『近代日本暗殺史』 by 筒井清忠

近代日本暗殺史
筒井清忠
PHP新書
2023年7月28日 第1版第1刷

 

友人が本書をコメントしていて、どんな本なのか気になって図書館で借りてみた。すごいタイトルだ。歴史の勉強していると、日本の過去においてどれほど暗殺が多かったかと言うことに驚く。別に日本に限らないのかもしれないけれど、本書は近代における暗殺の歴史なので、「乙巳の変」のような古いものは出てこないけど、近代だけでもこれだけたくさんの暗殺があったのかと、驚く。

 

表紙裏の内容紹介には、
大久保利通暗殺後、犯人である島田一郎を主人公にした小説が刊行されて大好評となった。また、爆弾を投げつけられて一命をとりとめた大隈重信は犯人の勇気を賞賛し、そのことで大隈の人気も上がった。日本には暗殺者への同情的文化が確かに存在していたのである。一方、原敬暗殺の真因は、これまであまり語られてこなかった犯人中岡艮一の個人的背景にあった。犯人が抱えていた。個人的行き詰まり・挫折感は現在の暗殺にそのままつながるものである。
近現代史研究の第一人者が明治と大正の暗殺を丁寧に語り、さらに暗殺に同情的な文化ができた歴史的背景についても考察する。”
とある。

 

著者の筒井さんは、帝京大学文学部日本文化学科教授・文学部長。 1948年大分県生まれ。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得、退学。奈良女子大学助教授、京都大学教授などを経て、現職。東京財団政策研究所主席研究員。専攻は日本近現代史、歴史社会学。著書もいくつかある。

 

感想。
なかなか興味深い。
確かに、歴史社会学の本ではあるのだけれど、その暗殺が行われた背景として、犯人の個人的情報などが書かれているので、なんだかゴシップ誌のようでもある。とは言え、極めて真面目な1冊。そして日本人には、暗殺の犯人に同情する文化があると言うのも、なんとなくわかるような気がする。

 

日本人に限ったことなのかはわからないけれど、日本の暗殺犯人に同情する文化的基体として、以下の4つがあるというのが、著者の主張。

1 判官びいき
弱い者いじめの反対、つまり、「弱きを助け強気をくじく」と言う言動に対しては、無批判に喝采を送ろうとする心理。

 

2 御霊信仰に由来する非業の死を遂げた若者への鎮魂文化

 御霊信仰とは、非業の死、あるいは自己犠牲的行為をして死んだ人物の恨みが祟ることが無いように祀ること。菅原道真早良親王崇徳上皇を祀ってきたようなこと。

 

3 敵討ち、報復、復仇的文化

 『忠臣蔵』が典型。我慢に我慢を重ねてきた人は、最後に報復をして大きなカタルシスを得る、ということを受け入れる文化。

 

4 暗殺による革命・変革・世直し

 645年の乙巳の変を「大化の改新」という大きな変革につなげてきたように、暗殺は、世直しにつながるという考え。

 

なるほど、と思ってしまう。だからといって、本書は暗殺を肯定しているわけではない。こういう背景があるということを認識したうえで、現代における暗殺も考えなきゃいけないということなんだろう。。。なかなか、深い。。。


目次
第1章 明治編
政治の非合理的要素として
赤坂喰違の変 (1874年)  岩倉具視暗殺未遂事件
紀尾井坂の変 (1878年) 大久保利通暗殺事件
板垣退助岐阜遭難事件 (1882年)
森有礼暗殺事件 (1889年)
大隈重信爆弾遭難事件 (1889年)
星享暗殺事件 (1901年)

 

第二章 大正編
朝日平吾事件(安田善次郎暗殺事件)  (1921年
原敬首相暗殺事件 (1921年

 

結び
朝日平吾事件に通底している昭和の暗殺事件
同情の文化的背景
現代的暗殺の特質


そもそも、暗殺と言うテーマでまとめようと思ったところが興味深いところではあるが、最初に「政治の非合理的要素として」暗殺の存在について語られている。

 

著者曰く、
”本書は、近代日本の主要な暗殺事件を取り上げて、現代的暗殺の起源を探求し、安倍元首相暗殺事件を検討する基礎を提供しようとするものである。”
とある。

どんな事情があろうが、暗殺は、殺人以外の何物でもなく、全く以て弁解の余地は無いと私は思っている。一方で、安倍元首相の暗殺の事件もそうだが、事件をきっかけとして、社会の闇が浮き彫りにされる事があると言うのは事実だ。事が起きなければ、社会に認識されない不都合な現実。闇に葬られている不都合は、弱者にとっての不都合ではなく、強者にとっての不都合だから、同情的な空気があるのかもしれない。

そんなことを、思った。1冊だった。

いや、でも、とにかく、暗殺は許されないと思う。暴力に訴えるのは、やはり間違っている。


それぞれの事件は、その時々の社会的背景があったわけだが、明治維新に活躍した人々の中で、暗殺されなかった人は誰だろうかと思う位、みんな暗殺されている。
本書に取り上げられているのは、岩倉具視大久保利通板垣退助森有礼大隈重信、といったところだが、伊藤博文だって暗殺されている。ただ暗殺されたのが日本じゃないからここに載っていないだけ。

また、幕末維新の暗殺を取り上げれば、桜田門外の変を始め、1960年から1964年の間だけでも300件を越す暗殺があったと言われているという。なんと恐ろしい世の中だ。

”この大量の暗殺がなされた時代の事は留意していく必要があるが、それは天誅組(尊王攘夷派の武装集団)の一環として見るのが妥当で、平常時の暗殺とは、質が異なったものと考えられる。”とのこと。

 

岩倉具視暗殺事件は、実際には殺害されたわけでは無いから、政治的に与えた影響はそれほど大きいものではなく、岩倉の療養中に起きた。佐賀の乱の方が与えたインパクトは大きかったと言っている。

 

大久保利通暗殺事件で大久保は、「斬奸状」を持った6人もの士族に刀で切りつけられ、全身に16ヶ所の傷を受けて亡くなった。事件直後に駆けつけた、前島密の記録が恐ろしい。
「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて、脳の猶微動するを見る。嗚呼是れ何等の悲絶痛絶ぞ」

どれほどの恨みつらみか、、、、。

 

岩倉や大久保に関して言えば、不平士族による暗殺事件。板垣退助も、思想の違いによる暗殺未遂。板垣はその後の対応で、板垣人気が社会現象になったと言う。

板垣死すとも自由は死せず」 と言って、死んだわけではなかった、、、、。板垣はこの時は一命をとりとめている。


大正編で興味深いのは、安田善次郎暗殺事件。そんな事件があったことも初めて知ったけれど、犯人はいわゆる「自分の理想と現実が乖離しているタイプ」だと思われるが、安田自身が、世の中から「吝嗇」と言うイメージでとらえられていたことから、犯人への同情が高かったようだ。犯人は、弱者救済のために労働ホテル建設について、安田に談合を申し入れに安田の別宅を訪れる。女中の話によれば、はじめは静かに会談していたが、突然物音がして犯人が短刀で善次郎を刺し、その場で自分も剃刀で咽喉部を切り自殺した、、、という事件。犯人の朝日平吾について、多くのページを使って考察がされている。

 

本書の中で、取り上げてる事件の数は、明治の方が多いけれど、ページを多くされているのは、大正編。当時の社会的背景や、犯人の生い立ちなどが詳しく記されている。
その辺が、まるで週刊誌の記事のようだ。もちろん、ちゃんと引用文献がついているので、資料としては、信頼の高いものでゴシップネタとは違うけれど。

 

でもどう書いてみても、やはり犯行に至った理由が、あれこれと述べられていると、、、、言い訳にしか見えてこない。もちろん著者はそんなつもりで書いているのではないだろう。

安倍元首相の暗殺事件も、統一教会と言う背景がなければ、ニュースとしては違った扱いになっていたかもしれない。別に要人の暗殺に限らず、殺人事件と言うのは、多かれ少なかれ、いや必ず深刻な背景があるはずだ。

人それぞれの価値観は、わかりやってるつもりでもなかなかわかりあえない。

 

犯罪が発生する3つの要因のうちの1つは、本人にとっての言い訳がある事と言われる。「動機」「機会」「正当化」のうちの、「正当化」だ。人を殺すことに対して正当化できる言い訳。本当はそんなものはないのだと思うのだけれど、犯人の中ではそれがあるのだ。そして、そこに共感してしまうと、犯人への同情という世論が、、、。

 

なかなか興味深い一札だった。

 

最後にまとめがある

”近現代の自由民主主義政治=議会制民主主義は、基本的に高学歴の国会議員と官僚によって担われており、それに対し暗殺は学歴に無関係で資格の必要もなく、大衆の政治参加、その意味でのデモクラシーと言う要素を強く満たすので、政治的社会的窒息状況では、その誘因は極めて強力なものになるのである”

 

それに流されてはいけないよ、というのがメッセージの一つ。

そりゃそうだ。

 

謀反、暗殺、陰謀、、、、。

たしかに、「その時歴史は動く」んだな。。。

先日、Amazonプライムで、『燃えよ剣』を見た。土方歳三に扮する岡田君がかっこよくて、ついつい見てしまったけれど、見るに堪えない殺戮の連続・・・。誰かの暗殺が誰かの暗殺を呼ぶ。投降したのに近藤勇が殺されたのも、そういうことだったか、、、と。親分を暗殺された恨み・・・。これまた、司馬遼太郎のみかたではあるけれど。

暗殺で歴史が変わる、、、。

いやいや、現代社会においては絶対にあってはならない、と私は思う。