびは 伊藤博文 よりすごかったとか。 やぶれかぶれとも見える。あまりの素行に、結婚でもすれば落ち着くかと、母親は結婚を勧める。「薩摩の女なら結婚してもいい」という希典に、薩摩のシチ(のちの静子)がお嫁に来ることとなる。
当時、長州の人間が薩摩の人間と結婚するというのは、かなりのスキャンダラスな出来事で、実際、乃木は薩摩に寝返った男、というような非難もうけた。そうではないという事を示すために、あえて「薩摩の女」といったのであろう、と。
結婚しても、素行の悪さはかわらず、シチは大変な苦労をしたであろう、、、と。息子二人をつれて、家を出た時期もあったらしい。
そんな、とんでも男になっていた乃木の生活が180度かわったのは、ドイツ留学のあとからだった。ドイツ留学では、ドイツ陸軍の戦略を学ぶはずだったが、戦略より徳義・制服・軍紀といった精神論に強く興味をもつようになり、 「権威主義」の象徴ともいえるドイツ人の制服崇拝癖に強く影響をうけた。当時、森林太郎(鷗外)も、ドイツ留学中だった。かれもまた、戦略以外のものをもちかえった日本人といえるのかもしれない・・・。
そして、帰国してからの乃木は、酒や宴会を一切拒み、それどころか非難するようになった。また、四六時中を軍服で過ごすようになる。
乃木は、人生をかけて、兵士たちの礼節に答えようとした。
本書の中では、日露戦時中の詳細にはあまりふれられていない。だから、乃木希典という人の人生の激動ぶりが、たんたんと語られていく感じ。
本書の中に出てきた、乃木希典を表す言葉を覚書。
・清廉潔白
・衒う(てらう)ところがなきにしもあらず
・ストイシズム
・軍人としての能力の侮蔑
・ 学習院院長
・人格者
・ 貧窮者 や 少年たちへの金の援助をおしまない
・ 病弱な子供時代
・ 片目はよく見えていない
・ 大酒飲みから禁欲者
学習院院長って、教育者でもあったということ。そういう人の最後が明治天皇をおっての殉死とは、、、、。そして、奥さんの静も・・・・。
乃木希典もすごいけど、静さんって、どういう人だったのか、そっちにも興味がわく。
明治の人って、現代人には想像もつかないくらい「意志」をもっていたのだと感じる。今の時代、旦那と運命を共にするために自害する妻がいるだろうか。まぁ、自害を徳とはみない時代だから、その意思の示し方が変わっているということなのかもしれないけれど。
う~~ん、乃木希典、あなたはあの時、どう思っていたんですか?
本人の言葉を聞いてみたい。
図書館で借りて読んだのだが、結局、古本を購入した。もう少し、読み込んでみたい。当時の価値観において、乃木希典という人はどういう人だったのかを考えるのは歴史を考えるということで大事なことのように思う。
今の価値観で、過去のことを批判するのは簡単だ。でも、当時の価値観を考えるということは、今の日本人が失ってしまった「日本のこころ」を考える、ということにつながるような気がする。
乃木希典が、殉死してまで守りたかったものは何なのか、もう少し深く考えてみたい。