続・窓ぎわのトットちゃん
黒柳徹子
講談社
2023年10月3日 第1刷発行
2023年10月4日 第2刷発行
『窓ぎわのトットちゃん』から42年、、、だそうだ。皆様ご存じ、黒柳徹子さんの自伝トットちゃんの続編。最初の『窓ぎわのトットちゃん』を、夢中になって読んだ記憶がある。42年前、、、私は、中学生だったのだ。落ち着きが無くてやんちゃばかりのトットちゃんが小学校を退学させられちゃう話は、面白くて、楽しくて、ワクワクしながら読んだ記憶がある。それから、42年。。。黒柳さんも、御年90歳。内容を期待して、ということもあるけれど、これは黒柳さんへの敬意を表して、ポチってみた。しかし、在庫なしとなっていて増刷まちだったのか、ポチってから1週間以上してから届いた。10月3日に第一刷で、4日に第二刷って、すごすぎる。
せっかくなので、黒柳さんの事も本書記載の経歴からおさらい。
黒柳徹子。 東京都生まれ。 俳優、司会、エッセイスト。 東洋音楽学校(現・東京音楽大)声楽科を卒業後、 NHK 専属のテレビ女優第1号として活躍する。 徹子の部屋(1976年2月~、テレビ朝日)の放送は1万2000回を超え、同一 司会者によるテレビ番組の最多放送世界記録を更新中。 1981年に刊行された『窓ぎわのトットちゃん』( 講談社)は国内 800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーに。1984年より ユニセフ親善大使となり、のべ 39カ国を訪問し、飢餓、戦争、病気などで苦しむ子供たちを支える活動を続けている 。
本の帯には、
”一人ぼっちのトットを乗せた夜行列車は走りはじめた。
国民的ベストセラー待望の続編!
みんなが会いたかった「その後」のトットちゃん
泣いたり笑ったりトットちゃんの青春記”
とある。
表紙は、前回同様、いわさきちひろさん。挿絵もいわさきちひろさん。私の大好きな絵。
表紙裏には、
”私は、どう考えても『窓ぎわのトットちゃん』よりおもしろいことは書けない、と思っていた。私の人生でトモエ学園時代ほど、毎日が楽しいことはなかったから。
だけど、わたしのようなものの「それから」を知りたいと思ってくださる方が多いのなら、書いてみよかな、とだんだん思うようになった。よし!と思うまで、なんと42年もかかってしまった。”
と。
感想。
あぁ。。。戦争だったんだ。。。。
戦争時代を生き抜いて、育ってきたトットちゃんだったんだ・・・と、つくづく思った。10代で『窓ぎわのトットちゃん』を読んだ時には、ただ楽しく読んだけれど、実は、そこにも戦争の影がかかれていたのかもしれない・・・。大人たちは、どんな気持ちで読んだのだろう。
そして、本書は、私自身が若いころを振り返って考える年齢になっているためか、大人目線で読んでしまう。疎開のための移動中に母や弟妹とはぐれてしまって一人で電車で東京から青森をめざすトットちゃんが、せつなく、かなしく、、、。夫が出兵してしまって、女手一人で子供達を育てるために、どんどんたくましく、生きるために自ら行動を起こし続けたママ。終戦となってもなかなかかえって来なかったパパ。これは、戦争を語る一冊だな、と思った。
そして、トットちゃんが自分の道を捜して歩み続ける姿。がんばれ~と思わず、声をかけたくなる。華やかに思われるテレビ、芸能界。いつでも明るい徹子さん。でも、悔しさに涙したこともあったのだ。。。そして、いつも応援してくれる人たちがいた。人はだれでも、そうやって成長していく。。。そうだそうだ、頑張れ!と、電車の中だというのに涙がこぼれそうになったり、ぷっと声をだして笑っちゃったりしながら、あっという間に読んでしまった。
253ページの単行本、1500円。税別。
2時間の映画よりも、その価値あったかもな、って思う。
目次
「寒いし、眠いし、おなかがすいた」
トット、疎開する
咲くのはわが身のつとめなり
トット、女優になる
あとがき
最初は、家族との幸せな日々。そして、戦争の足音。。。
トットちゃんのパパは、ヴァイオリニストで新交響楽団(現・NHK交響楽団)のコンサートマスターをしていた。東洋音楽学校の学生だったママとは、演奏会を通じて知り合った。お互い、一目ぼれ。パパとママとの新婚生活は乃木坂で始まった。パパと銀座に行けば、資生堂―パーラーでアイスクリーム。そんな楽しい時代を幸せに過ごしていたトットちゃんだった。でも、戦争が始まる。すると、食べ物は無くなり、寒さに震え、涙が出ちゃうこともあった。でも、ただ泣いているだけでも、「寒さで泣くとはなにごとだ!」とおまわりさんに怒られた。小学生の女の子が、、である。それが、戦争だったのだ。
戦争中のひもじさから、出兵するひとを見送る旗ふりに参加するようになるトットちゃん。兵隊さんにむかって、バンザーイといって旗をふりにいくと、スルメがもらえたから。しかし、しばらくすると、兵隊さんの見送りにいっても、スルメはもらえなくなる。食料困窮の時代。そして、トットちゃんは、兵隊さんの見送りに行かなくなる。
大人になって、見送りに行ってバンザーイと言っていた自分を後悔した、とでてくる。
”トットが日の丸の小旗をふって兵隊さんを見送ったのは、スルメの足がほしかったから。でも、兵隊さんたちは、旗を振るトットのことをみて、「見送ってくれるこの子たちのために戦うんだ」と自分に言い聞かせて戦地に赴いたのかもしれない。
もしそうなら、そしてその兵隊さんが戦死したら、その責任の一端はトットにもあるはずだし、スルメ欲しさに「バンザーイ!」と叫んだトットは、兵隊さんの気持ちを裏切っていたことになる。
大人になってから気づいたことだけど、この日の丸の小旗を降ったことをひどく後悔した。どんな理由があっても、戦いにいく人たちを「バンザーイ!」なんて言って見送るべきではなかった。スルメが欲しかったにしても、トットは無責任だった。そして、無責任だったことがトットが負わなくてはならない「戦争責任」なのだ”
このくだりが、本書の肝のように思う。「戦争責任」というのは、ちいさなトットちゃんですら負っていた、、、それに気が付かなかった無責任、、、。この数行の文章のために、徹子さんは「続」を書いたのかもしれない、、とすら思った。なんて、重い言葉だろうか。でも、そうなのだ。
以前、世代交流の勉強会で、20代の女子大学生が、「戦争は、軍や天皇、政治家の責任というのは間違っている。勝つことを願った全ての国民が戦争責任を負うべきだ」という発言をした。すごいなぁ、って思った。私は、身近に戦争のことを直接語ってくれる親族がいなかったので、そこまで考えたことが無かった。語り継ぐって、大事だな、、、って思う。
疎開先で親切にしてもらった話、東京の家が燃えちゃった話、戦後の混乱の中を生き抜いた話、そして、トットちゃんの香蘭女学校生活、音楽学校への挑戦や、就職活動。さすが、トットちゃんと拍手喝采したくなるエピソードもあれば、負けるなトットちゃん、と応援したくなるエピソードも。
「咲くのはわが身のつとめなり」というのは、香蘭女学校の校歌の歌詞だそうだ。「自分を咲かす」ために、トットができることはなにか、、、考え続けたトットちゃんだったのだ。
あとがきで、徹子の部屋でも戦争についてもきいてきたこと、本書をかこうとおもった理由の一つが、「私が体験した戦争のことを書き残しておきたい」ということだったことが書かれている。
なるほど。。。と思った。
トットちゃんが、徹子さんになり、いまもこうして活躍してくれていることに感謝だな、って思う。いつまでも、あの滑舌で、くるくるとおしゃべりし続けてほしいな、って思う。
爆笑する本ではないかもしれない。戦争の暗い影もある。でも、生き抜いてきたトットちゃんは、自分の気持ちに正直に、素直にやってきた。正直、素直、これほどトットちゃんにお似合いの誉め言葉はない。徹子さんが正直で素直だからこそ、徹子の部屋のゲストたちまで素直に正直に語ってしまうのだろう。
いつまでも、元気でいてください!
素敵な本をありがとう!