『コミック版 日本の歴史31 足利尊氏 室町人物伝』

足利尊氏 室町人物伝
コミック版 日本の歴史31
監修 加来耕三
ポプラ社
2012年7月 第1刷

 

歴史の勉強、足利尊氏について。鎌倉時代の末期、突如として出てくるので、よくわかっていなかった。試験勉強なら、まぁ、「室町幕府をつくった人」ということでいいのだけれど、楠木正成新田義貞との関係も、私にはスッキリしていなかった。後醍醐天皇との関係もう含めて、マンガで勉強。

 

足利尊氏は、源氏の血を引く幕府側の人間。
新田義貞も、源氏の血をひく人間。

 

鎌倉の末期、北条高時の時代は、高時がきちんと政治を見ないこと、そして腐敗した武士による世の乱れで、人々は困窮していた。そんな乱れた世で、庶民の味方になっていたのが悪党といわれる楠木正成のような人々。

 

足利尊氏は、北条の世では人々は救われないと判断し、後醍醐天皇に味方をして鎌倉幕府を滅ぼす。同じ源氏の血を引く新田義貞は、最初は尊氏と一緒に倒幕に参加した。

 

北条氏を倒して後醍醐天皇建武の新政を始めると、足利尊氏後醍醐天皇に不満を持った武士たちに担がれて、今度は後醍醐天皇を倒して、室町幕府を始めることとなる。

最後に後醍醐天皇を裏切ったときは、新田義貞楠木正成と戦うこととなった。

 

ようするに、幕府を裏切りて後醍醐天皇につき、後に、後醍醐天皇を裏切って自ら室町幕府をたてた、ってこと。

 

なんで、そんなにややこしいことになったかというと、、、

1333年に六波羅探題北条高時をたおしたが、1335年に北条高時の息子、時行が信濃で挙兵し、足利直義(尊氏の弟)が守っていた鎌倉を占拠する。尊氏は、後醍醐天皇に頼んで自分を征夷大将軍にしてもらい、鎌倉に北条時行をたおしにいく。北条に勝利し、そのまま鎌倉に居着いて、武士の面倒をみていた。後醍醐天皇に京へ来るように言われても無視して、そのまま鎌倉にいついていた。すると、後醍醐天皇は、それは反逆だとして新田義貞の兵を、尊氏に向ける。

 

一度は、新田軍を撃破した足利軍だったが、楠木正成後醍醐天皇が頼った悪党)の登場により撃沈。九州へとにげる。その後九州の武士に勝利した足利軍は京をめざす。

 

楠木正成は、後醍醐天皇には「足利尊氏軍と戦っても勝ち目がないので和睦」するように勧めるが、後醍醐天皇はそれをのまず、楠木正成は、新田義貞の指揮のもと結局再び尊氏と戦うこととなる。

そして、楠木正成はその戦いで、討死。以前にも戦ったことのある楠木正成のことを良い武将と思っていた足利尊氏は、その最後を惜しんで、正成の首を丁重に遺族の元へ送ったといわれている。

この戦いの後、後醍醐天皇新田義貞比叡山のがれていく。

 

そして1338年尊氏は持明院統光厳上皇を復位させ、北朝が成立。北朝のもと、尊氏は正式な征夷大将軍として室町幕府を開くこととなる。とともに、南北朝の始まり。

 

尊氏自身は、本来は革新的な人ではなく保守的であり、日和見主義的な人だった。地位も名誉もある、名家のお金持ちのおぼっちゃま。まわりのすべての人に可愛がられ鎌倉幕府武家貴族として生活をしていた。戦うより、出家したいとすら思っていた。ところが、弟の直義や、足利家重臣高師直などに押されて、あれよあれよと、武士の世を立て直す主役となっていく。

奮起した理由の一つに、足利家に伝わる遠祖義家の「置文」があった。

「自分は七代後の子孫に生まれ変わって、天下をとるであろう」と。これは、足利一門の今川了俊の『難太平記』にでてくるエピソードだそうだ。

今川了俊というのも、結構マイナーな名前だと思うけれど、2020年度全国通訳案内士日本歴史の試験にでてくる。

今川了俊九州探題に任じられ、対立関係にあった征西将軍府を圧倒した”とうい文章を他の文章と比較して、出来事が起きた順番の正しいものを選べって問題。こんな人、知らないよ、って思っていたけれど、ここで出会った。。。

 

いずれにしても、本書を読んで、なるほど、そういうことだったのかと、だいぶ理解が進んだ。

 

後醍醐天皇は、二度も鎌倉幕府滅亡計画を立てながら失敗、一度は隠岐に流されてもいる。それでも、天皇の政治を取り戻したかったのだ。でも、取り戻して建武の新政をしてみたけど、既に武士の世の仕組みで生きてきた人々は、公家を重んじるそのやりようについていかなかった・・。

 

そして、太平の世を取り戻すために、みんなに担がれ、尊氏が立ち上がったということ。

なるほどね。
ようやく、室町時代の始まりが理解できた。

 

尊氏は、後醍醐天皇を味方にして幕府を倒し、後醍醐天皇の政治を見限って自分で幕府を建てた。いってみれば、優柔不断な裏切り者の様でもある。

 

新田義貞が、悲劇の武将と言われるわけもちょっとわかった。武士の世をとりもどしたかったのは尊氏といっしょだけれど、同じ源氏の血筋でありながら、その尊氏と戦って敗れることに。

 

そして、楠木正成の像が、皇居外苑に忽然とある理由も、納得。負け戦と分かっていても、尊氏との戦に出ていった。楠木正成に関する書籍がいっぱいある理由には、悪党出身だってこともあるんだろう。本流ではなかったからこそ、英雄。

 

モヤモヤがすっきりしてよかった。

もつれた糸が、ちょっとほどけた感じ。

歴史の流れで、理解にもつれがあると途中で投げ出したくなる。ひとつづつ、解いていくって大事だ。