『チャランポラン闘病記 多発性硬化症との泣き笑い2000日』 by 林家こん平

チャランポラン闘病記
多発性硬化症との泣き笑い2000日
林家こん平
講談社
2010年3月16日 第一刷発行

 

指定難病の一つ、多発性硬化症について調べたいと思って、図書館で検索したら出てきた本。こん平ちゃんって、笑点のこん平ちゃん、って、、、確かに一時闘病していたけれど、多発性硬化症だったんだ。。。

借りて、読んでみた。

 

多発性硬化症って、日本人にはあまり馴染みのない病気で、あまり知られていないのではないだろうか。英語では、Multiple Sclerosisといい、MSと呼ばれている。MSの有病率は、高緯度地域で多く、北欧、北米では200人/10万人。日本ではその1/10以下程度。私も、知人から聞くまで知らなかった。

 

中枢神経系の病気で、見た目には本人の苦しみは見えにくい。痛み、しびれ、めまい、視力障碍、運動機能障害、、、などがあり、こん平ちゃんの場合は、かなり進行した状態で病気が判明。昏睡して病院に担ぎ込まれてそのまま長期入院生活へ、、、ということだったらしい。

 

まえがき
第一章 突然襲った病魔
第二章 15歳で上京してきた少年
第三章 『笑点』デビューと真打昇進
第四章 師匠の死から一門を率いる苦労
第五章 「ジイジ、がんばって」
第六章 消えぬ情熱

 

感想。
そうか、、、そんなに重症になるまで気が付かないで生活できてしまうのが、、、MSの怖さかもしれない。そして、本書は、闘病記となってはいるけれど、こん平ちゃんが、幼いころからどうして落語家を目指して上京したのか、そして、どうやって頑張ってきたのか、という自伝のような部分が半分以上を占める。闘病を通じて、自分史を振り返ったって感じかな。

 

林家こん平さんは、1943年、新潟県、米どころ・越後「千谷沢」村で生まれ育った。末っ子だった光男(本名:笠井光男)は、家族に溺愛されて育った。

 

幸せに暮らしていた笠井家に突然の悲劇が訪れたのは、光男が小学校3年生の時。農業対策委員長もしていた父は過労のためか、深夜の役場の会議中に脳溢血でたおれて、帰らぬ人となってしまう。そして、父の死を境に、やんちゃ坊主は、父を喜ばせるためにと真面目に勉強をするようになる。クラスで1,2位という成績優秀者だった。勉強のお供は、生前の父がよく聞いていたラジオの『国会中継』。そして、それに続く『ラジオ寄席』。そう、ラジオ寄席が、林家こん平誕生のきっかけだったのだ。


中学生の時、あこがれの林家三平師匠のもとを突撃訪問。もちろん、いきなり弟子にしてもらえるわけもなく、「中学を卒業しなければだめだ」といわれて、新潟に戻る。そして、「中学を卒業したら、弟子にしてもらえる」と思い込んだ光男は、中学をしっかり卒業し、再び、三平師匠の元を訪れる。もう、不退転の決意!!で故郷をあとにしてきた。ところが、三平師匠は、「弟子にするなんて約束した覚えはない・・・」と!!

 

ちょうど、そのとき、母が三平師匠の元へ贈った「米俵」が、光男の荷物と一緒に届く。。で、「米がつきるまでなら・・」という感じで師匠の下に転がり込み、、そして、落語の道へ。。。

 

こん平ちゃんというと、「こん平で~~~~す」のあの元気な様子しか覚えていない。笑点はみていたけれど、実際の高座は聞いたことが無いので、どんなだかわからないけど、、。底抜け明るい人、という印象。米どころ育ちでお米大好き!ぽっちゃりの元気なこん平ちゃん!というのがイメージのすべてといってもいい。

 

そんなこん平ちゃんが、目のかすみ、「声」の異変、だるさ、、、を感じるようになる。病院嫌いだったので、なかなか病院には行かなかった。それでも、眼下では、眼底出血を起こしていると言われて、レーザー治療をうける。声がかすれるようになったころ、右手の痛みを感じるようになる。

 

そして、『笑点』収録前、突然発作が起きた。本人は前後のことは記憶にないのだそうだ。意識が混濁し、ろれつがまわらなくなった。気力で、収録をすませたものの、三遊亭圓楽さんが、「ふだんとちがうけど、こんちゃん大丈夫??」と。
楽屋にはなんとかもどったけれど、着替える気力もなく、座ったままぼぉ。。。。のどの薬を飲ませようと弟子がわたした薬をこぼし、ひろうこともできない、、、

そして、病院へ救急搬送。

そのまま、緊急入院。意識混濁が続く・・・・。

最初の都立大塚病院では、病気の原因がわからず、東京女子医科大附属病院に転院。日に日に症状がわるくなるというのは、脳梗塞ではないということはわかるのだけれど、下血もおこしており、原因がわからない状態での入院が続く。1か月以上ののち、MRIの結果から、脳に影が見つかり、「悪性腫瘍の疑い」となった。そして、脳にドリルで穴をあけての生体検査。その結果、悪性腫瘍ではないことがわかって、ひと段落。しかし、病院の原因は不明、、、という振出しに戻る


そして、「多発性硬化症の疑い」ということになる。発作が起きてからすでに1か月半、それでも、パルス療法というステロイド剤の点滴をうけてみたものの、効果は芳しくない。しかし、症状は改善せず、やはり多発性硬化症の疑いが高い、ということで再びパルス療法をうける。そしてリハビリ。。。

 

こん平ちゃんは、家族、弟子、師匠の家族、たくさんの人に応援され、復帰を果たす。

多発性硬化症の診断は難しく、5年も6年も症状に苦しみつづけたあげく、診断がつくこともあるそうだ。。。
また、原因不明の不調で苦しんでいる間に、ウツになってしまうケースも。

 

本書は、まさに、泣き笑い2000日のお話で、こん平ちゃんの明るい笑顔が、復帰も果たしたこん平ちゃんのすがたも瞼に浮かべることができるから、がんばれ!っていいたくなる一冊。

 

でも、やっぱり、多発性硬化症という病気は、診断が難しいというのが一番の課題のようだ。診断がつかないから、治療もできない・・・・。そして、患者の苦しみはつづく。。時には、医者に「ストレスだ」とか「気のせいだ」とか言われてしまう辛さ。。。

つらいね、としか、いえない。

 

なるほど、そういう病気なのか、と、勉強になった。

そして、落語の世界の人の本って、やっぱり面白い。しゃべりのプロだものね。