図説 あらすじで読む 日本の仏様
速水侑 監修
青春出版社
2006年12月15日 第一刷
図書館の宗教の棚で見つけた本。図説、とだけあって、写真や絵といっしょに、様々な仏像についての説明の本。図鑑みたいな感じ。
私は、お寺や神社に行くのは好きだけど、仏像に詳しいわけではない。時々、ただ、美術品として美しいというものに出会うと幸せだし、博物館に観に行ったりったりもするけれど、さほど、詳しいわけではない。
本書は、日本の仏様にはどんなルーツがあって、どんな功徳があるのかなど、全体像を示してくれている一冊。正直言って、「弥勒菩薩」とか「千手観音」とか、よく聞く名前だけど、菩薩と観音は仏様とは違うもの、、、とおもっていた。仏様の一種ってことらしい。
まったく、日本人を50年以上もやってきて、神社仏閣に行くのが好きだと言いながら、、、無知もいいところだ。。。
と、この機会に、ちょっとだけお勉強。
私にとっては、へぇ~~~!!、そういうことっ!!っていう情報が沢山。
結構、目からうろこというか、なんとなくそう思っていたけれど、やっぱりそうか、、とかいう事があって、たまにはこういう物も目を通してみると面白いもんだな、、と思った。
ま、こんな基本も知らずに、和辻哲郎とか、梅原猛とかを読んでも楽しめていたわけなんだけど、復習したら、もっと楽しめるのかも。
目次
序章 日本の仏様とは一体何か
一章 如来部 真理の世界からやってきた者
二章 菩薩部 さとりを現世で実行しようとする仏
三章 明王部 姿を変えて現れた仏
四章 天部 インドの神々から転じた護法神
五章 垂迹(すいじゃく)部・羅漢 様々な守護神と覚者・聖者
仏像の話に入る前に、序章で日本の仏様とは一体何か?として、仏教がどうやって伝来したのか、そして、日本の文化にどう浸透していったのか、について語られている。
日本在来のカミ信仰では、鏡や剣、玉などを象徴的な神体とすることはあっても、人の姿で表現することは無かった。ところが、六世紀中ごろに、初めて「釈迦仏金銅像」を目にした欽明天皇やその家臣は、その端正な人間の姿をした仏像に心をうばわれた。そして、その金色に輝く仏をカミとする蘇我氏を中心とする勢力と、在来の国神の怒りを招くことを恐れる物部氏を中心とする勢力が、対立する。
蘇我氏と物部氏の対立は、仏なのか、古来の神なのか、という信仰の対立だったのだ。
そして、有力豪族たちの闘争の後、仏教文化が開花し、推古天皇と聖徳太子(厩戸皇子)の時代になっていく。
ほほう、、、たしかに、そうか、そうだったのか。。。
で、聖徳太子は、法隆寺を建てたりして、仏様を大事にしたのだ。
ちょっと、歴史の勉強。
そして、お釈迦様についての説明も。つまりはゴータマ・シッダールタだ。お釈迦様は、生まれるとすぐに7歩あゆんで右手で天を、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と言った、、、とか言う話は、坐禅をしにいく全生庵でも、zoom坐禅会でも、よく聞くけれど、最初からお釈迦様だったわけではない。29歳で出家し、修行するも、6年後に苦行が真実への道ではないと悟って、瞑想に入る。ま、辛いことやってもさとれないから、とりあえず瞑想しよう、、って感じだろうか。。。で、菩提樹のもとで瞑想をしていたら、悟りの時が訪れ、仏陀(ブッダ)となった。仏陀とは、真理に目覚めたもの、と言う意味。
とまぁ、そんな仏教の全体像が序章に在り、1~5章で、具体的な仏様について。
全体像の中でも、よく耳にする仏像について、覚書。
1章~5章まで、その中にも具体的には様々な仏様がいる。あ、こういうファミリーだったのね、って感じ。
1.如来:真理の世界からやってきた者
・釈迦如来:悟りをひらき、教えを広めた仏教の開祖。つまり、ゴータマ・シッダールタのこと。釈迦とか、仏陀とか、色々な名前で呼ばないでほしいわ、、、、。釈迦如来って、要するに仏陀のこと。
・阿弥陀如来:念仏をとなえる人々を極楽浄土へみちびく
・薬師如来:心身の病を取り除く浄瑠璃界の教主
・毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい):大仏様。色々なことをなんでも包み込み、世界をあまねく照らす。
・大日如来:宇宙の根源とされる密教の中心仏
2.菩薩:悟りを現世で実行しようとする者
・弥勒菩薩:広隆寺の弥勒菩薩が有名。釈尊にかわって未来に現れ衆世を救済する
・観音菩薩:苦悩に応じて姿を変え、慈悲の心で衆世を救う
・十一面観音:十一面の顔を持ち、十種の現世利益を授く
・馬頭観音:草を食らう馬のごとく煩悩を食らいつくす
・地蔵菩薩:多種多様な道端の仏。。。。
3.明王:姿を変えて現れた仏
・不動明王:怒った形相であらゆる煩悩を焼き尽くす。
・藍染明王:愛欲の執着の中からさとりを開く
・孔雀明王:孔雀の羽に抱かれた紅一点の美しき明王
4.天:インドの神々から転じた護法神
・梵天・帝釈天:釈尊に説法をすすめた梵天、試練を課した帝釈天
・四天王:インド神話を出自とする司法の護世神
・毘沙門天:戦勝・財福神として祀られる四天王随一の神
・弁財天:弁天様として親しまれる芸術・商売の女神
・仁王:阿吽の呼吸で寺院を守る二体の金剛力士像
・閻魔天:死者の罪徳を審判し冥界へ案内する裁判官
と、これくらいが、わたしがよく耳にする仏様だろうか。
本書にでて来るのは、もっともっと沢山の仏様。いやぁ、覚えられませんわ。
ギリシャ神話の神々も、みんなの名前や何の神様なのかを覚えられたら楽しいだろうな、っておもうけど、記憶に残らない。
話は飛ぶけれど、NASAの月への計画、「アルテミス計画」のアルテミスだって、ギリシア神話に登場する狩猟・貞潔の女神のことだ。ローマ神話では、ディアナと言われる。残念なことに、昨日予定されていた2回目の発射も延期になっちゃったけど。。アルテミス計画、って名前もかっこいい。
日本の仏様の名前が科学技術の世界で使われることは無いような気がする。
「アマテラスオオノカミ計画」とか、神話の世界の神の名前つかってもよさそうなものだけど。。。「かぐや」は、かぐや姫から来たのだろうか??
と、だいぶ、思考が飛んだ。
サイエンスの計画に、仏様の名前は、ちょっと、宗教色がでちゃってだめなのかな。
とまぁ、日本にもいろんな仏さまがいる。多くの日本人にとって、神様でも仏様でも、どっちでもいい、、、って感じなんだろうな。私は、どっちでもいいし、どっちかの区別もつけていない。。。
それも、奈良時代に「神仏習合思想」がはやり、平安時代に入って「本地垂迹説」となったことが大きい、との説明書きがあった。本地垂迹説とは、日本古来の神外の本来の姿(本地)は、じつは仏であり、仏が正しい教えを護り、衆世を救うために、その能力にあわせて、この世に権(かり)の姿で現れたもの(垂迹)とする、ということ。神仏が一つんになっちゃったのだ。やはり、日本の神仏習合というのは、日本独特のものなのだ。
そして、日本人は、なんでも習合するのがうまくなった。。。和洋折衷もお手者の、、、ってね。
言い換えれば、なんでも都合よく解釈しするし、良いものは良いとして受け入れる柔軟性もある、、、なんてね。
と、あれこれ考えずに、ただ、ぼぉぉっと美しい仏像を見るのは、それはそれで楽しい。別に有名な仏像でなくても、美しいものは美しい。
そう思える心の余裕を持っておくことが、なんでも、楽しむ秘訣かもしれない。
余裕って、大事だね。
今日は、日曜日。
余裕をもって行動しよう。
台風にも備えて、、、、。