映画『怪物』  監督: 是枝裕和 映画脚本: 坂元 裕二

映画『怪物』
監督: 是枝裕和
音楽: 坂本龍一、 Ryûichi Sakamoto
映画脚本: 坂元 裕二

観てきました。

 

感想。
良かった。安藤サクラさんも永山瑛太さんも、子役の黒川想矢くんも、柊木陽太くんも。
本作は、第76回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞。なるほど、脚本がすごい。そして、坂本龍一さんの音楽もいい。音楽を聞き入るためにもう一度観に行ってもいいかとおもうくらい、やっぱり、教授のピアノはいい。

6月に公開になってから、観ようかな、、、と思ってのびのびになっていたのだけれど、先日、友人と話をしているときに「今度の水曜は、怪物を観に行こうと思って」と言っているのを聞いて、そうだ、水曜、安い日に観に行こう!と思い立ち、午前中が有意義につかえる8:40~の回を観に行ってきた。映画館は、我が家から歩いて行ける距離に3箇所あるのだけれど、朝いちでやっていたのは、一番近い場所。朝の洗濯をすませてから行ってきた。

 

映画館の中でも比較的小さい部屋でやっていた。お客さんもまばら。平日の朝、8:40だしね。

2時間越えの映画だけれど、最後まで飽きさせない。プロットが素晴らしい。私は、映画を見に行くときに、ストーリーなどの事前情報はゼロで行くので、誰かが死んでしまうとかもっと怖い話かと思って、恐ろしいことが起こるのかと思ったけれど、そうではなかった。

『怪物』というタイトルは、子供達が映画の中で遊ぶゲームが「怪物だーれだ」だからともとれるし、だれでも天使の顔も怪物の顔もある、ともとれる。なるほど、怪物というタイトルも深い。

 

主役の子供達が遊ぶ「怪物だーれだ」は、連想ゲームみたいなもの。生き物が書かれた絵を1枚選び、自分ではなにが書かれているかわからないように、おでこに掲げ、絵を見た相手にヒントをもらって、何が書いてあるかを当てるゲーム。言葉からの連想ゲームで、連想するのだが、子供達のそのやり取りも、結構深い・・・・。
「のろま」とか「ぽっちゃり」とか、、、そこから連想する動物を人に当てはめれば、意図せぬ「いじめの言葉」になるかもしれない・・・。そんな場面もでてくる。

そして、登場人物のだれもが、愛する誰かを守るためには、怪物になってしまうかもしれないということ。

 

以下ちょっとネタバレあり。

 

物語は、時間が3回戻る。それは、一連の出来事を、母の視点、先生の視点、子供の視点で語られるから。何度も行き来するのではなく、それぞれの視点で最初からやり直し、という感じの流れ。だから、確かに時間が戻るのだけれど、頭の中での混乱は起きにくい。それでも、あれ?母の視点の時には、ここでは?!?!と、もう一度戻ってみたくなる。

軸となるのは、イジメ、虐待、そして「嘘」だろうか。子供がイジメられているかもと思った母というのは、イジメの犯人が誰なのかを探したがるし、一度そうだと思ったら、なかなかその思い込みは消せないだろう。

 

最初の母(安藤サクラ)の視点で、物語が進むときは、息子の麦野湊(黒川想矢)をイジメているのは、担任の保利(ほり)先生(永山瑛太)だと思い込む。息子が、先生の名前を口にしたから。校長先生(田中裕子)をはじめ、他の先生が、保利先生が全て悪いといって、保利先生に保護者会で謝罪させる。映画をみている観客にとっても、保利先生が、どうしようもない自分勝手な先生に見える。瑛太のふてぶてしい演技は素晴らしい。今どきの拗ねた若者みたい。湊君は被害者だ。この時点では、観客たちは、被害者の湊君と加害者の保利先生、と思っている。そして、学校ぐるみでいじめを穏便にすませようとする姿勢。校長先生は校長先生で、事なかれ主義に見える。孫を自宅ガレージで亡くして、仕事に復帰したばかりの校長先生は、どうみてもぼーーっとしてやる気があるようには見えない。自宅ガレージで誤って孫を引いてしまった夫は刑務所に入っているけれど、本当は校長先生が車をうんてんしていたのではないかと噂されていた。怪物は、学校か、、、と思う。保利先生はメディアでも「罵詈雑言の先生」と書き立てられ、彼女にも逃げられ、一人で自宅で過ごすようになる。ある時、自宅で子供達の作文を読み返してふと何かに気が付く。作文には、メッセージが隠されていることに。

そして、大嵐の朝、母は湊が2階の部屋からいなくなっていることに気が付く。暴風雨の中、家の外から「麦野―!麦野―!」と叫ぶ、大人の声が聞こえる。私は、湊君は飛び降り自殺したのか?!?!と思ってしまった。駆け下りていく母。叫んでいたのは、保利先生だった。
「麦野、先生が悪かった!先生がわかっていなかった! ごめん、話をさせてくれ!」と。
安藤サクラ演じる麦野早織と保利先生は、湊を捜して暴風雨で通行止めになっている先へ。。
湊が隠れ家にしていた場所をみつけて駆けつけるが、土砂崩れが起きている。そして、湊の姿はない・・。
暴風雨の中、泥まみれで湊を探す二人。そこで、時間が戻る。

 

今度は、保利先生の視点。
保利先生は、子供達に愛情をもって教育していこうと心に大志を描いた、新任教員だった。本当は、保利先生は、イジメなんてしていなかった。湊が暴れた時に、それを止めようとして、うっかり肘が湊の鼻にあたって、鼻血がでたのは事実だったけれど、「ごんよ、ごめんよ」とすぐに謝ったのが事実だった。女子児童に、猫の死体がある場所に連れていかれ、「さっきまで湊君が猫とあそんでいた」と聞かされる。保利先生から見ると、湊が動物をいじめたり、クラスメートをイジメている、と見えていた。校長先生(田中裕子)も、他の先生も、保利先生がいじめをみとめて謝れば事が収まると思っている。保利先生は、不本意にも無実の罪をきせられ、謝罪させられたのだった。

 

最後は、子供の視点。
イジメられていたのは、湊ではない。クラスメートの星川依里(柊木陽太)君だった。湊は、星川君がいじめられているのを見て止めたかったけれど、止めることができなかった。星川君は、イジメられても、にこにこして優しかった。誰かの悪口を強制されても、「僕はおもっていないことは言わない」といって、さらにいじめの対象にされてしまう不器用な星川君だった。でも、音楽室への荷物運びを一緒にしてから、二人は仲良しになる。でも、星川君と仲良ししていると、クラスメートにイジメられるので、「みんなの前でははなしかけないで」という湊だった・・・。子供って残酷だ。
保利先生が、湊が暴れている場面を目撃したのは、星川君へのいじめを止められずにいた湊が、みんなの興味を星川君からそらすためにしたことだった。そのいきさつを知らずに教室に入ってきた保利先生が、ただ一人で暴れる湊をみて、止めたのだった。
子供達のイジメ。嘘の告げ口。大人は、子供にダマされる・・・。子供って、怖いな、って思っていると、やはり、もっとすごい怪物は大人だ、、、と観客は気づく。

星川君は、父子家庭だった。父親に精神的にも、肉体的にも虐待をうけていた。。。湊は、それを救いたかったのだ。虐待されても、父親を守ろうとする星川君。お父さんは、わるいひとなんかじゃない。。。そう思いたい思いなのか。。。

学校で、湊が階段から落ちたと聞いて駆けつける早織の姿。家の玄関に嫌がらせをしてきたのは湊だと思って、問い詰めに駆けつける保利先生。先生から逃げる湊。不協和音のような管楽器の音。

3人の視点の物語を重ね合わせると見えてくる、真実。

 

怪物のような人間、善人のような人間。

怪物なんてどこにも「いない」ということ、

怪物なんてどこにでも「いる」ということ。

 

ハンナ・アーレント の『エルサレムアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』がふと頭をよぎる。

 

危ないのは、自分が怪物になっていることに自分では気づけないということ。

 

誰かにとっては怪物でも、誰かにとっては救いの神かもしれない。

世の中、誤解のままで自分を納得させていることがたくさんあるのかもしれないな、と思う。

 

う~~ん、もう一度みて確かめたい場面がいっぱい。。。。

ノベライズで読んでみようかな。

観てよかった。