『学習まんが人物館 明智光秀 戦のない世を目指し主君と信長を討った男』

学習まんが人物館 明智光秀 戦のない世を目指し主君と信長を討った男
小和田哲男 監修

小学館

2019年12月4日 初版第一刷発行

 

伊藤博文の次は、明智光秀。戦国時代に飛ぶ。

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敵は本能寺にあり!!」で、織田信長を討った男、明智光秀映画『レジェンド&バタフライ』を観た時に、明智光秀って、不気味でよくわからない男だなぁ、、、と思っていたのだが、本書を読むと、そんな悪い奴ではなかった、、、ような気がしてくる。

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本当の悪は、やっぱり魔王となって女子供まで皆殺しにした織田信長で、光秀はそれをとめたかったに過ぎないのでは???と、考えたくなる描かれ方。

 

さらっと覚書。

明智光秀の出生はあまりよくわかっていない。

 

・1565年ころ、越前一乗谷にて、朝倉義景に仕えていた。鉄砲の腕がよかった。

 

・1565年室町幕府13代将軍、足利義輝が、松永久秀三好三人衆三好長逸三好政康岩成友通)らに暗殺される。三好三人衆は、義輝の弟・足利義昭興福寺に監禁する。

 

・1566年、細川藤孝が、昭義を救い出し、朝倉義景に助けを求めに来る。藤孝と知り合った光秀は、義昭に拝謁することとなり、藤孝と共に義昭の上洛の機会をねらう。しかし、朝倉義景がなかなか上洛しないので、藤孝と光秀は、尾張織田信長をたよることとする。

 

・上洛の機会を狙っていた信長は、義昭を伴って上洛することを承知する。その交渉の際、信長は光秀に織田家の家臣となって、京で義昭をまもりつつ、朝廷との交渉役をやれ、と光秀を誘う。
「いずれ、時期が来れば、義昭さまをとるか、わしをとるか、おぬしが決めることになる」と。光秀にとって、信長の家臣になるということは義昭を裏切るということ。

 

・1568年、信長は足利義昭と共に、上洛。義昭は、15代将軍となる。

 

・信長が天下取りにむけて動き、義昭を利用する価値もうすれてくる。そんな中、信長は、徳川家康を伴って、朝倉攻めを開始。浅井長政の裏切りで、織田軍は退却を余儀なくされる。退却をうまくやり遂げて、被害を最小にしたのが光秀と木下秀吉だった。

 

・一度撤退した信長軍は、再び北上して浅井・朝倉連合軍を攻めた。姉川の戦い。血に染まった姉川。信長の大勝。光秀はこの時は参戦せず。

 

・このころから、信長に敵対する勢力が次々と挙兵。光秀の進言で、最終的には石山本願寺や浅井・朝倉と和平を結ぶ。しかし、その後、比叡山延暦寺(浅井・朝倉に味方した)を猛攻撃。

 

武田信玄が信長討伐のために上洛を開始。実は、浅井の裏切りや信玄の上洛は、義昭が信長をうらんで仕組んだことだった。それをしった藤孝と光秀は、義昭を見限って信長につく。光秀は、ここで初めて将軍家をうらぎることとなる。

 

三方ヶ原の戦いで、徳川家康武田信玄に敗れる。信玄の上洛を止められず。だが、そののちに信玄が病に倒れ、他界。信玄の後ろ盾をなくした義昭は、信長によって京から追放される。

 

・信長に敗れた朝倉義景と浅井親子は、しゃれこうべに金粉を塗られてさらしものにされた。本書では、このことを「あれはむごかった」といって信長を責める光秀が描かれる。『レジェンド&バタフライ』では、さらしものにしたのが光秀だったような、、、、史実はよくわからない。
光秀は、一向宗の信徒たち男女2万を焼き殺した信長に対して、やりすぎだ、、、と思うようになる。

 

・1575年 長篠の闘い。織田と徳川の連合軍が、武田勝頼率いる騎馬隊を破る。その後、光秀は丹波の平定を命じられる。

 

丹波の領主となった光秀は、土地の一族である国人衆をあつめ、丹波をよくするために協力を求める。光秀は、みんなの困りごとを聞き、治水工事をおこなうなど、良い国づくりに邁進した。人々に愛され、慕われた光秀。光秀はその土地を「福知山」と名づけた。

 

・1579年、織田信長、琵琶湖東岸に安土城を築く。信長のやり方はどんどん魔王になっていく。そして、事あるごとに信長に進言してきた光秀は、かつて信長が同盟を組んだ土佐の長宗我部元親を攻めようとしていることに対して、それは裏切りだといってやめるように頼む。しかし信長は、聞き入れなかった。

信長と光秀の関係は、だんだんと悪化していった・・・。

 

・光秀は、中国、九州を責めている秀吉の援軍に向かうように信長に言われる。しかも、丹波の土地は召し上げる、かわりに出雲と岩見を与える、、と。まだ落としてもいない毛利の土地である出雲と岩見・・・。そして、中国へ向かうために丹波亀山城にはいった光秀は、1582年6月1日の夕刻に、1万三千の塀で出陣。翌日、桂川に到着。そして、「敵は備中にない。敵は本能寺にあり!!」といって、反旗を翻す。

 

・信長は、本能寺にて自害。それを聞いた秀吉は、中国大返しで230キロの道をわずか10日でもどり、山崎で明智光秀軍と衝突。山崎の戦いで、光秀は重症を負い、最後は自害。

そして、秀吉が天下取りを続ける。

 

光秀が3年間治めた福知山や亀岡では、領民たちに慈悲深い治世に感謝されていた。光秀が亡くなってから120年後の1705年、福知山に建立された明智光秀をまつる御霊神社があるとのこと。

 

明智光秀と言えば、信長を裏切った卑怯な男、と考えがちだけれど、果たして本当にそうなのか・・・。信長の蛮行を身体をはって止めた男、ともいえる。そして、それを利用して天下取りにつきすすんだ、秀吉・・・。

けど、最終的に本当に天下をとったのは、徳川家康。そして、豊臣家をつぶした家康。

 

戦国時代というけれど、日本の歴史を作ってきたのは藤原の世からずっと、家督争いと権力争いの戦争続き、ともいえる。いやいや、壬申の乱天智天皇の後継ぎ争い)からか。。。いやいや、その前に乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺)がある・・・。現存している資料からしか紐解けないのだから、もしかすると間違った解釈をしている歴史もあるのかもな、、と思う。教科書でまことしやかに語られているからと言って、本当に、本当に、、、そうなのか???

 

そう、疑いたくなっても、自分で調べる術がないと、真相はわからない。古文書を自分で読めたら、きっと、どこまでも研究したくなるんだろうな、と思う。まぁ、、それは、老後の楽しみ、、、かな。

 

信長ではなく、光秀の視点から見た本能寺の変。ちょっと新しい気づきの一冊だった。

マンガも、勉強になる。