『エモい世界史』by  リチャード・ファース=ゴッドビッヒア 

エモい世界史 
「感情」はいかに歴史を動かしたか
 リチャード・ファース=ゴッドビッヒア 
橋本篤史 訳
光文社 
2023年7月30日 初版1刷発行
A Human History of Emotion (2021) 

 

日経新聞2023年10月7日の書評で紹介されていて、面白そうだった。図書館で借りて読んでみた。索引を含めて396ページの単行本。なかなかのボリューム。そして、なんとも表紙が、、、、エモい。気になったので、原書をネットで探してみたら、違う石像の写真になっていた。この装丁は日本向けらしい。文字もエモい。

 

新聞の記事では、
“ (略)・・・・・このように、著者はそれぞれの事件と時代を支配した感情を見きわめ、それを正当化するのに役立った思想にまで迫っていく。感情と言えば、とかく非合理な心の動きと見なされるが、その感情を形成し、規範化する思考のシステム(感情体制と呼ばれる)が存在するのだ。本書にも偉人や有名人は登場するが、彼らを含む広い感情の共同体こそが歴史を動かしてきた、と著者は主張する。

視点を変えれば、歴史の新たな側面が浮かびあがることを示す、きわめて刺激的な本である。”
とあった。

 

要するに、歴史は人々の感情がつくってきたのだ、ということ。まぁ、そういわれてみれば、あいつが気に入らん、あいつがいい、とあらゆる意思決定は「感情」が大きなファクターになっているともいえる。面白そうな切り口だ。

 

表紙の裏には、
世界に転機をもたらしたのは「理性」ではなく「感情」だった。
ソクラテスの処刑、 仏教の伝播、 十字軍の遠征、 魔女裁判アメリカ独立、ローマ帝国の没落、 第一次世界大戦、 そして現代・・・・ 多くの歴史的事件を読み解く鍵は「感情」にある。
現代では当然のものとされる「感情」。だが、そもそも 心の動きの捉え方は、時代によって大きく異なる。 その時代ごとの理解や信念は、どう社会に影響を及ぼしたのか? どう現代を形作ったのか? 心理学から神経科学、哲学、言語、美術史まで、幅広い知識をもとに時代・文化・地域によって異なる感情の動き方を通して、世界史を概観する知的興奮の書。”
とある。

 

著者のリチャード・ ファース= ゴッドビヒアは、 感情にまつわる歴史、言語、科学、思想を専門とする研究者。嫌悪感研究の第一人者として知られている。アカデミックな世界では多く知られているが、 一般向けの著書は本書が初めて。読んでいて、人に伝えたいという気持ちがひしひしとつたわってくる感じ。感情の研究って、どうやってすすめるのか想像がつかないけれど、(感情は客観的に計るのは難しそう)著者の豊富な知識がそれぞれつながっていて、なかなか楽しい一冊だった。

 

Contents
はじめに 気分はどうだい?
第1章  古代ギリシャの有徳のしるし
第2章 インドの欲望
第3章  聖パウロの情念
第4章  十字軍の愛
第5章  オスマン帝国が恐れたもの
第6章  忌まわしき魔女騒動
第7章  甘い自由への欲望
第8章  人が感情をいだくとき
第9章  桜の国の恥ずかしさ
第10章  アフリカの女王の怒り
第11章  シェル・ショック
第12章  龍の屈辱
第13章  愛と母(なる国)
第14章 大いなる感情の衝突
第15章  人間は電気羊の夢を見るか?
おわりに 最後の気分は?

 

感想。
面白い。うん、そりゃそうだ、と頷きつつ読みだしたらあっという間に読了。歴史的出来事の背景に、人々のどんな感情があったのかが語られ、歴史の勉強にもなる。

「はじめに」で紹介される、
”・・・人間にも本来、 感情はないのである。感情(エモーション)とは 200年ほど前に英語圏の西洋人が定義した 気持ち(フィーリング)の集合体 に過ぎない。感情は近代的な概念であり、いわば 文化が構築したものだ。人の気持ちが脳の中で生じるという発想も、生まれたのは19世紀初頭になってからのことである。”
という一文が衝撃的。

 

え?そうなの?

まぁ、確かに、心とか、気持ちとか、感情とか、、、サイエンスとして研究され始めたのは、この200年くらいといわれれば、そうかもしれない。でも、「感情はない」といわれると、いやいや、人間は感情で生きている、と思ってしまう。著者がいっているのは、ひとが「感じる(フィール」というのもその前提として文化があるということ。日本人なら、土足で自宅に上がられたらムッとする感情をもつだろうけれど、家のなかで靴を脱ぐ習慣が無い人にしてみればそのような感情は生じない。

お皿に4個の和菓子があったら、「あらぁ、和菓子なのに偶数、しかも「四=死」だわ。」と日本人が感じたとしても、アメリカ人は単純に4という数字としかみないだろう。

なるほど、である。

 

本書の中では、歴史上の様々な出来事と、その時の「文化」、社会的背景のようなことが語られていて、当事者の「感情」がなんとなく見え隠れする。これは意外と面白い視点で、当事者の視点、要するに嬉しかったのか、嫌だったのかとか、そのくらいのシンプルな感情も、出来事の背景として語られるとまるで目の前でのその出来事が起きているような感じで場面がイメージできる。

ソクラテスプラトン。そしてプラトンと決裂したアリストテレス。仏教を起こした釈迦の気持ち。聖パウロキリスト教に改宗して布教に励んだ動機。

アウグスティヌスが十字軍に与えた影響は、アウグスティヌス自身がキリスト教に回心する感情の高ぶりがあったこと。よきキリスト者の目標は、神の恩寵を求めること。何より愛が大事という感情の高ぶりが、十字軍を動かした。

コーランも、アウグスティヌスと同様に、神の愛と自己愛の違いを強調した。オスマン帝国によるコンスタンティノープル侵攻は、それが神の愛にしたがうものと考えたから。そう考えた人々が感情の共同体となって大きな力を発揮した。

 

世の中を動かした感情には、様々なものがあるが、恐怖、恥、怒りは、特にその感情が共同体となったときには、大きな流れを生み出してしまう。

恐怖の感情が生み出した魔女裁判。16世紀から17世紀にかけて起こった魔女裁判で、5万人前後の罪なき女性が魔女として殺されてしまった。今ではちょっと考えられないけれど。そして、この恐怖をもたらした考えのもとにあったのは、アクィナスのいう恐怖と忌まわしさだった。聖アクィナスの考えが、このような流れをうみだしてしまうなんて。

 

ボストン茶会事件は、人々の怒りが形になった事件。アメリカ合衆国を誕生させるきっかけとなったのは、自由、富、贅沢を求める気持ちがあり、それが達成できない怒りがイギリスにむけられた事件だった。冷静に考えれば、高級茶葉を海になげすてちゃうなんて、もったいなすぎる。でも、怒りはもったいない、の気持ちを凌駕した

 

日本に関しては、吉田松陰が紹介されている。かなり奇天烈な人格であったにもかかわらず、多くの門下生を残した吉田松陰。当時の日本は、さまざまな「恥」の感情を持っていた。吉田松陰は、「恥」の感情を利用して、武士の名誉を回復させようと考えていた。鎖国していた日本へやってきた数々の外国船。その圧倒的軍事力に幕府は「恥」を感じたはず。日本社かいの衰退を放置していたことへの恥ずかしさが、明治維新起爆剤となった、と言っている。まぁ、わからなくはない。


他にもさまざまな国の歴史的出来事が、当事者たちの感情の点から語られている。

おわりに、で紹介されていた一文も興味深い。

感情を読み取る時、アジア人は目に注目し、欧米人は口に注目するということが複数の研究によって明らかにされている。
と。

それは、絵文字や顔文字の発展にも影響しているのだそうだ。

^_^ や T_T は、アジア人が好んで使うけれど、欧米人は口が上向きや下向きにっている顔文字をつかうのだとか。

^0^っていうのも、使うけどね。 

 

本当に、話が多岐にわたるけれど、結局のところ人間は感情によって行動しているんだよなぁ、、、って思う。そして、その感情がおこるのも文化的背景があるから。愛と憎しみは反対語ではなく同義語である、というのも行動をひきおこす原動力という点でいえば、まさに同義語かもしれない。

 

「その人の気持ちになって考えてみよう」とはいうけれど、そもそも、その人がどうしてそういう気持ちになるのかという背景を理解しようとする姿勢が大事。今の中東の混乱も、どこかの国の大統領選も、「感情」の対立であるかぎり双方が納得する平和的解決は難しいのだろうなぁ、、、とも思う。世の中難しい。「地球の平和」は、万人の共通目標だとおもうんだけどな。「私の平和」となると、難しい。それはソクラテスの時代から変わっていないのか。

 

どんな偉い人も、すごい人も、感情に突き動かされて歴史を作ってきた。そう考えてみると、なんだか歴史が身近に感じられる。だれもが、普通に一人の人なのだ。

 

ちょっと楽しい一冊。

視点をかえた歴史も楽しい。ほんと、歴史の勉強にもお薦め。