『逝きし世の面影』 by  渡辺京二 (その1)

逝きし世の面影
渡辺京二
平凡ライブラリー
2005年9月9日 初版第一刷
2021年11月30日 初版第40刷
*本書は、1998年、華書房より刊行されたものです。

 

 知り合いの経営者の方のおすすめの本。勉強会の課題図書にもなっていたので、購入してみた。届いたのはソフトカバーの微妙なサイズの本だった。なかなかのボリューム。索引まで入れると604ページ。本体 1900円 (税別)。


本の後ろには、
”「 私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存を出来る限り気持ちの良いものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」・・( 本文より)
 近代に物された、異邦人による、あまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。”とある。

帯には
”追悼 渡辺京二 『逝きし世の面影』 累計18万部
全読書人 必読の書
 とある。

 

私は、渡辺京二さんという方を知らなかったし、本書のことも知らなかった。

渡辺京二さんは、1930年 京都市生まれ。日本近代史家。書評紙編集者などを経て、河合文化教育研究所主任研究員。2022年12月没。
ということで、昨年の12月に亡くなられたらしい。う~~ん、私のアンテナにはかかっていなかった。そんなに昔の人ではないし、本書もそんなに古い本ではない。1998年が最初の出版だとすれば、私は社会人になっている。当時の私は、サイエンスにどっぷりつかっていて、日本の歴史や文化なんて、ほとんどアンテナが立たなかった。だから、過去の私は本書も渡辺さんのこともスルーしてきたのだろう。
でも、読んでみて、あぁ、こういう事を書く人がいたんだ、、、って。。。。新鮮だった。

 

目次
第1章 ある文明の幻影 
第2章 陽気な人々
第3章 簡素と豊かさ 
第4章 親和と礼節 
第5章 雑多と充溢 
第6章 労働と身体 
第7章 自由と身分 
第8章 裸体と性 
第9章 女の位相 
第10章 子供の楽園 
第11章  風景とコスモス
第12章  生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根

 

感想。
ほっこり。。。一気の読むのはもったいない。一章ずつ、大事に読みたい。そんな感じ。


最初は、難しい本なのかな?っておもったけれど、そんなことはない。活字が小さいし、中身はすごくたくさん。日本が江戸から明治、大正、、、そして昭和へと進む間に失ってしまったものを、外国人の書き残した文献からまとめた一冊、といったらいいだろうか。日本に住んでいる日本人には、自分たちの特徴や自分たちの変化は気づきにくい。でも、日本人にとって当たり前のことが、外国人にとっては新鮮であったり、驚きであったり、ときには「日本人は幼稚」と目にうつったり。。。

観察日記の観察記録、、といったらいいだろうか。なかなか楽しい。そして、日本にはそういうほっこりしたところがあったんだなぁ、、、という温かい気持ちになるのと共に、それを失ってしまったことへの、、、喪失感への寂しさみたいなものも禁じ得ない。

 

バブル時代を現役大学生で知っている私は、「変化を恐れるな!」とか「自分の壁を打ち破れ!」とか、アクティブに変化していくことが極上であるかのような価値観のなかで生きてきた。でも、いま、令和のこの時代、私自身も50代になって、変わるべきことと変わらずに守るべきことがあるということを、しみじみと実感する。「不易流行」を知るというのか。。。。、

 

本書の出だしは、
「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、一つの文明の滅亡から始まる。」とある。

つまり、渡辺さんは、日本の近代は、歴史的連続のなかにあるのではなく、あるとき滅亡してしまった。。つまり、清算させられた。その上で、今の日本があるのだ、、と。
そういう見方に同意するかどうかはともかく、一旦、滅亡してしまった日本の文明とは何なのか、そして、それは取り返すべき文明なのか、、、という気持ちで読んでみた。

結論から言えば、私は、滅亡はしていないんじゃないかなぁ、、、という気がした。でも、たしかに、大きな変化はしていて、それを滅亡といえば滅亡だけれど、、、、いやいや、やっぱり、江戸、明治、大正の日本人がいて、その子孫であるわたしたちは、どこかに脈々と何かを継承しているのではないだろうか。

 

たしかに、男女混浴が当たり前とか、長屋なら家族も隣人も親戚みたいに鍵もかけずに行き来していたとか、、、いまではもうないだろうなぁ、、、という文化?文明?もある。

本書で「逝きし世のもの」としているのは、多くは、江戸末期以降、鎖国から開けたばかりの日本の文明なので、昔からの日本の文明というよりは、パクストクガワーナの時代特有の文明であった可能性もあるのではないか、という気がした。だって、『私本太平記』の南北朝時代も、『後白河院』の源平時代も、血みどろの戦いをしていた。平和で、牧歌的だったのは、江戸時代特有だったのでは??という気がするのだ。

megureca.hatenablog.com

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そして、現代の日本人からしても、はじめて日本を訪れた外国人からしても、その牧歌的な文明は、発展途上であるとともに、ストレスフリーなあこがれの文明でもあったのではなかろうか。。。

本書は、日本のほのぼのとした憧憬にあふれている気がする。
だから、ほっこりするのだ。
ちょっとした寂しい気持ちも引き起こしながらも、ほっこり。
面白い本だった。


これは、日本国内旅行の友に最高の一冊かもしれない。日本を思い、日本を偲び、日本を盛り上げたくなる、そんな一冊。

日本を知りたい、日本を大事にしたい、そんなことを思うなら、お薦めの一冊。ちょっと、長いけどね。

 

気になったところをちょっとだけ覚書。

続きは、色々あるので、また明日。