『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』 by 頭木弘樹

希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
フランツ・カフカ
頭木弘樹 翻訳
飛鳥新社
2014年5月6日 第1刷発行

 

頭木さんの本なので、図書館で借りてみた。
『絶望名人カフカの人生論』に続く1冊。

megureca.hatenablog.com

 

1つのテーマについて、2人の作品からそれぞれ名言を引用し、頭木さんの解説が続く。かなりの量の名言が続くのだが、2人の比較でまとめてあるところがすごい。頭木さんの頭の中には、2人の言葉が全て記憶に残っているのではないかと思う位。そして、いかにも楽観的なゲーテの言葉に対して、いかにも悲観的なカフカの言葉。その対比がとても面白い。かつ本書の最後の方では、ゲーテの比較的悲観的な言葉とカフカの比較的楽観的な言葉が並ぶ。これだけの言葉を選び、比較し解説すると言う、かなりの離れ業だと思う。頭木さんは、ほとんど外に出ることができなかった闘病の13年間で、まるで自分の言葉のように、彼らの言葉が頭に刷り込まれたのだろう。
しかも、引用は作品からだけでなく、彼らの手紙や日記といったリソース。翻訳のうまさもあって、本当に面白い一冊だ。

 

感想。
ほんとによくまとまっている。

面白い。
私は、『絶望名人カフカの人生論』より、本書の方が好きかな。。。。
頭木さんの解説を読まずに、ただ名言だけを読むなら、おそらく30分位で読める。数行の名言に対して、1ページ分の解説が続く。この解説も1ページきっちり収めると言うのもなかなかの作業だと思う。ある意味名言辞書のような一冊と言っていいかもしれない。
本当に、頭木さんは、カフカの言葉に救われ、ゲーテの言葉に腹を立て、それでも、両者の言葉を愛している。人生には、希望も絶望も必要ということ。それを強く感じる。
楽しい言葉、きつい言葉が並ぶけれど、なぜか心休まる1冊。

 

絶望しても、希望もある、って感じるからだろうか。。。

 

希望に溢れた時よりも、絶望に沈んでいるときに読んだ方が、心に効く助けになるような1冊。こういう本も大事だ。
頭木さん、素敵な本をありがとう、って感じ。

 

「はじめに」で、ゲーテカフカは、まるで反対の性格のようだけれど、とても似ていると言う頭木さんの解説がある。

 

”この2人を並べてみたのは、2人がまるっきり違う人間だからではありません。「月とすっぽん」「提灯に釣鐘」という言葉がありますが、比較したくなるのは両者が似ているからこそです。” と。

 

そして、似ているところを並べ立てている。

 

”2人とも、裕福な家に生まれました。でも父方はもともと低い身分でした。
2人とも、父親の期待を背負わされました。そして父親とうまくいきませんでした。
2人とも、父親の意向で法律を学びました。でも当人は文学の道に進みたいと願っていました。また2人とも画家になりたいと思ったことがあります。
2人とも、お気に入りの妹がいました。
2人とも、作家以外に仕事を持っていました。役人でした。
2人とも、朗読が好きでした。
2人とも、自分の原稿をよく焼いていました。また未完成の作品がたくさんあります。
2人とも、自殺を考え、思いとどまったことがあります。
2人とも、恋愛をするときに名作を書いています。恋愛と名作が連動しているのです。

ゲーテは18世紀を代表する作家で、カフカは20世紀を代表する作家です。後に続く作家たちに決定的な影響与えた、と言う点でも2人は共通しています。”

 

そして2人の異なる点を並べている。

ゲーテは故郷から巣立ちますが、カフカは親元からなかなか離れられませんでした。
ゲーテはたくましく、カフカは針金のように痩せていました。
ゲーテはよく食べよく飲む人でしたが、カフカは菜食主義でしかも極めて小食でした。”

などなど、、、。

本書の最後には二人の写真と経歴が簡単にまとめられているのだが、彼らの作品を読む前に、作家の背景を知っておくって、大事だな、って思った。こういうカフカが書いた『変身』であり、こういうゲーテが書いた『若きウェルテルの悩み』なのだというのは、作者の思いを探ろうとしたときには知っていないとわからないように思う。


そんな2人の名言を並べてみると、全く反対のことを言っているようであり、同じことを言っているようでもあり、読んでいると、だんだん不思議な感覚になっていく。つまるところ、人生には希望も絶望も大事と言う事。

ゲーテの明るさ希望に満ちた言葉は、絶望を打ち消したい行動の表れのようにも思える。逆に、カフカの絶望の言葉は、本当は希望を持っているのに、あえて絶望に浸りきることで、安堵感を得ようとしているようにも思える。

 

ゲーテは、言霊を信じて、明るい言葉ばかりを並べた。

カフカは、沈み切ってしまえばそれ以上沈む事は無いということに、安らぎを求めた。

そんな気さえしてくる。

 

でも、本書の最後には、ゲーテが絶望し、カフカが希望を持っている言葉が並ぶ。それもまた面白い。

ほんとによくも、まぁこれだけの言葉を抜き出し、対比させてくれたものだ。なかなか素敵な1冊。

 

目次
対話1 前向き × 後ろ向き
対話2 強さ × 弱さ
対話3 自分はOK × 自分はNG
対話4 チャンスをつかむ × チャンスに背を向ける
対話5 行動する × ひきこもる
対話6 生きる喜び × 生きづらさ
対話7 仕事にやりがい × 仕事に苦痛
対話8 人を動かす × 人を怖れる
対話9 恋を楽しむ × 恋に苦しむ
対話10  結婚して子供を作る × 生涯独身
対話11 親を超える × 親に圧迫される
対話12 病から健康へ × 健康から病へ
対話13 ゲーテ = カフカ
対話14 ゲーテの絶望 × カフカの希望

 

対話13では、= になっているも楽しい。

 

気になった言葉を覚書・

ゲーテの最期の言葉 「もっと光を!
そうかそれはゲーテの言葉だったか。。。

 

カフカの言葉
もっと大きなことで、自分を試そうとするべきだと君は言う。
たしかに、そうかもしれない。
だが、大小で決まることでもないだろう。
僕は僕のネズミの穴の中でも自分を試せるはずだ。

これに比較されているゲーテの言葉は
「百万の読者を期待しないような人間は1行も書くべきではないだろうね。」

私は、カフカの言葉の方が好きかもしれない。
本当に物事は大小ではない。そんな簡単なことに気がつくにも、歳を重ねるということが必要なように思う今日この頃。

等身大の自分を目指すと言うのは、実は難しいことかもしれない。
大きな希望を持って、大きな目標を持つのも素晴らしいことだけれど、
等身大の自分を知ると言うのも、歳をとればとるほど重要かもしれない。

会社と言う肩書きがあったから、部長だったり、役員だったりしたかもしれないけれど、退職してしまえば、ただの人なのだ。還暦を過ぎて、それに気づけていない人は、それはそれで結構不幸だ。本人がというより、周りが不幸・・・・。

なんてことを、50を過ぎて脱サラすると思う。

等身大の自分を大事にするって、人生後半に入ったらとても大事なのではなかろうか。
人はいつまでも成長し続けるわけじゃない。下り坂に入ったっていいんじゃないのか。それが等身大の自分で、それでもいいと思う。

 

石川啄木の歌
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ」

これは、カフカの価値のない人間、という言葉の解説の中で紹介されていた。

カフカの言葉はこうだ。

夕べの散歩のとき、
往来のどんなちょっとした騒音も、
自分に向けられたどんな視線も、
ショーケースの中のどんな写真も、
すべてぼくより重要なものに思われた。

カフカは、自分を人と比べるどころか、騒音や視線や写真と比べて嘆いている。自分はNGに振り切れているカフカ。やはりここまでいくと凄いとしか言いようがない。

 

高村光太郎の「道程」
「どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない。
僕の前に道はない 
僕の後ろに道はできる 
道は、僕のふみしだいてきた足あとだ 
だから 
道の先端にいつでも僕は立っている」

ゲーテの自信を持てばうまくいくと言う名言の解説で紹介されていた歌。なるほど。

 

ゲーテの言葉
「光の強いところでは、影も濃い」

多くの喜びを経験すると言う事は、多くの悲しみを経験している。それがゲーテの人生だった。


カフカの希望の言葉
「救いがもたらされている事は決してないとしても
ぼくはしかし、
いつでも救いに値する人間でありたい」

カフカがいくら絶望し続けても、その絶望になれきってしまう事はなかった。それが、カフカのすごい所なのだ。

 

本書は、ゲーテの言葉は白紙に黒の文字。カフカの言葉は黒紙に白の文字で印刷されている。それもまた、シンプルながらも、言葉の力を伝える助けになっている。

 

面白い本。

人生は、希望も絶望も必要。

そして、寄り道も必要。

だよめ。