『小説小野小町 百夜』 by 髙木のぶ子

小説小野小町 百夜
髙木のぶ子
日経BP
2023年5月18日 第一刷

 

日経新聞の2023年6月24日朝刊書評 に出ていたので、図書館で予約していた。ちょっと待ったけれど順番が回ってきたので、読んでみた。

 

記事では、
小野小町は平安前期の歌人としてよりも、「絶世の美女」といったキャラクター化された姿のほうが浸透している。生没年を含めて生涯がよく分かっていないためだろう。そんなイメージや伝承を離れて、今に残る小町の歌を元に人物像を立ち上げた小説が本書だ。
作中の小町は10歳で母と別れて都へ上り、父・小野篁のもとで和歌や漢詩を学ぶ。仁明天皇の女御・縄子に仕えて歌の才を示す一方で、信頼していた人の裏切りや許され得ぬ恋などの辛苦を味わう。自身の痛みも他者の心の傷も「あはれ」と受け止め成長してゆく姿が胸を打つ。”
と、紹介されていた。

 

そう、小野小町は、六歌仙のひとり、詩の名人としてしられているけれど、実は、生まれやどこでいつ亡くなったかなどは、わかっていない人。絶世の美女と言われる平安美人。本書は、小野小町の歌を元に、髙木さんが小説に創り上げた作品だと思う。歌というのも、あとから解釈されると「そのこころ」は、解釈によっては作者の意図したものとは違うこともある。本居宣長「敷島のやまと心を人とはゞ、朝日に匂ふ山桜花」だって、戦時中にはいいように解釈されてしまった。その時代に都合の良いように、あるいは、その時代ではそうとしか理解しえないこともあるのか。

 

私は、和歌に詳しいわけではないので、一般的に小野小町の歌がどのように解釈されているのかは知らないけれど、人を思う恋、愛情、切なさを歌ったものが多いとされている。髙木さんは、その愛情を男女の愛だけでなく、母親を思う気持ちとして小町が歌ったものとしても引用している。

 

感想。
素敵な一冊だ。
最初は、古い口語調の文体に、読みにくさも感じたのだけれど、読んでいくと物語として面白い。

 

以下、ネタバレあり。


最初は、小町が母親の小野大町のもとを離れて、都へ連れていかれる場面から始まる。小町10歳。母から歌の手ほどきをうけていたので、すでに歌の才女。でも、若干10歳で、まだ母が恋しい年頃だというのに、母親からはなれて、父・小野篁(たかむら)のくらす都へと連れていかれるのだ。乳母の秋田に連れられ、籠に載せられ都へ。小町の父は、官人で都で朝廷に仕えている。母の大町は、陸奥国雄勝という鄙びた田舎の女。母親の素性は詳しくはでてこないけれど、それなりに高貴な家庭だからこそ、小野篁と出会っている。
そして、小町は10歳にして初めて父親と会うこととなる。篁が、小町の才女の噂をきいて、呼び寄せたのだった。

そして、早々に歌の才能を披露し、仁明天皇の女御・縄子(滋野貞生の娘)の付き人として、縄子に大切にされながら、歌で縄子を支えるなどして活躍する。宮廷にあがることで様々な人に出会い、絶世の美女である小町自身も、やんごとなき方から見染められたり、誘われたり、、、。

藤原良房摂関政治の全盛時代であり、藤原家とそうでない家の出身の女御との後継ぎ争いもたえなかった時代。小町の父・篁も、一時は謀反の嫌疑で隠岐島流しに、、、。と同時に篁の義弟(実は、桓武天皇の血をひく伊予親王の子ども)も流刑になり、小町は小野家の後ろ盾を失ったりもする。小町18歳の時。

 

それでも、歌の才能、機転のよさから、強く、しなやかに生きた小町。美しく生きた小野小町が描かれている。女性の方が楽しく読めるかもしれない。。。小町の生き方に、共感するというのか。。。恋した相手は、一人ではない。そして、年老いてからもかつての愛しき人とのセツナイ手紙だけでのやりとり。身分を明かさずに、歌で思いを伝えた時代の美しい物語。

なかなか、感慨深い。ストーリーは創作だとおもうけれど、次々と変わる天皇や、藤原家への人々の辛辣な評価、在原業平橘逸勢といった有名歌人も登場して、時代小説としても楽しめる。

 

小町の歌を軸としてプロットを考えたのだろうとおもう。どの歌も、たしかに美しいなぁ、と思う。和歌ってすごい。たったこれだけの文字数で、これだけ多くのことを表現したのか、と思う。漢詩や和歌で、語り合った夏目漱石正岡子規を尊敬するのとうらやましくおもうのと、、、。ちょっと、古文を勉強したくなった。和歌を解釈できたり、古文書の漢文や草書の仮名文字を読めるようになったら、博物館での楽しさが倍増どころか何十倍にもなるのだろうな、、と思う。

 

読み始めたら、あっという間に読んでしまった一冊。381ページの単行本なので、結構な分厚さなのだけれど、実は、こまめに改行されていることで、古い文体でも読みやすくする工夫がされている。実際の文字数も、ページにぎっしり文字の詰まっているモノよりもだいぶ少ないのだと思う。

 

歌の美しさをしり、小野小町のしなやかに強く生きた美しさへの妄想を掻き立てるのに最適な一冊。小野小町。会ってみたいな・・・・。

 

印象的な歌を覚書。

君をおきてあだし心を我が持たば 末の松山波も越えなむ
「あなたを差し置いて、私が浮気心を持つならば、あの末の松山が波を越えることでしょう、けしてそのようなことはありませぬが」
小町が初めて篁にあったとき、母から教わったとして披露する。行ってしまったのは、篁。大町を雄勝に残し、一人都へ帰っていった篁に対して、それでも私は浮気心をもつことなんてありません、という歌。10歳の子供が母から父へのメッセージを伝えたようなもの。10歳まで、一度も会うことのなかった父に対する恨みつらみ、もあったのか・・・。母大町も美しい女性であったのだ。

 

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
「あの人を思いつつ眠りましたので、あの方が夢に見えたのでありましょうか。夢とわかっておりましたなら、目覚めることもなかったでしょうに。」

 

朝ごとに我が見る宿の撫子が 花にも君はありこせぬかも
「毎朝目にします撫子でございます。この花にでも会いに来て頂きたく」
撫子の様だと言われた御殿の女御様。女御・縄子は、撫子なら小町のほうが似つかわしいとして、可愛らしい花の名前・撫子を小町に譲った。女御でも、小町でも、どちらにしても撫子の花を見に、縄子や小町のいる御殿へ帝のお出ましを願う文として、撫子にそえてつたえた歌。

 

一本のなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思いそめけむ
「一株の撫子を植えたその心は、誰に見せたいとの思いだったのでしょう。あなたにみせたいとの思いなのです」

 

身に近き名をぞたのしみ陸奥(みちのく)の 衣の川と見てや渡らむ
「身に添う衣という名ゆえ、近づきになれそうだと頼りにしました陸奥の衣川ですが、いざいざ目近に参りますと、川が流れるように涙も流れ、叶わぬ恋しさにないてしまうことでございます」
陸奥というのは小町の出身の土地。陸奥という鄙の女である小町に、近づくなどというのは叶わぬことだと、雅な男・良岑宗貞に返した歌。歌は、詠み人知らず。
小町と宗貞は、その後、宗貞が出家して遍昭(へんじょう)となって、高齢になっても恋しい人同士となる。

 

いとせめて恋しきときはむばたまの 夜の衣を返してぞ着る
「胸塞がれるほどに人恋しきときは、夜の衣を裏に返して眠ります。そのように衣を返せば恋しき人と逢えるとの言い伝えがございますゆえ、もしや叶うものかと。」
なんてセツナイ・・・・。しかし、衣を裏返しに来て寝ると、恋しき人に会えるとは、、、これいかに?!?!?!現代でもそんなマジックあるのだろうか?


泣く涙雨と降らなむ渡り川 水増さりなば帰りくるがに
「このように悲しんで泣く涙よ、雨となって降っておくれ。三途の川の水が増して渡ることができなくなり、どうぞあの人がこの世に戻ってきますように。」
自分と母をすてた人でなしだと篁のことを思っていた小町だったが、あるとき篁が読んだ歌だといって僧から聞かされる。篁にもこれもどまでに悲しい別れの経験があったのだと知る。

 

かぎりなきおもひのままに夜も来む 夢路をさへに人はとがめじ
「限りなく恋しさがつのります。せめて夜の夢であなたの所へ通いたく思います。夢の中の通う道であれば、人も咎めたりしないでしょう。」
小町から宗貞への歌。逢いたいけれど、逢えない二人。 

 

花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに
「花の色は、盛りのときは色濃くありますが、時経れば褪せて、このように薄く淡く移ろうのが定めでございます。我が身もまた、いたずらに長くこの世に生き長らえて、色あせてしまいました。」
あまりに有名な歌だろう。小町と宗貞は、互いに月と雲にかけて歌を交換しあった。それが愛を伝える手立てだった。会いたくても会えない二人。小町はこの詩を「雲の方へ」といって牛車の老人に託す。

 

和歌や俳句、本当になんて深いんでしょう・・・・。

小野小町の生涯に感動しつつ、歌の深さに感動した一冊だった。

日本語ってすごい。

 

和歌のすごさに楽しく触れられる一冊。なかなか、お薦め。