『怪物』by 佐野晶

『怪物』
脚本 坂本裕二
監督 是枝裕和
著 佐野 晶
宝島社 
2023年5月8日 第1刷発行
2023年7月20日 第3刷発行

 

映画、『怪物』の本。映画をみても、よくわからなかったところもあったので、図書館でノベライズ本を予約していた。ようやく順番が回ってきた。

megureca.hatenablog.com

 

一気読み。

ストーリーは知っているのに、やっぱり、あぁ、そうだったのか。。。。と、新たな気づきになることがいくつもあった。

 

映画と同じで、
目次



と、三部構成。母親の早織の視点、担任の保利の視点、そして、子どもと校長先生。

 

読んでみてよかったと思う。いじめとか、、、そんな簡単なことでもない。湊の心の葛藤。そして、映画を見ている時には、ちょっとかわった保利先生は自己中心的な人物かとおもいながら見ていて、本当は、真面目に教育者としてやっていきたかっただけなんだ、と分かるのだけれど、観客もまた、早織の視点に引きずられて、「保利先生は、悪い先生」という先入観で見てしまう。。。少なくとも、私はそうだった。噂の出どころなんてどこだろうと、真偽もどうでもよくて、人は自分の都合で情報を解釈してしまう。

 

Ⅰが、早織の視点であることとにも意味がある気がした。年代的に小学生の子供をもつ親世代以上の人がみれば、思わず、早織に共感してしまうと思う。とんでもない先生。湊が可愛そう・・・・。一般的に考えれば、母親、小学校の教師、子供、の視点ならば、母親の視点が一番自分に近くて、そこに共感しやすい。だから、Ⅰは、早織の視点でなくてはいけないのだ。

 

そして、Ⅱでは、保利先生がいかに学校という仕組みの中で、犠牲者にさせられてしまったか、、、という悲しさ。保利先生の失意。。。でも、最後は、湊と依里が仲良しだったことに気が付き、湊に謝ろうと必死になる姿。映画の途中で、保利先生はそんなに変な人ではないことに気が付くのだけれど、本を読むときには既に保利先生が変な人ではないことをわかって読んでいるので、保利先生が気の毒でしかたがなくなる。保利先生が学校をやめさせられたのは、犠牲になったとしか言いようがない。そして、保利先生を犠牲にして学校や自分を守ろうとするように見える校長・伏見の姿も、社会の仕組みとして、校長としての役割を演じているにすぎないのかもしれない、、とも思える。スーパーマーケットで、走り回る他人の子供をやさしくしかるのではなく、こっそり足をだして転ばせるあたり、、、ぞっとするけれど、悲しくもある。

 

Ⅲが、いちばん、本を読んで、あぁ、そうだったのか、、、、と、なった。

 

ストーリーの最初の方で、学校から帰ってきた湊がはさみで髪の毛をきって、一人でシャワーを浴びているシーンがある。髪の毛を切る意味がよくわからなかったのだけれど、それは、依里に、音楽室で二人きりのときに触れられた髪の毛だったのだ。
「嫌な気持ちにはならなかった。だが、得体のしれない不安がこみあげてきた。」と。その不安から逃れたくて、湊は自分で髪の毛を切る。そして、ただ、洗面台に流したら水がつまっちゃうとおもったから、床に落ちた髪の毛をそのままにしていただけだった。

湊の不安。それは、男の子である依里に髪の毛を撫でられて、嫌な気持ちにならなかった、、、。自分は男の子を好きかもしれない、、、という不安。

母親の早織にしてみれば、突然、自分で髪の毛を切って、一人でシャワーを浴びている息子の姿に動転し、いじめとか良くないことを想像してしまうのも、わかる気がする。そう思えば、全てがいじめにつながって考えてしまう・・・、親なら、心配になるのは仕方がない。

 

依里は、いつもハイネックのシャツを着ていた。それは、父親からの虐待の痣をかくすため。映画を見ているときは気が付かなかった・・・。

 

依里が、学校のトイレの個室に閉じ込められていたシーン。湊は、いじめっ子の大翔たちが、湊が依里を救いだせば、「麦野くんと星野君はラブラブ」などとはやし立てられるのを恐れた。だから、依里を助けたかったけれど、躊躇した。そこに保利先生が通りかかったので、保利先生が依里を助けてくれるだろうとおもって、トイレから去ったのだ。依里のことがどうでもよかったわけではない。でも、心配になって、湊はもう一度トイレに行ってみる。そして、保利先生が依里のいる個室の前にいるのを確認して安心したのだ。

 

父親に虐待されてる依里が、「おばあちゃんの家にいくから転校するみたい」、と湊に告げるシーン。おもわず依里に抱きつく湊・・・。自分でもびっくりして、依里から身体を引き離そうとする。今度は、依里が湊に身体をよせてくる。湊の下半身は、反応していた。自分の身体の反応にパニックに陥った湊は、依里を突き飛ばす・・・。逃げ出す湊だった。

 

学校の美術の授業中、湊と依里が同級生に「ラブラブ」だといってからかわれるシーン。そこから乱闘。絵具だらけになる二人。。。保利先生が教室に入ってきたときには、湊が依里をいじめ、さらに一人で暴れているようにしか見えなかった。。そして、湊と依里を保健室につれていき、顔と手の絵具を洗い流し、ちょっとだけ傷の手当。先生は、「男らしく握手しよう」といって、二人の仲直りを促す。「男らしく・・・」何気ない一言に、依里は保利先生への軽蔑の色をしめす。そもそも、僕たちは仲たがいもしていない。なんにもわかってない先生。男らしくってなに??でも、依里が示した軽蔑の色は、湊にしかわからない色だった。

 

そして、行き違いもありながら、湊と依里は、LINEでお互いの気持ちを確かめ合った。湊は、二人の秘密基地に一人でむかう。ほっとしたのだ。依里に嫌われていないとわかって。スキップしたくなるくらい、心はかるくなった。

 

Ⅰで、暗くなっても帰らない湊を探して、早織が秘密基地のあるトンネルで湊を見つけた時、帰りの車の中から湊が突然助手席のドアをあけて走っている車から飛び降りたシーン。それは、「お父さんのように普通に結婚して家庭をもって、、、」と早織が話しはじめたからだった。僕はお父さんみたいになれない・・・・。

早織は、湊のそんな思いに気が付くはずもない・・・。

 

そして、伏見校長と湊がへたくそだけど音楽室でトロンボーンとホルンを吹くシーン。保利先生が、学校の屋上から飛び降りて自殺してしまおうかと考えていた時、ふと思いとどまったのは、この音のおかげでもある。自分の行動が、誰かの行動に影響しているなんて、思いもしていない二人。ただ、無心に吹き続けた二人。

 

嵐の中、秘密基地で友情を確かめ合う湊と依里。

 

映画のラストは、嵐のあとの晴れ間。二人が陽の光に向かって駆け出すシーン。

本の最後は、

二人は未知の世界へとむかっていった。

と。

 

あー、すごいお話だと思う。

もう一度、映画を観なおしたくなる。

読んでみて、よかった。

 

映画を観ていなくても、本だけ読んでも楽しめると思う。

 

多様性への受容というのは、一人一人の個性という簡単なことだけでなく、年齢、性別、職業、、、あらゆることがそれぞれの人の一面でしかないということに気が付くことから始まる。

 

私が感じた『怪物』への感想だって、他の誰かとは違っていてあたりまえ。多様性への受容は、自分とは異なることを受け入れるということではなく、そもそも、自分と他人は違っていて当たり前であることを理解すること。そして、相手を尊重する。ただそれだけのことなのだ。

 

と、そういうことなんだろうな、と考える時間を持つのが大事なのかもしれない。

考える時間って、大事だ。

 

読書の秋。いっぱい読んで、いっぱい考えよう。