『逝きし世の面影』 by  渡辺京二 (その2)

逝きし世の面影
渡辺京二
平凡ライブラリー
2005年9月9日 初版第一刷
2021年11月30日 初版第40刷
*本書は、1998年、華書房より刊行されたものです。

 

昨日の続き。

 

目次
第1章 ある文明の幻影 
第2章 陽気な人々
第3章 簡素と豊かさ 
第4章 親和と礼節 
第5章 雑多と充溢 
第6章 労働と身体 
第7章 自由と身分 
第8章 裸体と性 
第9章 女の位相 
第10章 子供の楽園 
第11章  風景とコスモス
第12章  生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根

 

気になったところを覚書。

 

チェンバレン(1850~1935)の言葉:明治期のジャパノロジスト。1973年に来日。1911年に日本を去る。『日本事物誌』。古き日本は死んだ、といった。
「衣服の点では、家屋と同様、地味な色合いが一般的で、中国でありふれているけがけばしい色や安ピカものが存在しないことにわれわれは気づいた。」

中国と比較すると、確かに、日本の色彩感覚は地味だ。でも、それを自分たちでは地味っておもっていたのだろうか??わびさびを好んだから?いや、たんに江戸時代に衣服に豪華な生地をつかう贅沢は禁止されたから?べつに、地味好きってわけではない気がするけれど、たしかに中国の金ぴかとは違う。。。

 

海外に行くと、中国人も日本人も韓国人も同じに見えて、日本人が中国人と間違えられることがよくある。でも、日本人にはわかる。あの人は日本人じゃなくて中国人だって。それは、振る舞いもそうだけれど、洋服のセンスの違いがある気がする。あれは、日本人は着ないな、、、、って感じ。最近の銀座あたりでも、やっぱり日本人じゃないな、、、っていう団体がわんさかさ・・・・・。

 

派手ではないけれど、日本の絹織物ほど美しいものはない、、、と私は思う。

 

・スミス主教(アメリカ宣教師)の言葉:
「私は、東洋のいかなる地域においても、日本ほど飲酒のさかんなところを見たことが無い

なんと!!!日本は、昔から酒飲みだった??お神酒だといっては儀式で飲み、正月、節分、ひな祭り、、、、確かに、日本の年中行事にお酒は欠かせない。時代歴史小説を読んでいて、酒盛りの場面がでてこないことはない。戦国時代だって、お酒を飲んでいざ出陣をいわった。そうか、、、お酒を楽しむのは、日本人のDNAなのか。だいたい、「飲み放題」なんていうコースが飲食店にあるのは、日本だけって言われている。。。これは、日本にずっといると気が付かないことかもしれない。

 

アンペール:江戸時代に来日。日本の中産階級の食器に注目。
「美しい食器類を器用かつ優雅につかいこなしている人々をみると、食事というより、まるで大きな子供たちがままごと遊びをしているように思える」

日本の御膳に並べられた複数の皿。なるほど、確かに美しい。そして、なんてちまちましているんだ、、、と見えたのかもしれない。食器の種類がこんなにたくさんある食事はなかなかないかもしれない。だからこそ、「和食」は文化遺産なのだ。

 

・第7章:アリス・ベーコン:明治中期の日本における身分について。
アメリカと比べると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です」
彼女は、奉公人として主人に仕える日本人をみて、「本当の意味での独立心を残している」とみている。「黙って主人に従う態度を身に着けているとしても、自分で物事を判断する権利を放棄していない」と。

たしかに、昔は子どもが他家に奉公にでるということがあったけれど、別に、奴隷ではないし、召使でもない。お家にお手伝いさんがいても、お手伝いさんが主人に意見することもあった。なるほど、奴隷制度があったアメリカ人の眼からすると、奇異に映ったのかもしれない。逆に言うと、ハックルベリー・フィンの冒険でハックが奴隷だったジムをたすけるというのは、日本人にとってはそんなに大それたことと感じられないけれど、アメリカ人にしたらそれこそ犯罪であり、大事件だったということだ。

megureca.hatenablog.com

 

・第9章:スエンソン:日本人女性について
「日本女性は男たちの醜さから程遠い。新鮮で色城、紅みを帯びた肌、豊かで黒い紙、愁いを含んだ黒い瞳と生き生きした顔は、もう美人のそれである。」と、女性ベタホメの言葉がならぶ。だがしかし!!!
「彼女らが美しいのはせいぜい30まで。あとは顔は皺が寄って黄色くなり、容姿は急速にたるんでしまう・・・・・」とまぁ。。。。

なんてこった!!けど、外国人から見ると、日本の女性は、、、若い女性は、それはそれは美しく見えたらしい。。。。せいぜい30までは、、、っていう箇所には思わず、ぷっと声をあげて笑ってしまった・・・・。とほほ。

しかし、別の視点では、日本の女性は陽気だから美しいとか、人懐っこさが魅力とも言っている人もいる。江戸から明治にかけての女性は、社会的には地位は低かったとしても、人生を楽しんでいたのかもしれない、、なんて思った。

 

水戸藩のある学者の養女は、しっかり者で有名であったけれど、あるとき「主人に馬乗りになってぽかぽかなぐりつけたことがある」とも。。。。なんだか、時代劇の笑いの場面見たいだけど、本当にそういうこともあったのだ。

元始女性は太陽であった」を地で言っている感じ?

 

ポンティング明治30年代、日本を訪れた英人写真家)は、「日本は、婦人たちが大きな力を持っている国に見えた」、と。家庭における女性は、大変利口な独裁者で、自分が支配しているとみえないところまで支配している、と。かつ、
日本の女性は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐み深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものだ

なんて褒めようでしょう!!!
そうあってみたいものだ・・・。実際にポンティングがあったのが誰だったのか、気になる。
本書の中には、他にも女性をほめそやす言葉が多く並ぶ。
ふ~~~~ん!!!!すごいなぁ。。。
まぁ、自国の女性と比べると、良い面ばかりが目についたのかもしれないけれど。隣の畑はなんとやら・・・。

 

・第12章:徳川時代の自然を愛する心について。
「徳川期の日本人にとっても、動物は確かに分別のない畜生だった。しかし同時に、かられは自分たち人間もそれほど崇高で立派なものとは思っていなかった。人間は獣よりたしかに上の存在だろうけれど、キリスト教的秩序観の場合のように、それと質的に断絶していなかった。草木国土悉皆成仏という言葉があらわすように、人間は鳥や獣と同じく生きとしいける者の仲間だったのである。」

なるほど。自然を敬う気持ちは、自分たちがそれほど立派じゃないという謙遜の心があるのかもしれない。台風、地震、日本人は自然の脅威にはかなわないって昔から知っている。「草木国土悉皆成仏」は、仏教の言葉ではあるけれど、昔ながらの神道や日本人の死生観ともつながっているともいえる。

 

・第12章:日本人の死生観について。
葬儀の参列に出会ったヴェルナーの言葉。
「参列者は、快活に軽口を飛ばし、笑い声をたてている」「日本人にとって死は忌むべきことでは決してない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ」

横浜大火直後のスエンソンの言葉。
「日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持ち物全てを失ったにも関わらずである。日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。

外国人からすると、そうみえるのか・・・。

 

子どものとき、お通ややお葬式のあとに大人たちが食事をしてお酒を飲むのがよくわからなかった。お斎(おとき)は、故人との最後の食事だから食べなさい、と言われても、悲しいのになんでみんな笑って食事をするのかわからなかった。けど、大人になるとちょっとわかる。そう、人は必ず死ぬのだ。最近は家族葬が増えて通夜やお葬式に参列することが少なくなったけれど、大人になって、昔の知人やその親族の通夜に参列すると、懐かしいメンバーと顔を合わせることがあったりして、〇〇さんが合わせてくれたんだね、なんて言って懐かしさを共有し合うことがある。死は、悲しいけれど、忌むべきことではないって、どこかで思っているかもしれない。

 

昔は、日本でも自宅でお年寄りが亡くなるというのが普通だったので、子どももおじいさんやおばあさんの死を身近に体験することがあった。それが「死に対する心の準備」をさせたのかもしれない。

今では、身近に死を体験することはなかなかない。樹木希林さんは、その死にざまを子どもたちに見せたいからといって、自宅に戻って亡くなった。それは、人間が死ぬときにできる最高の贈りものかもしれない、とも思う。

 

いろんな切り口で、外国人から見た日本、そして、今はそれを無くしてしまっているのが寂しい、、という視点で書かれている。でも、悲しくなる本ではなかった。わたしにとってはやっぱり、ほっこり、、、の一冊。

 

たしかに、古き良き昭和は失われたかもしれない。ロスジェネといわれる世代がいて、失われた30年もあり、すっかり日本は変わってしまったかもしれない。でも、無くしていないものもたくさんあると思う。

こうして、日本語を使い続け、和食を食べ続けている。確かに変化はしているけれど、滅亡はしていない。と、私は思う。

 

自分が女性なので、第10章の女性の話が一番面白楽しく読んだけれど、どの章もなんともいい。古き良き日本を自慢したくなるような、そんな気持ちにもなれる。

 

日本に生まれて、日本国籍をもって育ってきたからには、日本国に税金をおさめ、年金をもらうつもりでいるからには、やっぱり、日本の良さを大事にしたいと思う。

なにが日本のよさなのかは、それぞれが心の中に持っていればいい。それを体現できる幸せな人もいれば、それを応援する側の人もいる。

 

みんなちがってそれでいい、ってね。