『非才! あなたの子供を勝者にする成功の科学』 by  マシュー・サイド

非才!
「あなたの子供を勝者にする成功の科学」
マシュー・サイド
山形浩生、守岡桜 訳
柏書房株式会社
2010年5月25日 第一刷発行

 

何かの話題ででてきて、読もうと思ったんだけど、なんだか忘れてしまった。2010年の本なので、図書館ですぐに借りられたので読んでみた。読みながら、既視感?!。これは、読んだことあるような気もする。いや、違う、、、初めて? タイトルの通り、生まれながらの才能に恵まれているなんてことはなくて、どんな人も、努力の上にその才能を発揮させている、という話。非・才。

著者のマシュー・サイドは、1970年生まれ。英タイムズ紙コラムニストであるが、ジャーナリストになる前はオリンピックに2度も出た経験のある卓球選手。オックスフォード大学を主席で卒業したという経歴の持ち主。

そんな、天才!のようなマシューが書いた、天才なんていなくて、みんな環境と努力のおかげなんだ、って話。

 

訳者解説含めて333ページの単行本。なかなかのボリュームだけど、自説をバックアップしてくれる事例の紹介が多いので、ざーーっと読むと、あっという間に読める。わりと、飛ばし読みで読んでしまった。

 

表紙裏には、
”本書の基本的な主張は単純明快。この世には遺伝的に決まる「才能」なんてものはない、 全ては努力(と運)だというものだ。 天才や神童と呼ばれ、 天与の才を持ち、何の努力もなしに 常人にはとうてい不可能に見えることを楽々と成しとげるとされる人びとがいる。でもその人びともよく調べると、実は凄まじい 努力をしている。
それだけなら 「才能があってもそれに溺れずに努力をすることが必要」 というありがちな話だが、本書は さらに生まれつきの才能という概念自体がそもそも間違っているというのだ。” 山形浩生「訳者解説より」

 

感想。
飛ばし読みだったけど、まぁまぁ、面白い。というか、耳が痛い・・・。結局、何事も練習時間、勉強時間を積み重ねることに勝る結果への道はないのだ。やればできる!と言ってしまえばそれまでだけれど、結局、「やり続ける」ことができるくらい、好きなことでないとその才能は開かれる機会をえられない、ってことなんだろう。ご自身がオリンピック選手という輝かしい記録を持っていながら、才能ではなく、練習できる環境のおかげだったのだ、と。なるほど。環境要因は大きい。で、サブタイトルに「あなたの子供を勝者にする成功の科学」とあるのだけれど、たしかに、魔法があるわけではなく科学かもしれない。

好きなことを、とことんやらせる。

それが一番ってことかな。

日本だとよく「いちろう」が、どれほど練習を積んだか、という話がでて来るけれど、本書には、そのような努力の人がたくさんでてくる。ゴルフ界、テニス界、バスケットボール界、サッカー、、、。全体にスポーツの事例が多いけど、チェスの話もでてくる。だれもが、小さい時からそれらの競技に親しみ、ものすごい時間を費やしているということ。好きだから、没頭できる。いやいややらせてもだめだろう。子供に対してなら、好きにさせるってことが大事なのかもしれない。大人だって、好きなことならいくらでも没頭できる。ただ、残念なことに、大人はあれこれ時間がない言い訳ができてしまうので、大人になって始めたことは、なかなか才能が花開くまでいかない、、、ってことかも、ね。

 

目次
第一部 才能という幻想
第二部 心のパラドックス
第三部 深い考察

 

第一部では、著者自身の体験も含め、他の天才と呼ばれる人々も、小さいころからそのことに異常なまでに没頭できる環境を親から与えられたために、他の人より圧倒的に練習時間が長かったという話。「才能」なんて、幻想だ、と。

第二部は、心の思い込み、メンタルが実際のパフォーマンスに大きな影響を与える、ということ。

第三部は、能力のはなしから、人種、民族、遺伝的な話に。少し毛色が変わるけれど、いがいと、面白い。短距離やマラソンは黒人にはかなわない、と思いがちだけれど、「黒人」と十把一絡げに言うのは間違っている、とも。

 

最初に、この本読んだことあるかも?!と思ったのは、マルコム・グラッドウェル『天才!成功する人々の法則』と似ているからかもしれない。本書にも引用されているのだが、グラッドウェルは、時間の積み重ねの重要性を説いている。1万時間ルールといって、どんなことも年に1000時間を10年やれば、1万時間になって、トップ成績者になれる、と。本書では、さらにそこを突っ込んで、検証している、というかんじだろうか。様々なスポーツの事例が出てくる。

私にもちょっと身近に感じるのは、ゴルフの例だろうか。私はゴルフをするけれど、すごく下手ではないかもしれないけど、すごく上手でもない。楽しいけど、「練習」ということをほとんどしない。そりゃ、うまくなるわけがない。ジャックニクラウスの言葉がイタイ。
「多くのプレーヤーを悩ませるのは、才能がないことじゃない。いいショットがくりかえせないということなんだ。そしてそれに対する唯一の答えは練習だ。」
はい、そのとおり!!

年に1000時間、、、一日3時間を毎日。そりゃ、うまくもなるよな、、って。

でもって、そういう練習をする機会があることと、その練習が「正しい」練習であることが大事。下手の上塗りみたいな間違った練習をいくら重ねても、うまくはならない・・・。
正しい練習法を指南してもらうって、大事。

著者は、
「成功のカギを握るのは、才能ではなく練習なのだ」と言っている。

社会の中での適切な意思決定も、スポーツにおける「練習」に相当する「経験」が物をいうことがあるという事例がでてくる。これも、良く引用されている話しで、経験ある消防隊長が、消火活動中に現場で第六感的に感じた違和感を信じて、「全員退避!」といって火事現場から飛び出した途端にその家が崩壊し、全員助かった、という話。

「練習」「経験」どっちも、本当に大事だと思う。お客様のクレームにうまく対応できるかどうかだって、経験がものをいう。レントゲン技師が、異常をみつけるのも経験がものをいう。人の脳というのは、経験が刷り込まれていくのだ。

 

正しい練習の話では、「現在の能力を超える」課題に挑戦した選手は、一流になれる、と。できることしかしないのは、それ以上には伸びない、、、そりゃそうか。。
正しく負荷をかけることが大事。勉強もそうかな。
面白いのは、才能を開花させるための「練習」は音楽や芸術の事例までおよぶ。ピカソの「ゲルニカ」だって、下書きのスケッチ45枚があり、それ以前のピカソが30年かけて蓄積した技術が花開いたもの。モーツアルトだって、本当に素晴らしい曲は、後年のものだと。

タイガーウッズも、ピカソも、みんな練習することが好きだった。練習したいという内なる欲望があったからこそ、練習、描くことに打ち込んだ。好きって大事。

褒め方については、「知能」や「成績」を褒めるよりは、「努力」を褒めるほうが子供は成長するという。知能や成績を褒められた子供は、失敗を恐れて、できないことに挑戦しなくなりがちだが、努力をほめられた子供は、できなくても挑戦しようとするのだそうだ。
「言葉」の使い方も大事。

会社の社員なら、努力だけ褒めてもだめなんだけど、、、、。大人で言えば、成功した人が守りに入る、というのと似ているかも。

社会人のダメな例として、「エンロン」の事例がでてくる。「かしこい」をほめそやされた人ばかりで構成されていたのがエンロン。個人の発達より、才能をたたえる文化。社員は、自分に才能がある振りをした。そして、崩壊したエンロン。 

 

第二章では、メンタリティーの話。自分の力であれ、神の力であれ、信じるということが与えてくれる力。著者は、リチャード・ドーキンス『神は妄想である』を宗教的信仰の合理性に疑問を呈する本の代表として引用しているのだけれど、宗教の合理性なんて、才能を発揮するときには関係ないと言っている。重要なのは、信条の効果なのだと。
薬のプラシーボ効果は良く知られているけれど、なんにでもプラシーボ効果のようなモノはありえるのだ、と。それを「パフォーマンス・プラシーボ」と言っている。それは、自己の力に対する過大な信念をもとに、自己の達成能力にたいする確信を育て、疑念を取り払う効果。本番であがってしまって、実力が発揮できなかった、、、って、どこにでも、だれにでもあることだけど、それを「自己への確信」を育てることで取り去ろうということ。

信じるって、大事。
できると信じること。
できないというブレインロックを取り去ること。

これは、スポーツだけでなく、人生において大事なこと。強く共感する。
「根拠なき自信」だって、役に立つこともある。もちろん、過信はだめだけどね。

 

第三部では、特別に何かに適した遺伝子なんてない、という話。経験の積み重ね、集中力の発揮、ほとんどのことは、それができる人が秀でた人になる。そして、元スポーツマンらしく、ドーピングの話になる。かつて、ドイツでもドーピングが子供達に投与され、何も知らない子供たちが犠牲になった。人は、人を薬で変えられると思った。でも、それは間違っている。。。一方で、遺伝子組換えによる運動能力向上はどうなのか、、、と。専門家の中には、すでに遺伝子組換えを施された運動選手は存在している、という人もいるそうだ。

「才能」は生まれ持ったものではなく、練習と集中力のなせるわざ、ということ。第三部は、倫理的な話しも盛り込まれていて、なるほど、と思う。 

 

これまでにも聞いたことのある事例も多く、ざーーっと流し読みだったけれど、それなりに楽しめた。

 

練習と集中。

何事も、練習もせずに、勉強もせずに、上手くなったり得意になる魔法なんてものはない。

継続は力なり、ってことだ。

 

よし、がんばろう。