禅の教え:修業とは苦行することではない

「修業とは苦行することではない」

 

先日、冬季坐禅会に参加してきた。

その時の住職の言葉が、じわじわと心に響いてきたので、覚書。

 

全生庵坐禅会に参加したのは12月のこと。12月8日は、お釈迦様が悟りを開いたとされている日。その数日後のことだったので、お釈迦様がどのように悟りを開かれたか、という住職の話だった。

 

お釈迦様は、色々な苦行をやってみた。でも、悟りには至らず、、、苦行によって悟りを得ることはないと悟った。そして、真の悟りに至った・・・って、そんな感じの話だった。

 

住職曰く、

「辛いことをしたからって、えらいわけでもなければ、すごいわけでもない。苦行でさとれるわけでもない」のだと。

 

なにか、人生で大変なことがあると「修行だと思ってがんばれ・・」的なことをいうのは間違ってます、って。

 

とことん必要なのは、自分の中の「仏心」を見つけることなのだと。お寺で観音様に手を合わせているとき、本当は観音様を拝んでいるのではなく、自分の中の「仏心」を見つめようとすること、自分自身をみつめることが大事なんだと。

 

なるほど。。。。

 

そして、昨今ニュースを騒がしている自民党安倍派閥の政治資金問題について、触れられた。

 

「とんでもないことです。従来からそうしているとか、慣例だからとか、そんなことではだめです。自分の心にやましいところが無いか聞いてみること。自分の中の仏心と対話すること」と。

 

安倍総理全生庵へ通っていた一人だっただけに、住職は残念な気持ちがおおきかったのではなかろうか。。。。

 

「草木国土悉皆成仏」

草にも木にも、土にも仏心があるんだから、自分にもかならずあるはず。その自分の中の仏心と対話せよ、と。

 

坐禅は、そのための時間でもある。

 

時には頭を空っぽにして、自分と本音の対話をしよう。